第17話:強制参加

 フラクはその後、高熱にうなされて更に三日三晩、眠り続けた。


 原因不明の昏睡状態だったところに、剝界を抜こうとしたことによる高い心的負担ストレス。体力が落ちていたことも手伝って、カノジョは風邪をこじらてしまったのだ。


 にもかかわらず、そんな状態で長時間、肌寒い外倉庫で外気に晒されれば、体調が悪化するのも当然だ。


 結果。等級試験から一週間もの間、フラクは医務室の住人となってしまったわけだ。


 ――そして、ようやく回復したカノジョは、


「フラク。あなたには生活態度、および学業への態度を改めていただくため、しばらくはわたくしと共に……その、し、寝食を共にしていただきますわ!」


 などと、医務室で制服に袖を通しながら、いきなり現れたアリスに宣言された。

 思わず「は?」と目を白黒させるフラク。彼女は一体なにを言っているのか。

 が、フラクの疑問が解消されるより先に、


「いいえアリス姉さま。それなら姉さまよりも、わたしの方が適任かと思われます」


 アリスと共に、部屋に入ってきたエンティが、張り合うように前に出てくる。

 こんな状況の中、剝界はアリスがフラクの見舞いに持ってきた差し入れのお菓子を、我関せずといわんばかりに貪っている。頬袋をパンパンに膨らませ、表情を緩ませる姿には呆れるしかない。


「如何にお兄様が女性の見た目になってるとはいえ、その心は男性のまま。未婚の男女が一つ屋根の下というのは、姉さまの家名を考慮しても、さすがにマズイのではないですか?」


 その点、自分達は血の繋がった実の兄妹。多少、間違いのような出来事があったとしても、それは身内の触れあいスキンシップに過ぎず、なにも問題ない。


「そんなわけなので、お兄様はしばらくわたしと一緒の部屋に~」

「だ、ダメですわ!」

「え~、なんで~?」


 意地悪い顔でアリスを見上げるエンティ。アリスは顔を赤くしながら狼狽えつつ、「そ、そう!」と身を乗り出した。


「会長は普段からとてもお忙しい身ではないですか? 重要案件に関する判断に加え、呪形者の討伐依頼で遠征は日常茶飯事」

「それは副会長の姉さまも変わりないと思うんですけど?」

「い、いえ、やはり会長よりは、わたくしの方が暇といいますか」

「お兄様のお見舞いの為に、割り振られた仕事を前倒しまくって目の下に隈をつくってまでですか?」

「ぅぐ……」


 ティア―の化粧でかなり誤魔化してはいるが、さすがに会長の目はごまかせないようだ。


「ひとを無視して話を進めるな……俺はどっちの世話にもなる気はない」

「え? い、いえいえお兄様、それはちょっと待ってください」


 と、エンティはすっとフラクに身を寄せ、珍しく焦った様子の妹。フラクは妙に嫌な予感がして眉根を寄せた。


「なんだ、なにかあるのか?」

「いえいえ。ただ~、わたしか姉さま、どちらかの提案を承諾しないと、ちょっと面倒なことになりそうと言いますか~」

「面倒?」


 妹の発言を訝しむ。

 エンティがいきなりわけのわからないことを口にするのは今に始まったことではないが。


「どういう意味だ?」

「いえ……その、先日の等級試験……お兄様がアリス姉さまと『いい勝負』としてしまったことで、ちょっとだけ厄介なことになってまして」


 やたらともったいぶるエンティ。フラクはアリスに視線を移す。

 と、彼女は溜息を吐きながら、


「フラク。今、あなたはわたくしを負かしたことで、注目を集めてしまいました」

「まぁ、お兄様の場合は前から変な方向で目立ってはいたけどね~」

「会長、話の腰を折らないでください……それで今、あなたの処遇について、その、色々と多方面で話が進んでいるのです」

「とりわけ、騎士隊の総長補佐ちゃんがね~」


 と、エンティが語ろうとした矢先、


「あたしが、どうかしましたか? エンティ会長」

 

