第14話:本心の吐露

 ここの天井を見上げることになるとは、思っていなかった。


 学院の医務室。

 窓の外から西日が挿して少しまぶしい。清潔感を意識させるような白い天上と壁は茜色に染め上げられている。

 とはいえ、年季のせいか随分とくすんで見える。どれだけ綺麗に保とうと、時の流れからくる劣化には勝てないらしい。


「おはようございます。今回は随分と寝過ごしちゃいましたね」


 意識の端から声がした。見れば、この場には些か場違いな衣装に身を包んだ女性がこちらを見下ろしている。

 メイド服だ。ティアーが身に着けているのと似たようなデザインである。


「……なんでベル姉さんがここにいるんだ?」


 結わえてまとめられた黒い髪。腰下まで伸ばされたそれは艶があり、光の加減で薄く青みがかって見える。垂れた目元は柔和な印象を抱かせ、小さな泣き黒子がほのかに色香を漂わせいる。


 彼女の名前はベスティリス……ティアーの姉だ。

 親しい者からは『ベル』の愛称で呼ばれている。


「なぜか、と訊かれれば、ずっと目を覚まさなかった君の面倒を私が看ていたから、ということになるかしら」


 ティアーと違い表情が豊か。微笑む仕草は可憐でひとを惹き付ける魅力がある。

 微笑みを絶やさない彼女。しかし、だからこそ、その胸の内を読み切れない時がある。そんな女性だ。


「俺は……試験中に倒れたのか?」

「そう聞いてるわ。君、四日も目を覚まさなかったのよ」

「四日……」


 それはまた、随分と長い。

 全身を包む強い倦怠感。以前、剝界の鞘を使った時よりひどい気がした。意識はあるが、まるで体に力が入らない。


「起きれそう?」

「いや……」


 フラクは首を横に振った。


「お腹は空いてない? 喉は乾く?」

「ベル姉さん、俺は大丈夫だから。エルのところに戻ってくれ」

「そのエルちゃんに、あなたを看ているように頼まれたのよ。養護教諭も付きっきりってわけにはいかないから」


 見える範囲で視線を巡らせる。どうやら今、医務室にはフラクと彼女の二人だけらしい。


 ベスティリスはエンティの専属メイドだ。姉妹でそれぞれ別の主人に仕えている。


 しかし元々、二人はレムナス家でフラクの従者として働いていた。


 フラクの母親がレムナス家と離縁した時、二人はそれぞれ、エンティとアリスの従者となった。

 正確には、フラクが二人に、そうしてくれ、と頼んだのだ。

 自分の下にいたのでは、この先ふたりの境遇が悪くなるのは明らかだ。なにせフラクは神剣を犠牲に生き延びた一族の恥さらし。周囲からの風当たりは強く、その煽りを従者である二人も受ける可能性は高かった。


 なにより、フラクの目的は姉に躰を返すことだ。そうなれば、自分はどうなるか分からない。先行きの怪しい主人の末路に、二人を付き合わせることはできない。


 加えて、エンティはベスティリスに懐いていたし、母親は武霊契約者として忙しい身の上だ。一人きりにしてしまうことを危惧していたこともあり、信頼できる彼女に妹を任せた。

 ティアーもあれで、アリスとウマが合うのか、二人でいるところを頻繁に見かけたものだ。

 姉妹を分けてしまうことに危惧はあったものの、二人はレムナス家のいざこざに巻き込まれることなく、エンティやアリスと良好な関係を築けている。


 それに、それぞれの主についた後も、お互い手紙でのやり取りを頻繁に繰り返していたようだ。

 今では、二人の主が学院に入学したことで、姉妹は再会。時間を見つけては近況報告など、ちょくちょく顔を合わせていると話を聞いたことがある。


「とりあえず消化に良さそうなものでも作ってくるわね。隣にいる『その子』が目を覚ましたら、安心させてあげなさい」


 それだけ言って、ベスティリスは医務室を後にした。

 緩慢に顔を横に向ける。

 フラクとベスティリスだけかと思っていたが、ベッドの淵に頭を預けて寝息を立てるショウジョがいた……剝界だ。

 

