第16話:赦しを問い、それは和解へと

 カノジョとの出会いはフラクが四つの時だった。

 両親に案内されて訪れた屋敷の地下、そこで厳重に保管されていた神剣こそ、のちに彼が契約する事になる『不落』であった。

 

 一見すると儀礼用にも見える華美な装飾。しかし濡れた様な刀身は白金の輝きを放ち、纏う空気は近づく者に畏敬の念を抱かせる。


 担い手が現れるまで、神剣は休眠状態に入る。


 過去に不落が使われたのは八〇年も前。フラクの曾祖父が、最後に神霊と契約を交わした武霊契約者であったという。その彼も戦場で散り、神剣は再び長い眠りについた。


 以降、フラクの祖父、父もまた、神霊と契約する資格を得ることはできず、レムナス家に連なる血統の者の中の誰一人、神剣を眠りから覚ますことは叶わなかった。


 実に数十年。神剣は黙したまま眠り続け、次の使用者が現れるのをずっと待ち続けていた。


 そう――フラク・レムナスと神剣『不落』が、邂逅するまで。


 彼が地下で神剣を目にした瞬間、これまで誰が近づいても反応することなかった神霊が、唐突にフラクの前に姿を現した。


『あら、今回は随分と可愛い契約者なのね』


 神霊はオンナの姿をしていた。薄暗い地下にあって、カノジョの周りだけが淡く輝き、見惚れるような美貌に心を奪われた。


 膝を折り、柔和な笑みで少年を見つめる神霊のジョセイ。目線に高さを合わせ、間近に迫る澄んだ瞳から、フラクは眼を離すことができなかった。


 彼の後ろで、両親と従者たちがにわかに騒がしくなっていくのを気配で感じた。しかし振り返るほどの重要性を、カノジョを前にしては見出すことはできず。フラクの視界は常に眼前の神霊を捉え続けた。


 両親は慌ててフラクへと駆け寄り、彼の手の甲を注視する。そこには、神霊に反応するかのように輝く、ひとつの紋章が浮き上がっていた。


『あ、あの……』

『わたしは不落。お父さんとお母さんから聞いてない? そこにある、神剣に宿る神霊よ』

『しんれいさん?』

『ふふ……不落でいいわ。だって、あなたはわたしと契約するんだもの』

『けいやく?』

『そう。わたしを使って、一緒に怖い怪物から、多くのひとたちを守るの』


 ――あなたには、それができるだけの力がある。


 カノジョは幼子に語る口調と共に、目の前の少年に頭に触れた。ビクリと震えてしまうほど、カノジョの手は冷たかった。


『でも、まだ早い』


 肉体の強度が、神霊との契約に耐えられるほどできあがっていない。このままでは、不落と契約した瞬間、彼の体が自壊してしまう。


『好き嫌いしないでご飯を食べて、いっぱい運動して、君が強くなったら、その時に、改めて契約しましょうね』

「う、うん!」


 幼心に、それはきっと初恋だったのだ。

 息子が神剣と契約できると知った両親は、すぐにフラクを鍛え始めた。

 神剣の担い手として、教育を徹底され、厳しい訓練に明け暮れる日々。


 小さな少年に掛かる重圧。なんど胃の中身を吐き出したか分からない。なんど打ちのめされて、涙を流したかも覚えていない。


 それでも、いつだってカノジョが、フラクが彼の側で、優しく見守ってくれていた。


 傷付いた体を抱き締めて、心折れそうになる少年の支えとなり、慰めてくれた、励ましてくれた。


 フラクがカノジョを『姉』と慕うようになるまで、それほど時間は掛からなかった。


 訓練が終わればすぐにカノジョの下に駆け付け、甘えた。不落は少年にとっての、心の拠り所であり、憧れであり、目標だった。


 どれだけ血反吐を吐こうとも、必ずカノジョに相応しい武霊契約者になるのだと。


 そうして時は流れ、彼が八つになった時、


『うん、これなら大丈夫そうね』

『それじゃ!』

『うん。約束通り、わたしと契約、してくれる?』


 カノジョの問いに、フラクは迷うことなく頷いた。フラク・レムナス、八歳の誕生日の日だった。


 以降、彼は神剣の担い手として、頭角を現し始める。


 両親と共に呪形者を討伐し、訓練施設では自分より一回りも年齢が上の武霊契約者を相手に一歩も引かず、ついには誰も、彼とまともに手合わせできる存在はいなくなっていた。


 時期を同じくして、フラクは同い年の幼馴染である、ドライグ家の長女、アリスの指南役も仰せつかることに。


 月日の流れは劇的に……しかしカノジョと共に過ごす時間は穏やかで緩やかで。命を賭けて呪形者と戦う過酷な日々に、幼い彼が耐えることができたのは、不落という存在が傍にいたからに他ならない。