 医務室の外から、声がした。エンティは「あちゃ~」と額に手を当て、アリスは口を引き結び、剝界は……相変わらず菓子に夢中。


 入り口に目をやると、そこには一人の少女が、幾人かの男子生徒を伴って立っていた。


 見覚えのある少女だ。


 ……確か、以前に森での呪形者戦で指揮を執っていた。


「初めまして、フラク・レムナスね。あたしはスチーリア・ラグーン。武霊騎士治安部隊ブレイドナイトガーディアン所属。総長補佐を任されています。以後、お見知りおきを」


 丁寧な物腰のわりに、その表情には笑みもなく、フラクと目の合った彼女は、眉を吊り上げて表情を険しくした。


 栗色の髪を頭の後ろで一括りに結わえた、俗に言うポニーテールでまとめた少女。面立ちもどこか特徴的で、うっすらと東洋の血を匂わせる。

 腰に刷いた鞘から伸びる柄と鍔の形状も見慣れない。あれは確か、刀と称される武器だったか。


「まだるこしいのは好きではありません。率直に申し上げます。あなたには、今すぐに騎士隊へ入っていただきます」


 入ってください、ではなく、開幕から入れ、という命令。

 フラクは眼を細め、スチーリアと対峙した。


「それは強制か?」

「その通りです」

「なぜ?」


 これまで、フラクに対してはほとんどの委員会からお呼びがかかったことはない。どこも、学院の厄介者を抱え込みたくない、というのが本音だろう。


 ……まあ、一か所だけ、妙に熱く勧誘してくるところはあったが。


 いや、今は別にそこはどうでもいい。

 スチーリアは腕を組み、フラクを睨み据えてくる。


「先日の等級試験、見させていただきました。特・等・席で、ね?」


 彼女の視線は一瞬、エンティへと向き、すぐにフラクへを向き直る。


「身体技能、剣技、状況判断、踏み込みの思い切りの良さ、などなど。総合的に判断して、あなたの等級は赤でも通用するでしょう」

「生憎と、俺は黒服のままだ」

「知っています。等級判定不可……ですが、あたしはあなたを『有用』であると判断しました」


 まるでフラクがこの場から逃げ出すのを防ぐかのように、幾人かの男子生徒が入り口を固める。

 しかしフラクの背後には窓がある。剝界を回収して、この場を離脱することもできなくはないが。


「逃がしませんよ」


 スチーリアも当然、フラクの退路には気付いている。

 或いは、窓の外にも騎士隊の生徒が待ち構えていると考えた方がいいか。


「スチーリアさん」


 と、アリスがフラクと彼女の間に割って立った。


「なんでしょうか、副会長?」

「フラクはまだ病み上がりです。加えてここは医務室ですわ。事前の通達もないままいきなり押しかけた上に、このように大勢で囲むというのはいささか行き過ぎではなくて?」

「そうでしょうか?」


 しかし、スチーリアはアリスの苦言を涼しい顔で受け止めた。


「あたしは、カノジョの実力を正当に評価します。その結果、同行してもらうためには『相応の対応』が必要だと判断したまでです」


 他の青服生徒で、アリスを前にして啖呵を切るような真似ができる者は多くない。

 しかし、騎士隊所属、不在の多い総長に代わって隊の人間を指揮する彼女は、かなり度量も据わっているようだ。