 目を覚ましてからやけに静かだとは思っていたが、なるほど。カノジョの存在をすっかり忘れていた。

 寝顔はあどけなく、整った容姿でよだれ垂らす姿が、どことなく愛嬌を誘う。

 すると、こちらの動きに気が付いたのか、カノジョは薄く瞼を持ち上げる。


「んぁ? ……ん~……」


 寝ぼけ眼を擦り、おもむろに躰を持ち上げた。


「マスター……起きたの~……」


 むしろ自分の方がまだ半分ほど夢の世界にいるのではないか。カクンと上下する頭。もしかすると、自分が倒れてからずっと、傍にいてくれたのか。


「……ひどい顔だな」

 頬に跡がくっきりとできてしまっている。フラクの言葉に剝界は口を曲げる。


「むぅ~……誰のせいだと思って………………」


 半開きの瞳と視線が交わった。

 途端、カノジョは動きを止め、じっとこちらを見つめてくると、


「マスター!? 起きてたの!? 躰は? 大丈夫? どこか痛いところない? 気持ち悪いとか、吐き気がするとか!」

「……大丈夫だから、少しだけ静かにしてくれ」

「え、ええと……お医者さん、先生……あ、あの変なメイドは? あうあうあう~」


 面白いくらいに取り乱して右往左往する剝界。

 フラクは思わず苦笑し、「落ち着け」と声を掛ける。


「少し体がだるいだけだ。そんなに心配しなくていい」

「そ、そう? なら、いいけど……」


 なおも心配そうに見下ろしてくる色の違う瞳。


「は、早く元気になってよ! それでまた、ワタシを使ってもらうんだから!」


 そして、今度は打って変わって照れ隠しに語気を強めるショウジョ。コロコロと変わる表情に、フラクは思わずカノジョに手を伸ばしかけ――その存在が神剣であることを思い出し、引っ込めた。