『不落姉さん。俺、もっと強くなる。町のひと達も、姉さんも守れるくらい、強くなる!』

『ふふ。楽しみにしているわ、フラク』


 同じ名前の武霊契約者と神霊。

 彼らの生活は決して平穏と呼べるものではなかったが、共にあることで心を癒し、癒され、実の姉弟のような時を過ごした。


 ――あの忌まわしい、『獣王』による襲撃が起こるまでは。


 ・・・


「俺は無謀な戦いに挑んで、結局は殺された……殺されたはずだった」


 しかし、フラクは再び目を覚ました。医療機関のベッドの上で、両親や幼馴染、従者たちに囲まれながら、姉によく似た、ジョセイの姿になって。


「なんの冗談だと思った。神剣の担い手は、その命尽きようと神剣を守り通さねばならない……幼い頃から、ずっと聞かされてきた。それが、我が家の家訓の一つだったんだ」


 いや、仮にそんなものがなくとも、フラクは姉である不落を守ることを当たり前に受け入れていただろう。

 フラクにとって姉の存在は、自身の命よりも優先されるべきモノになっていた。


「俺はカノジョが好きだった。きっと、初恋だ。笑ってくれていいぞ。人間と神霊でなんて、ってな」

「……そうね。おかしな話だわ。わたしたちはひとと同じ見た目はしていても、全然ちがうモノだもの」

「ああ、理解できる。でも、子供だった時は真面目に、姉さんに惹かれていた」

「そう……」


 剝界はそれ以上、フラクの気持ちを否定することなく、頷いた。


「だから、カノジョを失って俺は心底に自分を呪ったよ」


 周りからの批難は凄まじかった。しかし誰よりも、フラク自身が己を否定した。

 鏡に映る自分の姿を目にするたびに、なんど自身への殺意を募らせたか分からない。

 実際、何度も自殺を考えた。縄で首を括ろうとしたこともあった。首の、手首の頸動脈を切り裂こうとしたのは一度や二度ではない。


 その度に、自身の躰が誰のものであるかを思い出し、踏み止まった。自分が死ぬのは構わない。しかし姉の躰を傷付けることは……それだけは、どうしてもできなかった。


 フラクは己に価値を見出せなくなっていた。それでもかろうじて、今日まで命を繋ぎ止めてこれたのは、この躰が姉のものであったからに他ならない。


「不落姉さんを失ってから、俺は神剣はおろか、聖剣さえまともに握ることができなくなった……どうしても、怖いんだ」


 躰を抱いて震える主人の肩に、剝界はそっと手を乗せる。

 不遜な態度で接してくるカノジョの本心。触れみて判った。フラクはずっと、怯えていたのだと。


「自分のせいで、神霊が、聖霊が、消えるかもしれない。そう思ったら、お前たちを、抜けなくなっていた」

「そっか……そうなんだ」

「すまない。お前を眠りから覚ましたことは、悪いと思っている。それでも、この躰を姉さんに返すまで、守り抜くためには、どうしてもお前のもつ、鞘の力が必要だったんだ」


 フラクは神剣も聖剣も抜くことができない。そんな自分が、もしも呪形者に襲撃されれば……一体、二体程度であれば倒せるかもしれない。無様でも、逃げて隠れてを繰り返せばいいのかもしれない。


 それでも、フラクは万全であることを望んだ。


 自分の不甲斐なさのせいで、姉を『二度』も失うことは、できない。


「頼む。どうか俺がこの躰を姉さんに返すまで、お前の鞘の力を貸してほしい。それまでに、別の担い手が見つかるよう、手を尽くす。それで、どうか」

「ふざけないで」


 フラクの懇願を、剝界はにべもなく否定。

「当然か」と、フラクは虚ろな瞳で自虐した。

 自分がどれだけ虫がいいことを口にしているか……これを聞かされる相手も、気分がいいものじゃないだろう。


「……すまない」

「謝られたって、許さないんだから。要するに、あんたもわたしを『捨てる』ってことじゃない」

「違う、俺は」

「同じことよ!!」


 剝界は癇癪を起したように声を荒立ててた。


「あんたの事情は分かった。理解できた! でも!」


 理解と納得は別物だ。どれだけ相手の事情をくみ取れても、常に理性的でいることは難しい。神霊も聖霊も、ひとが呪形者と戦うために使われる道具だ。

 