 だが、どうやら彼女はフラクを『警戒』しているらしい。


「たかが黒服の生徒に大げさな」

「あなたが黒服? 冗談じゃないわ」


 スチーリアはまるで仇敵に相対したかのように、フラクへ敵意の籠った視線を送り付けて来た。


「フラク・レムナス……あなたにはこの学院でどれだけの生徒が黒服のまま退学し、卒業していくのか知っていますか?」

「あいにくと興味がない」

「七割です。その年で六割だったり八割とバラツキはありますが、総じてほとんどの生徒が、黒服のままここを去って行きます」

「……だから?」

「この学院に入学した生徒たちは、上の等級に至るための研鑽を怠りません。なぜか。己の役目、使命を知っているからです」


 中世的な面立ちの中で、鋭く釣り上がった瞳がフラクを射抜く。


「力をつけ、いずれは人々のためにその力を振るう。己の努力の証として、生徒は上の等級……青い制服、赤い制服に憧れる……力を身に着けた生徒は、下の者に道を示し、己の力の限り、使命に奉仕する義務がある。だというのに」


 あなたは……スチーリアは下唇を噛み、握りしめた拳を別の手で包み込んだ。まるで、暴れ出すのを抑え込むように。


「あなたは力を持ちながら、責務を果たすことなく、のうのと平和な顔をして周りを欺いて来た! これは、学院への……いいえ! 全武霊契約者への裏切りです!」


 息を荒らげて、信念と矜持をぶつけてくるスチーリアに、しかしフラクは呆れた調子で応じた。


「許しがたい屈辱です! 学院側は、あなたのこれまでの素行から、等級格上げを見送ったようですが……ならば、あなたを更生すればいいだけのこと!」


 すると、スチーリアはエンティに向き直り、


「既に会長とは話がついています。もしも等級試験で、あなたの実力が『騎士隊への入隊に足るもの』と判断できる場合は、その身柄を預かると」

「おい……」


 フラクは後ろを振り返り「てへ」と下を出す妹を睨みつけた。


「いや~、色々と条件を付けないと等級試験での協力を取り付けられなかったからさ~」

「お前な……」


 確かに、アリスを試験に参加させる以上は広い施設……それこそ先の試験で使われた闘技場を使わざるを得ない。

 加えて副会長の実力を拝もうと生徒が押し寄せる事態となり、騎士隊の協力は必要不可欠となってしまった。


「だからすぐにわたしかお姉さまの提案に乗ればよかったのに」


 そうすれば、強引にでもフラクを地方に引き摺りまわすなりして、カノジョを騎士隊から遠ざけることができた。


 エンティはフラクに近付き、


「お兄様、そのまま騎士隊に入ったら、間違いなく死んじゃいますよ」


 と、耳打ちしてきた。

 それはそうだ。なにせ、フラクは対呪形者用の装備である、神剣も聖剣も抜けないのだ。


 これでは、一方的に嬲り殺しにされるのがオチである。


 そもそも、エンティは等級試験が終わったら、すぐにでもフラクの身柄を自分の下で預かるつもりだったのだ。

 学院側が、フラクの素行を理由に等級を上げないだろうことは予測できていた。故に、更生、というスチーリアと同じ理由をでっちあげれば、どうにでもなるだろうと。

 