「剝界」

「な、なに?」


 名前を呼ばれて、思わずショウジョの肩が震えた。そういえば、名前を呼んでもらったのは、これが初めてではないだろうか。


「試験の時、なにがあった?」


 フラクの記憶は、アリスの壊焔衝天王剣フォーリン・レーヴァティンが発動した後から不鮮明になっていた。

 ハッキリと覚えているのは、鞘の力を全力で使おうとし、姉の……不落の声が聞こえたところまで。


 それ以降の記憶は朧気で、何があったのか、何が起きたのか、よく覚えていない。


 ただ、自分が自分ではない中、意識の片隅では、全力で剣を振るっていたように思う。


 どうにも曖昧だ。


 あの時、自分はいったい、どうしてしまったのか。

 しかし、過去に一度、似たような経験をした記憶がある……そんな気がした。


「覚えていないのね……あんた、ワタシを抜いたのよ。ほんと、ギリギリもいいところで。でも、あの時のあんたは、あんたのようで、あんたじゃなかった」

「抜いた? 俺が、お前を?」

「そうよ」


 フラクは目を大きく目を見開いた。


「俺が、神剣を……」


 姉の不落を失って数年。これまで一度だって、神剣はもとより、聖剣だって抜くことができなかったというのに。

 しかし、剝界の目は嘘を語っているようにはとても見えない。

 フラクも、かつて聖剣を抜こうと試みたことはあった。

 それでも――


「なにをそんなに驚いてるのよ? そもそも、神剣を手にして抜かない方がおかしいってものじゃ、」

「剝界……剣の状態に戻ってくれ」

「え? 別に、いいけど……」


 剝界の言葉を遮るように、無理やり躰を起こしてフラクは命じた。剝界は首を傾げつつ、ひとの姿から神剣の状態に姿を変える。


 手の中に納まった、透き通るような白い神剣。

 フラクはひとつ息を吐き出し、鞘から伸びる柄に手を掛ける。


 途端、


「ぐっ!」


 胃がひっくり返るような感覚に襲われる。思わず口元を押さえ、神剣を視界から外した。


【ちょ、ちょっと。どうしたのよ?】

「問題ない。気にするな」

【気にするなって】


 フラクは再び、神剣と向き合う。それだけで心臓が刻む鼓動は早くなり、ジワリと冷や汗が浮かんできた。呼吸も浅く速く、神剣を握る手も震えている。


 躰が、自分のしようとしている行為を、全力で阻止したがっているような感覚。


【ねぇ、あんた本当に大丈夫なの!?】

「……俺は、お前を抜いたんだな?」

【ま、まぁ……あんたが、っていうよりは、あんたっぽい誰か?】


 曖昧な剝界の返答。フラクはぐっと下唇を噛み、再び柄に手を掛け……ゆっくりと、それこそ慎重すぎるほどに、刃を鞘から抜き――


 直後、視界が赤く弾けた。


「――――――――――――――――――ッ!!!!」


 まるで胸中を鋭利な爪でかき乱されるような感覚。強烈な耳鳴りが襲い、目に見える者は形を失い、歪に歪む。

 フラクは胸を押さえ、荒れる呼吸ののまま、弾かれるようにベッドから転がり落ちた。胃の中身が急激にせり上がってくるのが分かる。


「おっ、ええええええええええ~~~~~~っ!!」

「っ! マスター!? ねぇ、ちょっと!?」


 ひとの姿に戻った剝界が、フラクの急激な変調に慌てふためく。

 なにがどうなっているのか。自分を鞘から抜こうとした途端、こんな……


 床を這いつくばる様に、空っぽの胃袋を何度も痙攣させて、胃液を吐き出すフラク。


「マスター! ねぇ、マスターってば!」


 剝界の声が聞こえる。

 が、フラクは応えることができない。


 フラクは胃の中身を絶えず吐き出しながら、目が覚める直前の夢……その記憶を思い出す。


『わたしが……わたしの存在が、あなたを苦しめているから』


 ……姉、さんっ。


 ――どうか、わたしを忘れて。


 姉と再会する夢。妙に現実味があった気がする。

 だが、それが余計に、自分が姉のことを忘れて、試験で『無駄に』命を賭けようとしてしまったことを思い出させる。


 しかも、それを指摘されたのが、姉からというのが、なによりフラクの胸中を乱し、抉った。


 と、背後で扉が開き、


「――失礼しま……フラク!? どうしましたの!?」

「お兄様!?」


 現れたのは、アリスとエンティ。聖徒会の業務を終えて、フラクを見舞に来たようだ。二人の後ろには、メイドのティアーと、食事を手にしたベスティリス。


「フラク! しっかりなさい! ティアー! すぐにカーマイン教官を呼んできなさい!!」

「承知しました」


 ティア―はすぐに踵を返し、学院の養護教諭を呼びに走った。


「ベル、あなたも」

「はい、お嬢様」


 食事をテーブルにおいて、ベスティリスも部屋を後にする。


「フラク、大丈夫ですか? フラク!」

「はぁ、はぁ、はぁ――っ……」


 アリスはフラクに駆け寄った。剝界は狼狽えるばかりで首を左右に振り、エンティと目が合う。


「なんとなく予想はできるけど……お兄様、もしかしてあなたを抜こうとしたの?」

「え、ええ……そしたら、急にこんな感じで。こ、これ、ワタシのせい? ワタシ、なにか悪いことしちゃったの?」

「……いいえ」


 エンティは静かに首を振る。彼女はフラクの傍らに膝をつき、その背中をさする。


「あなたのせいじゃないわ。だから、そんな風に泣きそうな顔をしなくても大丈夫よ」

「で、でも」


 剝界は恐る恐るフラクに手を伸ばす。しかし寸前でエンティによって優しく拒まれ、「な、なんで?」と腕を引っ込めた。


