第13話:波濤の予感
――フラク。
懐かしい声に目を開ける。
視界の先、かつて過ごした幼少期の部屋に立っているのがわかった。
視線を右へ滑らせれば、ベッドの淵に腰掛けるジョセイの姿を捉えることができた。
「姉、さん……?」
正面の大窓から差し込む陽光に輝く銀髪。空を思わせる澄んだ蒼い瞳。カノジョは部屋の入り口で立ち尽くすフラクに、優しく微笑みかけてきた。
『ふふ。寝ぼけてるの、フラク?』
耳に届いた声は間違いなく姉のもの。
フラクは咄嗟に自分の躰を見下ろす。
――ショウジョの姿だった。
すぐ左にある姿見に映った自分が見えた。切り取られた四角い反転世界。そこにいたのは、死から蘇った直後の……幼く、愚かな自分自身。
思わず顔が歪む。憤るような、恨むような、泣き出しそうなショウジョ。
が、視界はすぐに遮られ、かわりに真綿を敷き詰めた様な、柔らかい感触に全身を包まれる。
「そんな顔しちゃダメ」
いつの間にか近づいてきた不落が、フラクを抱きしめる。
「姉さん……」
暖かい。これは夢だろう……夢だろうか?
触れる肌の温もりは懐かしく、耳朶を打つ優しい気配はあまりにも
『フラク……ごめんなさい』
「なんで、姉さんが謝るの?」
謝る必要があるのは、むしろ自分ではないか。不落は自分に怒りを、憎しみをぶつけていい。その権利がカノジョにはある。
なのに、なぜそんな辛そうな顔をするのか。
『わたしが……わたしの存在が、あなたを苦しめているから』
「そんなことないっ!」
『ねぇ、フラク』
――どうか、わたしを忘れて。
「無理だよ!」
なぜそんなことを言うのかわからない。フラクは、姉に躰を返すために――
『できるわ……ううん、できてたじゃない』
「適当なこと言わないで! 俺は姉さんに躰を――」
『アリスちゃんとの戦いで、あなたは“死を覚悟できた”でしょ?』
「っ――!?」
思い出した。ここに来る前、フラクはアリスと等級試験で戦った。
アリスの実力、彼女が重ねてきた研鑽を垣間見たフラクは、戦いの中で、アリスと本気で剣を重ねることを望んだ。
果てに、自分はなにを思った。
なにを、思ってしまった――
「ウソ……俺は、自分ごと、姉さんを……」
アリスの最強の技を前に、フラクは鞘の力を全て解放しようとした。
そんなことをすればどうなるか、容易に想像できたはずだ。
最悪、全ての体力を奪われ――フラクは『また』死んでいたかもしれない。
鞘の主である神剣も、訴えていたではないか。
しかしフラクはカノジョの言葉を跳ねのけ、アリスと真っ向から対峙することを選んだ……選べてしまった。
仮にもし、フラクが鞘の力を全力で解放していたら、フラクの精神は、この躰もろとも――
「違う……違う違う違う! 俺は姉さんのことを忘れたことなんて、一度だって!!」
『フラク』
「違う!!!」
『いいの、フラク』
腕の中でいやいやと首を振る幼子を、不落は受け止めた。
嗚咽を漏らす愛しい“弟”の髪を撫で、強く胸に抱く。
すすり泣く声、フラクは姉の腰に腕を回して、抱き着いた。
まるで、ココロまで過去に回帰したかのように。
「ごめんなさい……ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」
『大丈夫よ、わたしは何も怒ってないわ。むしろ、嬉しかったの』
あの時、確かに
いつもは、
そんなカレが、自分の意志で、アリスと本気で相対することを望んだのだ。
嬉しかった。本当に、嬉しかったのだ。
『フラク』
「……」
『どうか、今を認めてあげて。自分も、周りも……そうすれば』
――きっと、わたしを克服できるわ。
自分はフラクにとっての障害でしかない。どうか、カレにはなんのしがらみもない、自由な生を歩んでほしい。
いつの日か、カレの中にある
『アリスちゃんやティアーちゃん、そして……あの神霊ちゃんとも、仲良くね』
ふいに、フラクから姉の気配が遠ざかる。
「っ!? 姉さん!!」
姉の躰は霧のように、静かに霧散して消えていく。
あとにはポツンと、
・・・
「――納得いきませんわ!!」
試験から三日後。
