第18話:遺恨の承諾

 ……面倒なことになったな。


「――面倒なことになりましたわね」


 アリスがフラクの思考を代弁するように同じことを口にした。

 しかしフラクは彼女を半眼で見据えて小さく溜息を吐く。

 カノジョが面倒に思っているのは騎士隊の一件だけではない。


 ここは上等生徒用の学院寮内。アリス・ドライグの部屋である。

 部屋の広さは初等生徒寮の倍以上。各部屋には簡易ではあるが風呂が供えられ、室内を彩る家具一式、装飾の一つひとつが洗礼されている。

 決して華美ではないが、落ち着いて品のある部屋だ。


 多くの学院生が憧れる、上等生の生活空間。


 先の騎士隊が押しかけてきた一件からしばらく。窓の外は夜の色に染まっていた。


「レムナス様、部屋の荷物をこちらへ移しておきました。後ほど、不足がないかの確認をお願いします」

「ああ、手間を掛けた」

「それがメイドの務めですので、お気になさらず」


 恭しく首を垂れるメイド姿の少女……しかし、彼女は「まぁ荷物なんて全然ありませんでしたが」と後ろを振り返った。

 そこには小さな荷物入れケースがひとつ。


 フラクは最低限の着替えと武霊兵装をメンテする道具以外、ほとんど物を持っていなかった。

 あまりの荷物の少なさに呆れられたほどである。


「ティアー、今日はここで食事をしたいわ。用意してもらえる?」

「かしこまりました」


 フラクが眉間を押さえた。

 

 ……なんで俺がこんなところに。


 数刻前のことを思い出す。


 ――あたしは――カノジョの心的外傷トラウマを、克服してみせましょう!


 そう言った武霊騎士治安部隊ブレイドナイトガーディアン所属の総長補佐……スチーリア。

 

 実質的に騎士隊を取り纏めている少女。長い髪を後ろで一括りにまとめた姿。東方の民族を思わせる顔立ちをしている。

 青服に金の装飾。使命感に燃える彼女の姿は眩しく、フラクはかつての自分を見ているような気分になった。


「騎士隊は常に前線で呪形者と戦い、学院内の問題へ対処しています。常に緊張状態の中で精神を鍛え、内外共に己を磨き上げる。フラク・レムナス。あたしは騎士隊であれば、あなたの心に巣食った『弱さ』を払拭することができると確信しています」


 彼女はフラクに手を差し伸べた。


「共に、人々の未来を守る武霊契約者としての道を歩みましょう」

「……武霊契約者として、道」


 少女の手を見下ろしながら、フラクはどこか自嘲めいた笑みを漏らした。

 スチーリアの目に迷いはない。今の彼女は純然たる善意でフラクに手を差し伸べているのだろう。


 それが、どこまでも独善的であるということにも気付かずに。


「スチーリアさん、申し訳ありませんが今の言葉はいささかフラクのことを軽視していると思えてなりません」


 アリスが目元を険しく釣り上げてスチーリアの前に立った。


「心の傷を『弱さ』と言った。あなたはフラクが背負って来たモノも、その過去になにがあったのかも知りはしない……それで、軽々しく彼の心をどうにかできるなどと、言わないでいただきたいわ」

「それこそ間違っています副会長。我々は個人である前に人々の守護者です。ましてや呪形者はこちらの事情など汲んでなどくれません。いつだって理不尽に……大切なモノを奪っていく。我々に、軟派な弱さは許されない」


 一触即発。部屋全体に緊張が走った。

 聖徒会副会長と騎士隊総長補佐。学院内でも高い実力を持った二人の剣吞な空気に、他の騎士隊たちは冷や汗を浮かべた。


 今にも剣を抜きそうな両者の間に、フラクは割って入った。


「やめろ、副会長」

「フラク。ですが、彼女はあなたを侮辱して」

「俺が弱いのは、事実だ」

「それは……っ! ですが……あなたは」


 アリスが唇を噛む。彼女を下がらせながら、フラクは耳元に「ありがとう」と呟いた。

 途端、アリスは耳を押さえて顔を真っ赤に染めて「べ、別に、わたくしは」と小さく漏らしながら引き下がった。


 エンティはそんな彼女の様子に「お姉さまたんじゅ~ん」といやらしい笑みを浮かべてからかった。


「総長補佐。今回の話、俺が断ったら?」

「あなたには数えきれない前科があります。今回の要請を断った場合、あなたの持つ武霊兵装を押収し、学院から退学を言い渡されることになると思った方がいいでしょう」


 かつてエンティにされたのと同じ脅し文句。しかし今回は剥界のみならず、ウツロとなった不落まで取り上げるという。


「近年は武霊契約者の犯罪者も増えています。学院の卒業資格……あるいは行政から発行されている許可証を持たない者が、武霊兵装を所持した場合、例外なく討伐対象となります。くれぐれも、短慮を起こさないようお願いしたい」

