第12話:銀月と紅蓮の等級試験―後編

 それは、ほとんどの者が予期していたなかった事態であった。


 学院の最底辺。歴代最悪の問題児。留年までした挙句、なおも学院に居座れるほどに厚い面の皮。

 嫌悪の対象であるウツロを、何食わぬ顔で愛用する変わり者。

 そればかりか、学院で最も重要視されている聖霊との契約すらできず……武霊兵装を用いて行われる実技の課題は、全てが逃げ回って終わりという、散々な有様である。


 およそ、フラク・レムナスというオンナの評価は、当然という他ないほど、著しく低い。

 最低最悪と言って間違いないだろう。


 かの焔皇姫が、戦場を炎の海に変えた時、観客席にいた大半の者は、フラク・レムナスが無残に焼かれ、地に伏せる様を幻視した。


 それほどまでに、状況は一方的なはずだった。


 それが、どうだ――


 最初は逃げ足だけに気を取られていた生徒、教官たちの中から、少しずつ違和感を抱く者が出始める。


 当たらない……とにかく、当たらないのだ。


 焔皇姫が繰り出す一撃、一撃。幾重にも張られた炎の重奏。もはや視認するだけで眩暈を起こしそうな烈火の濁流の中、フラクは最小の動きと見切りだけで、決して致命打を受けない。


 それも、全く武霊の力を使うことなく、だ。


 それがどれだけ異常な事態であるか。


 黒い制服の生徒たちは、いまだ逃げ足ばかりに気を取られているが、そんな次元の話ではない。

 赤と青の制服に袖を通した生徒たちは、目を細め、首を伸ばし、口角を上げ、あるいは歪め、フラク・レムナスという人物に釘付けにされてしまう。


 一体どれだけの修練を重ねれば、どれだけの修羅場を潜り抜ければ、あんな芸当ができるというのだ。


 口惜しい……あれだけの戦いができる者が、なぜその手にある『力』を振るわない。


 アリスが言うように、アレが本当に神剣であったなら、使わない道理はないはず。


 果たして、フラクの真意は……


「ふふ……」


 ただ一人。聖徒会長のエンティだけが、顔に不敵な笑みを張り付け、嗤った。


「今回は観れるかもしれないわね……『また、あの姿』を」


 視界を上げる。まるで空が燃えているかのようだ。視界を埋め尽くすような灼熱の獄焔。

 立っているだけが肌が炙られる熱波。


 アリス・ドライグと儘焔聖霊イフリータが放つ、最大火力にして最大範囲の技――


 壊焔衝天王剣フォーリン・レーヴァティン


 ひと固まりに見えるそれは……その実、九つの巨大な火炎剣が放つ炎によって、ひと振りのように錯覚させられているだけである。


 形こそ剣のような形状をしているが、実態は一つ一つが高威力の爆裂弾となっている。

 着弾と同時に九つの火炎剣が連鎖的に爆発……その威力は、この闘技場を半壊させるほど。


 結界を張っている騎士団や教官たちの顔に冷や汗が浮かぶ。多重結界による防御は並大抵の力で破られるものではない。

 が、展開された超威力の技を前に、果たして結界はもちこたえることができるのか。


 たった一人の人間相手に使っていい技ではない。


 ――これが学院で聖徒会副会長の座に就く者の力。

 

 フラクの力量を前にした者も、これだけの力の奔流の前に、何の手の打ちようがあろうか、と、今度こそフラクの敗北が決定的なモノであることを悟る。


【なによあのでたらめな攻撃!? あんなの当たったら、あんたバラバラになっちゃうわよ!?】

「…………」

【ねぇ聞いてんの!? 早くワタシを抜いきなさい! そうすれば――】

「いや……」


 フラクはウツロを腰に戻し、神剣を鞘に納めたまま眼前に構える。


「最大出力でアレを迎え撃つ」


 神剣の……鞘の力。

 絶対的な守護結界の展開。その代償として、まるで生命力を吸い取られるかの如く、体力を消耗する。


 フラクもまだ、鞘の力を完全に制御しきれてはいない。

 先日は、アリスの獄焔浄化インフェルノを防いで気絶した。


 果たして、あれだけの高威力の攻撃……しかも、実際は一撃ではなく、九つの連鎖爆撃に耐えなければならない。


 となれば……


【ねぇ、まさかとは思うんだけど、使うつもりじゃないわよね?】

「それ以外に道はない」

【正気!? 本当に死ぬわよ!?】


 そうかもしれない。この力はあまりにも体力の消耗が激しすぎる。

 絶対的な防御の代わりに、使い手を限界まで消耗させる。


 神霊は言った。自分がいなくては、本来の力も発揮されず、また代償も高くつくと。

 きっと、その言葉は本当なのだろう。

 フラクも、鞘の力があまりにも使い勝手が悪すぎることには気づいていた。

 守りが硬いということは、言ってしまえば持久戦に持ち込むということだ。

 しかし鞘は使用者の体力を持って行く。下手をすれば意識さえ奪われそうになるほどだ。これでは、長期に渡って戦うなど無理な話である。

 短期で勝負を決められるような力でもない。

 にもかかわらず、この燃費の悪さだ。


 もはや、神霊の言葉は疑いようがない。


 ……それでも、俺は。


 フラクは迫る獄焔の巨大な剣と対峙する。

 あるいは、剝界が言うように、力の代償によって死ぬかもしれない。

 