「お兄様は、神剣も聖剣も、抜けないのよ。抜こうとすると、こうなっちゃうの……」


 動悸、過呼吸、立っていられないほどに、強烈な眩暈に襲われ、手足の震えも止まらなくなってしまう。

 エンティはフラクを介抱しながら、狼狽える剝界に、かいつまんでフラクの過去を語って聞かせた。


「うそ……じゃあ、マスターがずっとワタシを抜かなかったのって」

「抜かなかったんじゃないわ……抜けなかったのよ」

「それじゃ、ワタシがマスターに使ってもらうことは」

「この前みたいな、特別な状況でもない限り、難しいわね」

「そん、な……それじゃワタシ……ワタシ……また……」


 剝界は唖然としたように後ろへと下がり、首を振りながら床にへたりこんでしまった。


「ワタシ……使ってもらわなきゃ……意味なんて……だって、ワタシ…………マスター……」


 まるで親に置いて行かれた子供のように、剝界は床にうずくまるフラクを見つめる。


 苦しそうなカノジョを前に、剝界の瞳から一滴、涙が零れ落ちた。


 ティアーたちが養護教諭を連れて戻って来たのは、それからしばらく経ってからのことだった。


 ・・・


 剝界はひとり、静かに医務室から姿を消した。エンティはベスティリスに、カノジョの後を追うように指示した。

 フラクの状態を聞いてからというもの、カノジョは心ここに非ずと言った様子で、とても一人にはしておけそうになかった。


 一方、フラクは駆け付けた養護教諭のカーマインによって精神安定剤を打たれ、今は落ち着いている。


「――申し訳ないけど、まだ別に仕事が残ってるの。もう大丈夫だとは思うから、ここは任せちゃってもいいかしら?」


 この場にいるのが、聖徒会長と副会長というのもあるのだろう。カーマインはフラクをエンティたちに任せ、医務室を後にした。


「フラク、大丈夫ですの?」

「ああ……悪い。手間をかけた」


 ベッドの上。横になったフラクに寄り添うように、アリスが心配そうに見つめてくる。

 吐瀉物によって汚れた床は、ティア―とベスティリスが掃除した。いつもなら、ティアーあたりが「手間をかけさせないでください」と悪態の一つでもつきそうなものだが、今は静かにアリスの後ろで控えている。さすがに、悪ふざけできる雰囲気ではない。


「お兄様……カノジョを抜こうとしたんですね」

「ああ……おかげでこのざまだ」

「無茶をするんですから」

「悪い……なぁ、エル」

「なんですか?」

「試験は、どうなった? 俺は、いつあいつを抜いたんだ?」

「……やっぱり、覚えてないんですね」


 エンティはフラクを見下ろし、「わかりました」と前置きし、


「説明します。試験の時、お兄様の身になにがあったのか」


 普段のよく回る口調は鳴りを潜め、エンティは訥々とつとつと、先の試験の顛末をフラクに語って聞かせた。


「――そうか」

「はい」

「前にもあったな、こんなことが」

「そうですね。あの時も、お兄様は今回のように目が覚めなくて……でも、お医者様は、躰にはなんの異常もない、と」


 あれはいつだったか。確か、フラクが姉の躰になってしばらく経った時だったか。

 幼いエンティが、一人で町の近くにある森に入ってしまい、それをフラクが追いかけ……呪形者に襲われそうになっていた妹を助けた時だったか。


 正直、あの時の記憶も曖昧だ。エンティを見つけた直後から、次にフラクが覚えていたのは、自室のベッドの上で目覚めた後の事だ。


「ごめんなさい、お兄様……」

「なんでお前が謝る」

「今回の等級試験……あわよくば、以前のようにお兄様が『覚醒』するかもしれいという思惑もありました」


 エンティは少しだけバツが悪そうに、フラクから視線を外した。


「……或いは、神剣を手にした状態で覚醒すれば、お兄様のトラウマも、少しは解消されるのでは、と……」

「そうか」


 フラクは目を閉じた。妹の思惑を聞かされても、特段、怒りのような感情は沸いてこなかった。


 ただ、エンティからは『強い兄』を求められていることは、薄々勘付いていた。


「フラク、少しよろしいですか?」

「なんだ?」


 いつもの揶揄するような態度でもなく、ただこちらを案ずる様子のアリス。フラクは若干の居心地の悪さを感じつつ、彼女の言葉に耳を傾ける。


「申し訳ありません……わたくし、あなたの事情をなにも理解できていませんでしたわ……それなのに、わたくしは勝手にあなたに失望して、その……色々と、言ってしまいました」

「……別に、お前の言葉はなにも間違ってない」

「そんなことは、」

「真面目に研鑽を積んでるお前たちからすれば、俺の態度が最悪な印象なのは当然だ」

「ですが、それには理由が」

「理由があれば、なんでもしていいってわけじゃないだろ」

「それは、そうですが」

「第一、俺は……」


 言いかけ、フラクは口を閉ざした。

 僅かな逡巡。この場にいる者に、この言葉を伝えることは、果たして正しいのか否か。

 

 しかし、フラクは申し訳なさそうに見つめてくるアリスを前に、


「俺がこの学院に入ったのは……不落姉さんに、この躰を返す方法を探すためだ」


 自分に対して、申し訳ない、などと思ってほしくなくて、


「いずれ消える俺の為に、誰にも心を砕いてほしくなかった」


 だから――


「俺は、ひととの関りを、切ったんだ」


 恨まれることを前提に、フラクは己の心の内を全て吐露した。

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