 フラクという生徒の扱いは、学院側も持て余していた節がある。厄介事を押し付けられるなら、どこでもいい、と判断されるに違いない。


 しかし、


 ……ああ、失敗したな~。もうちょっと早めに動いておくんだった~。


 この際、寝たきりのフラクを無理やりにでも部屋に連れ込むべきだった。そうすれば、こんな面倒なことにはならなかったというのに。


 フラクは溜息を吐き、バツが悪そうにスチーリアに振り返った。 


「悪いが、俺はお前たちの期待しているような力はない」

「っ! ここにきて、まだそのような逃げ口上を!」

「俺は、呪形者と戦うことはできない」

「戯言です! あれだけの力量を持ちながら、そのようなことあるはずが」

「俺は、神霊の力も、聖霊の力も、使いこなせない」


 ハッキリと、フラクは言い放った。彼女には理想の武霊契約者としての姿があるのだろう。

 だが、生憎とフラクは彼女の期待に応えることは、できない理由がある。


「俺は、過去の事件が原因で、神剣も聖剣も、抜くことができないんだ」

「フラクっ、そのことは」


 アリスが咄嗟に割って入る。しかし、カノジョは頭を振ってアリスを制した。


「こいつには嘘を並べ立てても納得してくれないだろ」


 フラクは、正直に、自分の過去について彼女に話して聞かせた。

 不落という神剣と、一体化してしまった件は伏せながら。


「――でたらめだ」


 しかし、スチーリアがなにを言う前に、周りにいた他の騎士隊の面々がフラクに避難の目を向けて来た。


「今更、そんな嘘を並べたてて、我々を欺こうというのか」

「先程の話が本当なら、試験の時に見せたあの力はなんだったんだ?」

「よくもそこまで見え透いた偽りを並べられるものだ。どれだけ実力があっても、その侮りは容認しがたい」


 口々に出てくるのはフラクへの批難。

 これにはアリスも黙っていることはできず、一歩前に踏み出したところ、


「静粛に!」


 スチーリアの一括で、場は収められた。


「今の話には、隊の者が言ったように矛盾があります。その点について、あなたはどう弁明するつもり?」

「……俺には、試験後半からの記憶はない。俺が、どうして剣を抜けたのも、分かってない」

「それを、信じろと?」

「疑うなら、ここで、さっきからそこで菓子をバカ食いしてる神剣を、俺が抜けるのか試してみればいい」

「フラク!」


 アリスが声を上げる。つい先日も、それで辛い思いをしたばかりではないか。だというのに、またそのような目に、自分から遭いに行こうというのか。


「剝界」

「うん?」

「剣の姿になれ」

「え?」


 訝しむ神霊のショウジョ。彼女も数日前にフラクが自分を抜こうとして、どうなったのか覚えている。


「なんで?」

「俺の現状を、ここにいる奴らに知ってもらう必要がある」


 なにも分らないまま騎士隊に連れていかれしまえば、姉に躰を返すどころではなくなってしまう。

 フラクの意図を読み取れたのかは分からないが、剝界は渋々といった様子で、小走りに駆け寄った。

 

「ムリ、しないでよ」

「……それは難しいな」


 すでに、この行い事態がムリなことなのだ。

 神剣になった剝界を手に、フラクは額から汗を垂らす。


「フラク、やはりそれはおやめに」

「いや……」


 発作程度なら、まだ数日気絶する程度で済むかもしれない。騎士隊に入団させられて、命を落とすよりはマシだ。


 フラクは、荒れ狂いそうになる鼓動に汗ばみながらも、柄に手をかけ、鞘から剝界を抜こうと、


「――いいわ、信じます。あなたの話を」


 しかし、咄嗟のところで、スチーリアがフラクを止めた。


 バクバクとうるさいほどになっていた心臓。

 フラクは一息つき、剝界から手を離し、神剣は再びショウジョの姿を取った。


「総長代理!」


 しかし、彼女の後ろで、他の生徒たちが非難の声を上げた。それでも彼女は、フラクを真っ直ぐに見つめ、


「カノジョは嘘を言ってません」


 これまで、ずっと総長に代わって騎士隊を指揮してきたかからこそ、ひとを見る目はあるつもりだ。


「そうですか。あなたにも、理由があったのですね」

「……納得してくれてなによりだ」

 

 これで、フラクが騎士隊に入ってもまともな戦力にならないことが証明された。これで、


「ですが」


 安心したのも束の間。スチーリアはフラクに近付き、


「あなたのような実力者を、遊ばせておくことはできません」

「お待ちなさいな! スチーリアさん。あなた、カノジョをみすみす戦場に送り出して殺す気ですの!?」

「それは誤解です副会長」


 スチーリアは冷静に、アリスと真っ向から対峙し、


「そのいきさつを踏まえたうえで、あたしは――カノジョの心的外傷トラウマを、克服してみせましょう!」


 などという言葉に、その場にいた全員が呆気に取られた。

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