「……分かった。俺が、騎士隊に入ればいいんだな」

「フラク!」


 前に飛び出そうとするアリスをフラクは制した。

 数年前、フラクが地元で神剣を手にできたのは特例的な措置があったからだ。外に出てしまえばそうはいかない。

 騎士隊に所属することも危険だが、武霊契約者全体から指名手配されて追いかけまわされるより、まだマシと言える。


「お前の言葉に従おう」

「賢明です。あなたは素行の割に冷静なのですね」


 相変わらず棘のある物言いだ。

 しかしフラクもこの程度をいちいち気にする性格でもない。


「だが、お前は言ったな。俺には有用性があると。それが証明されなかった場合、お前も信用を失うことになるが、それでもいいんだな?」

「あたしは人選を誤ったことは一度もありません」


 自信たっぷりに言い切った彼女の態度。フラクはあからさまに呆れた様子を見せて、それに他の騎士隊が渋面を作る。


「なら、今回はその眼が初めて曇った記念すべき日になるわけだ」

「あなたは、随分と自分を過小評価するのね」

「そうだな」


 なにせ、フラクは誰よりも、自分自身が嫌いなのだから。


「はぁ~……結局こうなちゃったか~」


 すると、事の成り行きを見守っていたエンティが「やれやれ」といった態度で言葉を発した。


「会長、この者を騎士隊に入れる手続きに関して、後日書類一式をお持ちしますので、よろしくお願いします」

「はいはい、分かってるよ~。でも――」


 途端、エンティの顔が緩さが消えた。瞬間、場の全員に緊張感が走る。


「こっちもさすがに、呪形者とまともに戦えない生徒を、そのまま騎士隊に預けることもできないわけ」

「……それは、こちらを、信用していないと?」


 スチーリアはどうにか平静を保とうとしているようだが、浮かんだ冷や汗と言葉の震えは隠せなかった。


「騎士隊の皆のことは信用してるよ~? でもね、お兄様の心的外傷トラウマ克服とか言って、無理やり前線に立たせるなんて真似をして、『もしも』があった場合……さすがに容赦はできないかな~?」


 スチーリアはごくりを喉を鳴らした。


「では、どうしろと仰るのですか?」

聖徒会うちから、そっちに人を派遣しようと思うんだよね~」

「監視、ですか?」

「やだな~。そんなことしないよ~。なんか最近、学院の周りで呪形者が現れたんだってね? なら、それの対処に、聖徒会が何もしない、ってわけにはいかないよね?」


 静かに、いつもの調子で……しかし一切のおふざけのない、聖徒会長としてのエンティがそこにいた。


「できればわたしが参加したかったけど、生憎とちょっとやることがあってね~。こっちから副会長と書記の二人を送るから」


 ちょうど今、学院にいることだしね、とエンティはスチーリアを見やる。


「同じ学院の生徒同士、協力していこうね、総長補佐さん」

「……承知しました。総長には、あたしから伝えておきます」

「よろしくね」


 彼女からの了解を得て、エンティは雰囲気を緩めた。

 が、彼女は「ああそれとね」と付け加えると、


「この前、学院寮の部屋が吹っ飛んじゃったからさ、わたしの部屋でしばらくお兄様を預かるから」

「それでしたら、騎士隊の宿直室を使えば、」

「夜の学院に? 問題児の生徒を? なにかあったら責任とれる? ていうか君たちでお兄様を押さえ込める?」

「……わかりました」


 可能な限り騎士隊の管理下に置いておきたかったのだろう。しかし、エンティに牽制されてスチーリアは引き下がった。


「じゃ、今夜からよろしくね、お兄様♪」


 ウキウキした様子でフラクの腕にしがみついてくるエンティ。彼女のあまりにも無防備な姿に、騎士隊の面々は唖然としていた。


「お待ちください会長。それでしたら、部屋はわたくしと同じ方がよろしいかと」

「いやいや~。さすがにそれは『い・ろ・い・ろ』と問題あるし、やっぱりわたしが」

「会長、先ほど、所要がある、と仰いましたよね?」

「あ、あれ~? そうだっけ~?」

「確かに言いました。その要件、学院内で終わる内容ですか?」

「あ~……」


 エンティは目を泳がせる。


「ま、まぁ~ね? でもちょくちょく帰ってくるし~?」

「問題のある生徒を、ひとりで寮の部屋に置いておくのはいかがなものかと」

「ぐぬぬ~」


 エンティはフラクの腕を抱いたままアリスを睨みつける。

 そもそもの話、随分な言われようである。間違ってはいないが。


「そういうわけですので、フラクはしばらく……わ、わたくしと、一緒に生活していただきますわ」


 後半からぼそぼそと、蚊の鳴くような声で、真っ赤になったアリスは言った。


 この日、フラクは騎士隊への入隊と、アリスの部屋の引っ越しが決定したのだった。

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