聖徒会室。アリスはテーブルに手を叩きつけて怒声を上げた。
「あのひとがなぜ『等級判定不可』なのですか!? それも、会長や騎士団総長と同じ『白服』ならまだしも、現状維持だなんて!」
アリスの剣幕に、「いや~」とバツが悪そうに頬を掻くエンティ。
彼女は会長席からアリスを見上げる。
「わたしも一応は抗議したんだけね~」
「もっとちゃんと訴えてくださいな! ともすれば、わたくしと同じ役職にフラクを据えても問題はないはずです!」
カノジョが見せた力はそれだけの価値があるものだ。さすがに白の制服とまではいかずとも、確実に赤い制服が与えられるだけの実力は試験で示したはずだ。
なにせ、本気の焔王妃の喉元に刃を通したのだ。あれが本気の殺し合いだったなら、今ごろアリスはこの世にいない。
尤も、『アレ』が
試験の終盤。神剣を抜いたフラクは、髪の色と瞳の色が違っていた……その口調や雰囲気さえも。
しかし、合わせた剣技は間違いなく彼のもだった。
喉元に引っ掛かりを覚えるような終わり方だったのは、いささか気になる部分ではあったものの……が、それでも等級判定不可という学院側の結論には異論を唱えざるを得ない。
「フラクの剣技は完璧でしたわ。技量だけなら間違く、」
「学院最強、でしょ?」
「そうですわ! 加えて、あの神霊の力……あの時のフラクの口ぶりから察しますに、空間に干渉できる能力と推測できます」
「でしょうね。アリス姉さまとの距離を一瞬で詰めたり、防御をすり抜けてたし」
「それだけではありませんわ。わたくしの
効果範囲はいまだ不明だが、こと白兵戦なら間違いなく最強の能力だ。なにせ、間合いもへったくれもなくなるのだから。加えて防御無視の一撃まで放ってくる始末だ。
「まさしく神剣の名に恥じない力……そして使い手の技量も申し分なし。これだけのものが揃ってて、なぜ等級判定不可などと……っ! 学院は、優秀な武霊契約者を求めいるのではないのですか!?」
「そうね~……う~ん……」
試験当日はフラクに対して随分と失念していたアリスが、ここまで態度を変えて熱くなるとは。
やはり、彼女にとってフラク・レムナスという存在は、どうあっても『特別』という枠組みから抜けることはないらしい。
「まぁ、理由だけなら色々とありますよ」
建前、とも言いいますけど……と、エンティは前置きした。
一つ。フラク・レムナスの力の全容が不明確。
先の試験でカノジョが見せた剣技は確かに見事ではあった。しかし肝心の神霊の力を解放したのは試験も終盤、それもほんのわずかな時間だけ。
加えて本人は能力を申告する前に昏倒、今も医務室のベッドの上だ。よって、神剣の能力を正確に把握することができず、等級の判定は難しいという。
二つ。フラク・レムナスの試験に対する態度。
試験の前半、カノジョは神剣を抜く素振りも見せず、終始ウツロを用いて戦闘を行った。学院の等級試験の趣旨は本人の戦闘技能、そしてなにより、武霊の能力を加味して実力を計ることだ。それにも拘わらず、フラクは試験で力を出し惜しみ、試験官や教官に対して判断材料をギリギリまで提示しなかった。
実践訓練であれば、手札を隠すというのも立派な戦術ではあるが、こと今回に限っていえば、出し惜しみは『本気で試験に挑む気がない』と判断されても文句は言えない。
そして、三つ。
先の試験に対する態度を含め、フラク・レムナスの学院での評判を鑑みた結果――
「悪目立ちしている問題児に、いきなり上の等級を与えるのは、他の生徒に対して示しがつかない、っていうね」
この学院は規律を重んじる傾向が強い。力ある者が、無秩序に力を振るえばどうなるか……実際、ここ十数年で武霊契約者で構成された犯罪者集団が増えているという。
これに対し、学院側も卒業生からそういった輩を出すわけにはいかないと、締め付けは一般的な教育機関と比べて厳しい傾向がある。
「正直、お兄様を退学させるべき、って声は多いんです。でも、お兄様は『レムナス家』の長男ですし、暴行や窃盗、異性での揉め事といった問題は起こしてませんから。ギリギリ在籍を許されてる、って感じです。あと、わたしもちょいちょい裏から手を回したり、ね?」