「すまない」


 フラクは意識を集中させる。


【やめて! ねぇ!? やめてってば! 本当に死んじゃう!!】


 剝界の悲痛な声が聞こえる。

 これはただの試験だ。命を賭けるようなものじゃない。

 それでも――本気で戦うと決めたのだ。


 ならば……今の自分にできる、最大の力でもって臨むは必至。

 

「お前は抜けない……抜けないんだ……っ!」

【マスター!!】


 なおも剝界じぶんを抜こうとしないフラクを呼ぶ声は、非難のようで、悲鳴のようで……


 カノジョは、鞘の力を最大出力で解放すべく、意識を集中させた。


 途端――


 ――……だめよ、フラク。


「っ――!?」


 バチンと、フラクの胸中で火花が散るような衝撃が走った。

 まるで雷に打たれたように……フラクのアタマは、だらんと下がり、


【マスター!? どうしたのよ!?】


 まだ鞘の力は発動していない。

 にも関わらず、フラクの瞳からは光が消えていた。

 もうアリスの攻撃は目前にまで迫っている。


【マスター!!】


 剝界の叫びと、壊焔衝天王剣フォーリン・レーヴァティンが着弾するのは、ほぼ同時であった。


 九つの火炎剣は戦場を瞬く間に白の光に染め上げ、騎士団たちが張った結界は綻び、闘技場全体が大きく揺れた。

 極光に視界を覆い、悲鳴を上げる生徒たち。


 それは、地上に生み出されたもう一つの太陽だった。


 結界がなければ……観客席にいた者たちのほとんどが、爆発の衝撃に吹き飛ばされていただろう。

 

 視界を焼くほどの光の奔流。

 

 アリスは儘焔聖霊イフリータの加護の中、太陽の消失までを静かに見守る。


「あっけないものですわね……」


 落胆の声が漏れる。

 純粋な戦士としての力量であれば、フラクは間違いなくアリスを凌駕している。

 技量、戦略、直観……どれをとっても一流だ。きっと、カノジョならあの騎士団のいけ好かない総長を相手にも、互角以上に戦えるだろう。

 

 だが、ここは武霊学院……聖霊、神霊の力を持たぬ者が生き残れる世界じゃない。

 

 ……あなたは強い。それは間違いようのない事実ですわ。


 だが、如何に優れた戦士も、聖霊たちと契約した武霊契約者が相手では歯が立たない。

 聖霊、神霊の力とは、それだけ絶対的なのだ。


「フラク・レムナス……侮りの代償は高くつきましたわね」


 手加減などしなかった。アリスは己の幻想に決着を着けるべく、壊焔衝天王剣フォーリン・レーヴァティンを放った。


 光が収まっていく。視界が徐々に戻り始めた。

 