 しかし、カノジョたちには意思も、感情もある。


「わたしは、それでも一緒にいていい、って……言ってほしかった……」


 たとえ、十全にその機能を発揮することが叶わなくとも、契約者から求められれば、それだけでカノジョにとっては十分だった。


「だけど、俺は」


 それでも、フラクは惑う。自分という存在はいずれ消えてなくなる存在。加えて、まともにカノジョを使いこなすこともできない欠陥品だ。必要以上に繋がりを持つことは、互いにとって不利益しかないのではないか。


「いずれ、いなくなるからって? なんでそんなに悲劇的な結末しか考えられないのよ!」


 顔を俯かせるフラクの頬を挟みこみ、剝界は鼻先が付きそうなほどに顔を寄せてきた。その眼に、相も変わらず涙を浮かべて。


「どうして、あんたも、不落っていう神霊も、一緒に助かる道を探そうともしないのよ!!」


 なぜ、初めから諦めるのか。剝界には、それだけがどうしても理解できない、理解したくなかった。


「それは……」


 考えなかったわけじゃない。自分も、姉も、共に生きる道が、本当にあるなら……しかし、その考え方を持つことそのものが、罪なのではないか。


「甘ったれてんじゃないわよ! 自分が消えたいのなんて、結局は罪悪感で逃げてるだけじゃない! 本当にカノジョのことを想ってるなら、また顔を合わせて、謝って、許してもらって……一緒に生きることを望むべきでしょ!?」


 そうでなくては、不落がなんのために、フラクを生かしたのか……わからない。カノジョが語る不落が、カノジョを苦しめるために生存させたとは到底思えない。


 フラクはただ、己に罰が欲しいだけのように、剝界には思えた。


「逃げないでよ! わたしからも、不落って神霊からも!」


 ――生かされたことに対する意味からも!!


「俺が、生かされたことの、意味……」

「わたし、あんたから離れないから! そんなしょうもない理由で、手放されたりなんてしてあげない! 待っててあげるわよ! あんたが、わたしを使えるようになる日まで!」

「随分と気の長い話だ」

「どれだけ眠ってたと思ってるのよ。数百年待つくらい、朝飯前よ」

「ふっ、なんだそれは」


 思わず、小さな笑みがこぼれた。剝界は目を丸くして「なによ、あんたもそんな風に笑えるんじゃない」と唇を尖らせる。


「わたし、本気で怖かったんだから。あんたが神剣を使えないって聞いて……また『使えない』って言われて、捨てられるんじゃないかって」 

「……すまない」

「謝っても、許さない、って言ったでしょ」


 剝界は、フラクの首に抱き着いた。

 なぜ、カノジョがここまで『捨てられる』ことを怯えているのかは分からない。神剣はいずれも強力な力を有した武霊兵装だ。まともな人間であれば、カノジョを手放すなんて選択をするはずはない。それでも、カノジョが怯える理由とは……


 ……今は、訊かない方がいいか。


 フラクが自分の内側を曝け出すのが容易ではないように、神霊という存在もまた、普通のひとと同じく、過去に苦悩を抱えているのだろう。長い時を掛けて、この世界に在り続けた、カノジョたちだからこそ。


 小さく震えるショウジョ。やはり、神霊の躰は、ゾッとするほどに冷たかった。


「ちゃんと、最後まで責任、とってもらうんだから」

「………はぁ」


 まるで、小さかった頃のエンティを相手にしているような気分になった。昔は、よくこうして甘えてきた。


「後悔しても、知らないからな」

「もうしてるわよ、ばーか」


 じがみつくようにして、放してくれないカノジョの頭を、フラクは優しく梳くように撫でた。怒るかと思ったが、神霊のショウジョは黙って、フラクの手に身をゆだねていた。

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武霊学院の最底辺―古代超文明の遺跡で伝説の『神剣』を見つけたけど、用はなかったので置いてきたら後日ソイツに襲撃されることになりました らいと @NOBORIGUMA

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