「最後のは聞かなかったことにしておきますわ。ですが結局のところ、学院がフラクを等級判定不可と判断したのは、」
「ある意味、お兄様の自業自得ですね……まぁそうは言っても、わたし自身、これで良かったとも思ってるわ」
「……それはどういう意味ですの?」
アリスの眼光が鋭くエンティを射貫いた。
フラクに試験を受けるようにけしかけたのは彼女だ。
その本人が、今回の結果を良しと断じた。
試験でフラクと手を合わせたアリスとしては、看過できない
発言だ。
「そう怒らないでください。お兄様の今の力量を知りたかっただけ……学院ではひた隠しにしている、その実力を……」
授業も課題もまともに受けることなく、本来であれば、武霊がいなくとも一定の評価を受けられるだけの力を持ちながら、フラクは学院で腐ったように日々を送っていた。
「本気でアリス姉さまとぶつかれる機会を作れば、さすがに今のお兄様でも真面目に戦ってくれると思ってました」
なにせ、あれで身内にはかなり甘い傾向がある。態度こそ素っ気ないモノの、元々が大のお人好しなのだ。
「結果は上々。お兄様はちゃんと『今』の持てる力を出し切って戦ってくれました。剣技の冴えも、戦況の分析能力も、全て申し分なかったわ……ただ、やはり
アリスから目を逸らしたエンティに、アリスは首を傾げた。
「会長、なにを仰って」
「お姉さまは本当に、お兄様がわざとギリギリまで神剣を抜かなかった、と思ってますか?」
「それは……」
実際、フラクは『あの姿』になるまで、神剣を抜くことはなかった。アリスはそれを、カノジョの侮り、と判断し、怒りさえ覚えた。
もし仮に、もっと早くフラクが神剣を抜いていたなら、アリスはすぐにでも敗北を喫していた可能性が高い。
むろん、そう簡単に倒されるほど、自分もヤワではないつもりだ。それでも、かなりの苦戦を強いられたのは間違いない。
アリス自身、フラクの矛盾した戦い方に疑念はあった。
しかし、エンティの口ぶりは、まるでフラクが、神剣を抜きたくても抜けなかった、と語っているようで……
「その通りです。お兄様は、神剣も、聖剣も……本人の意思では抜くことができないの」
「っ!? なんですかそれは!?」
思わず身を乗り出すアリス。
エンティは静かに息を吐き出し、口を開く。
「心的外傷……お兄様は、不落お姉さまを失った心の傷が原因で、神剣や聖剣を抜くことができなくなってしまった」
「そんな……いえ、ですが試験では」
「あの時のお兄様は、本当に純粋な、お兄様でしたか?」
「……」
アリスは口をつぐむ。記憶にある、あの銀月のような髪をしたフラクは……
「あれも、お兄様と言えばお兄様です……ですが、決して純粋なお兄様ではない」
「なら、やはり不落お姉さま」
「違うわ。もし、本物の不落お姉さまなら」
あんな全力で踏み込むような戦い方はしない。
「たぶん、混ざってるんじゃないかしら……本人から話を聞いたことはないけど、わたしはそう考えてる」
「……分かりませんのね、結局」
「そういうこと。でも、ハッキリしているのは、あの状態じゃない限り、お兄様は神剣を抜けないということ。少なくとも、今のところは」
過去、エンティがあの状態のフラクを観たのは、一回だけだ。
「武霊の力を使いこなせないなら、戦場で死ぬだけ……だからこそ、お兄様に現状維持の判断が下されたのは……まぁ良かったのかな、ってね」
兄はまだ戦える。心の傷さえ回復すれば、きっと最高の武霊契約者になるはずだ。
しかし今、フラクが呪形者とまともに対峙してしまったら……最悪の場合、何もできないまま殺されるかもしれない。
故に、エンティは今回の結果にそこまで声を上げなかったのだ。
しかし――
「でも、ちょっとだけ厄介な話が来ててね~」
「はい?」
「実は……お兄様が騎士団に拉致されちゃうかもしれなくて~」
「は~~っ!?」
エンティの言葉に、アリスは目を見開いた。
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