第19話:久しぶりの時
アリスの部屋で夕食にありつく。
テーブルに広げられた豪勢な料理。対面に座ったアリスは神妙な面持ちで口を開く。
「フラク、実際のところ、どうなさるつもりですの?」
「どうもこうもない。現実的に考えて、俺があそこでやっていけるわけがないことは、お前も理解してるだろ」
騎士隊の主な活動は学院内の治安維持である。そして、騎士隊は学院内に設置された、呪形者に対する実働部隊でもある。
入隊基準は黒服に金の装飾程度の実力を持っていること。
フラクは黒服の白装飾で、学院内の階級は最底辺だが、今回は特例的な措置がとられたらしい。
「学院で俺がなんて呼ばれてるか知ってるだろ。前代未聞の問題児だ。おまけに呪形者と戦う術をほとんど持ってない。はっきり言って足手まといだ。そんなお荷物を、あの多忙の極みみたいな騎士隊がいつまでも抱えておけると思うか?」
「それはさすがに自分を卑下し過ぎていると思いますが……はっきりと〝そんなことはない〟と言って差し上げられないのが複雑なところですわね」
むぅ、と腕を組むアリス。
「別に騎士隊の評価が欲しいわけじゃない。なにより、姉さんにこの躰を返す俺の目的と矛盾している。連中には悪いが、俺は真面目に騎士隊で仕事をするつもりはない」
随分な言い草だ。アリスは「はぁ……」と呆れた様子だ。
昔から頑固でこうと決めたら譲らない部分はあった。
しかしまさか姉への執着がここまで重症化しているとは。
……医務室では啖呵を切ってしまいましたが、本当にわたくしは、フラクに生きる意味を与えることができるのでしょうか。
しかし、彼女は思わず弱気な自分が顔を覗かせたことに気付き、頭を振って後ろ向きな考えを追い出した。
……なにを考えているのですか、わたくし。
このまま何もしなければ、フラクは自分のことを顧みず、
果てに、
……そんなの、絶対にイヤですわ!
なんのためにこうしてフラクと同室になったのか。それを忘れてはいけない。
が、そこまで思い至り、アリスは思わず顔が熱くなるのを感じた。
「…………」
目の前で食事に口を付けるフラク。格式ある家柄に生を受けたカノジョの所作は、とても洗練されている。
久しく離れていた割に、身体はマナーを忘れていなかったらしい。
しなやかな指先、繊細な彫刻を思わせる美しい貌。濡れ羽色の長い髪。その姿はかつて言葉を交わした
しかし纏う雰囲気は紛れもなく恋焦がれてやまない彼のモノで……アリスは急に心臓がうるさく鳴り始めるのを止められなかった。
……フ、フラクが、わたくしと同室に……きょ、今日から~。
今更な事実。しかも彼女から誘ったのだ。不承不承といった感じで了承されたような気はするが、この際そんなことはどうでもいい。
今、目の前に、あのフラクがいるのだ。
ずっと共にありたいと願い、素直になれず言葉をぶつけ、疎遠になってしまっていた幼馴染。
「んぐ……」
「うん? アリス、どうかしたのか?」
顔の下半分を押さえて俯くアリスにフラクが声を掛けた。
「な、なんでもございませんわ。といいますか、今はわたくしの名前を呼ばないでいただけますか」
「は?」
ダメだ。今はとにかくダメなのだ。溢れる。それはもう乙女としては色々とダメなのモノが溢れて止まらなくなってしまう。
「……体調でも悪いのか?」
「いえ、お気になさらず」
「最近あまり寝れてないんだろ。無理はしても無茶はするなよ」
「あ、あなたに言われたくありませんわ」
ああっ、やめてやめてやめて。今はその気遣いひとつが致命傷になってしまう。
今はあのうるさい神霊のムスメも剣の状態で休眠している。ティアーは空気に徹しており、これはもう実質的に二人きりと言っても過言ではないのでは?