 アリスは勝利を確信し、医療班の手配に踵を返した――


 が、


「――あはっ……アリス姉さま、試験はまだ――終わってませんよ」


 闘技場の端で、エンティが獰猛な笑みを浮かべていた。


 瞬間、どよめきが生まれる。


 違和感に背後を振り返ったアリスは、大きく目を見開き、驚愕に声を震わせる。


「うそ……」


 晴れた視界の中、フラク・レムレスは、立っていた。

 その手に、鞘から解き放たれた神剣――剝界が握られていた。


 同時に、その姿は、


「フラク……いえ……不落、お姉さま?」


 黒かった髪は、神霊『不落』と同じ、銀月のごとき白銀の輝きを放ち……しかし瞳は、夕暮れ時を彷彿とさせる瑠璃色に染まっていた。


【あんた、誰よ?】


 剝界がフラクに向けて警戒心を剝き出しにした声を発した。

 違う。これはフラク・レムナスであってフラクではない。

 異質で異常で異端で異形……まるで、『自分たちと同質』であり、同時に『自分たちとは相いれない性質』を持った存在。


「散々抜けと言ったのはそっちでしょう」


 フラクは苦笑し、剝界を宥める様に、その身に指を滑らせる。

 楚々として清楚……姿の変化したフラクに、戦場はもとより、観客席からも動揺の声が上がる。


 が、この場で最も心を乱されているのは、


「フラク、その姿は……」

「さすがにマズイと思って、お節介しちゃった」


 アリスの問う声に、フラクの声でフラクでない言葉が応じた。


「もしかして……不落お姉さま、なんですか?」

「違う」


 フラクのような誰かは、即座に首を振って否定する。


「これはフラクでも、ましてやあなたの知る不落お姉さまでもないわ。同時に『どちら』でもある」

「なにを言って……」

「さぁ、アリス。あなたの望む――本気の闘争を始めましょう」

【っ!? ちょっと、まだワタシは納得してな、】


 剝界の声も虚しく、フラクは焼かれて黒に染まった大地を蹴った。


「くっ! 烈火尖バーン・ストラっ、」

「遅すぎるわよ」

「えっ!?」


 牽制の一撃を放とうとしたアリスだったが、その顔はすぐに驚愕に塗りつぶされた。

 まだ十分に距離が離れていたはずのフラクの貌が、すぐ近くに迫っていた。

 もはや吐息が触れそうな距離。


「隙だらけ」

「っ!」


 白い刃が、咄嗟にアリスが構えた両手剣を打つ。先程までとは比べ物にならない衝撃に手が痺れた。


「よく視えてるわね。じゃあ、どんどんいくわよ」


 ちぐはぐだ。放たれる剣技は、どれもかつてフラクが見せたことのあるものばかり。流れ、途切れことなく繰り出される連携。傍から見れば実直で素直な剣筋。

 しかし対峙すればわかる。常にフラクカレの剣は、視角から消え、対峙する者の死角へ的確に切り込んでくる。


 数合、切り結んで理解した。

 目の前にいるのは、紛れもなくフラク・レムナスだ。


 しかし、


「このっ!」


 打ち合ってはマズイ。

 アリスは両手剣を横凪に払い、フラクと距離を取る。

 

 ……くっ、壊焔衝天王剣フォーリン・レーヴァティンの負荷がっ。


 あれだけの大技。代償がないはずもなし。放てるのは日に一度きり。それ以上はアリスの体が負荷に耐えられない。

 

 今も、フラクと剣技の応酬を繰り返すだけでやっとの状態だ。


 それでも、


「っ、こんな、ところで!」


 相手は得体の知れない存在。

 しかし魅せる剣技には確かにフラクの気配が漂っている。

 自分が『ナニ』を相手にしているのか、そんなことは今は考えない。

 ただ、感じる。判るのだ。


 今、目の前にいるのが――フラクであると。


「はぁっ!!」

「っと」


 アリスは僅かに視えた剣戟の隙間に、ありったけの力を込めて両手剣を振り下ろした。

 フラクの躰が、僅かに後ろへと下がったその隙に――


烈火尖穿バーン・ストライク!」


 炎の槍が地面からフラクを強襲した。


「――聖領剝方陣アクティラル


 しかし、槍は触れる直前、視えない障壁に触れて霧散。

 その光景を前に、アリスは悟る。


 先程、自分の最大最強の技を防いだ正体は、コレである、と。


 それでも距離を稼いだアリスは、剣の切っ先を上げ、


獄焔浄化インフェルノ!」


 特大級の火球が放つ。

 しかし、

 

「――空断踏破ゼロ・ドライブ


 神剣が青白く発光。すると、火球はフラクを捉えることはできず、アリスとの間にできていた距離はまたしても一気に詰められていた。


「また!? なんなんですのその力は!?」

「斬ってるのよ、空間を。だから――」

「っ!」


 フラクは神剣を構え、アリスは来たる一撃を迎え撃つべく、両手剣を前に防御態勢を取った。


「こんなこともできるわよ――剥断崩斬アウト・ドライブ


 アリスは我が目を疑った。

 神剣の切っ先は、彼女の構えた両手剣を――すり抜けたのだ。


 ……これが神剣の――剝界の力!


 銀色の軌跡を描く刃。アリスは咄嗟に体を後ろへ投げ出し、受け身を取りながらフラクの一撃を回避。これまで汚したことのなかった制服が、たちまち土に塗れる。

 初見でこれを回避できる彼女も、フラクに負けず劣らず優れた見切りの眼を持っている。


 が、


「よく躱したけど」

「はっ!?」

「これで、終り」


 立ち上がろうと上げた視線の先には、既に次の一撃を放つ段階に入ったフラクの姿があった。


 光を背に、銀色の髪を翻したカノジョの姿。


 アリスは武霊契約者としての矜持を胸に、最後まで目を背けず、神剣の切っ先を睨み据える。


 刃は弧月のごとき軌跡を描き――


 アリスの首に触れる寸前で、


「アリス、ごめんね……」


 剣が、止められた。


「えっ? ……ちょっ!?」


 直後、フラクの躰からガクンと力が抜け、そのままアリスの方へ倒れた。

 顔を赤くしながら動揺するアリス。


「フラクっ、このような場所でなにを!? ……って、フラク? フラク!?」


 しかし、どれだけ彼女が声を掛けても、フラクは目覚めることはなく……カノジョの意識は、完全に落ちてしまっていた。


 これにより、その日おこなわれた等級試験は、様々な波紋を呼び起こしながらも、思いのほか静かに、幕を下ろすことになったのだった。

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