「――お嬢様」
「はひっ!?」
かと思ったら声を掛けられた。思わず素っ頓狂な悲鳴を上げて椅子から腰が浮いてしまった。
挙動不審な主にメイドのじっとりとした視線が突き刺さる。
しかし彼女は居住まいを崩すことなく、内心では『まるで発情した猫のようですね』などと思いながら、その可憐な唇を開く。
「……湯浴みの準備ですが、本日はどちらでなさいますか?」
「え? ああ、お風呂……お風呂!?」
アリスの視線がティアーからフラクへと一気に方向転換。
「なぜこっちを見る」
「い、いえ。なんでも」
「安心しろ。お前の風呂を覗いたりしない」
「……そ、そうですか」
別にあなたになら、などという考えが浮かび掛け、アリスは「ふぬぅぉぉぉぉぉ~~」とまるで獣のような叫びを上げて壁に頭を打ち付け始めた。
この奇行にはフラクもティアーもドン引きだった。
「ふ~……失礼しました」
「お前、本当に大丈夫か? 聖徒会の仕事、そこまで忙しいのか?」
「ま、まぁそんなところですわ」
目を逸らしてあらぬ方向を見上げるアリス。
メイドは「これが主人だと思うと情けなくなります」と歯に衣着せぬことを独り言ちた。
「お嬢様。もう一度お伺いしますが、湯浴みはこの部屋と大浴場、どちらでなさいますか?」
「こ、こちらで……」
「かしこまりました。お湯は既に張っておきましたので、必要な時にお声がけください」
「あ、ありがとう。フ、フラクはどうしますか?」
「俺はあとで適当に済ませる」
口元を拭いながら、カノジョはそんなことを口にした。
そこでふと思う。フラクはこれまで、どのようにお風呂を利用していたのだろうか、と。
フラクは見た目こそ女性だが、中身は完全に男性だ。
「あの、フラク」
「なんだ?」
「以前の……初等生徒用の寮では、どのようにお風呂を使っていたのですか?」
「使ってなかったぞ」
「え?」
「だから、使ってなかった」
フラクからこれまでの生活っぷりを聞かされる。
湯浴みはほとんどせず、大抵はお湯を張った桶を部屋に持ち込んで躰を拭くか、森の奥にあるあるという滝壺まで赴き、そこで身を清めていた、と。
「…………な、なななな」
アリスは“信じられない”といった顔でフラクの背後に回り込み、その濡れ羽色の髪に触れた。
「……ティアー」
「はい」
「フラクを先に入れて。徹底的にケアを」
「かしこまりました」
「は? おい、ちょっ!?」
アリスはフラクの腕を掴むと、ティアーを一緒にフラクを脱衣所まで連行していった。
先ほどまでの羞恥はどこへやら。アリスはテキパキとフラクの服を引っぺがすと、
「覚悟しないさいフラク。女性の身だしなみが……いえ、身体の手入れがどのようなものか、徹底的に教えて差し上げますわ」
「お、おい、アリス……」
完全に目が据わっている幼馴染。先日の等級試験にも勝るとも劣らない迫力を前に、フラクは珍しくたじろいでしまう。
「ティアー、やってしまいなさいな」
「承知いたしました、お嬢様」
「待て、お前らなにを……ていうかティアー! 手をわきわきさせながら近づいてくるな! ちょっ、ほんとに待っ」
「逃がしませんわよ、フラク」
いつの間に服を脱いだのか……ちゃっかりとタオルを巻いている……フラクの肩をしっかりと押さえつけてくるアリス。
「年貢の納め時ですね、フラク様。お覚悟を」
「それ絶対に意味が違っ――――あ」
その後のことを、フラクはほとんど覚えていなかった。
ティアーの手練手管により、肌も髪も磨き抜かれたフラクは、湯船の中で突っ伏し、肌をキラキラさせながら荒い呼吸を繰り返していた。
そんな彼女の傍らでは、仕事をやり遂げたメイドが、清々しいまでの笑みと共に「やりっきた」表情を浮かべていた。
「フラク。これが、女のセカイですわ」
「……そうかい」
しゃがんだ姿勢でこちらを見下ろす幼馴染に、フラクは初めて殺意が沸いた。
「ではもう面倒くさいのでお嬢様のそのままやってしまいましょう」
「へ?」
言うなり、メイドはアリスが巻いていたタオルを剥ぎ取り――次の瞬間、フラクの視界の端で、質量のある二つの塊が盛大に跳ね、カノジョの頬を打った。
「きゃあああああああああ~~っ!!」
直後、アリスの悲鳴が上がり、「なにを今さら」という冷静なティアーの声が聞こえて来た。
フラクは先程の自分と同じく、ティアーにもみくちゃにされる幼馴染から視線を逸らし、「はぁ~」と溜息を吐きながらも……
……なんか、懐かしいな。
幼少期のことを思い出して、思わず頬が緩むのを、自覚した。
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