第11話:銀月と紅蓮の等級試験―中編

 最初に動いたのは、フラクだった。

 

 姿勢を限界まで低くした体勢から、一気にアリスへ肉薄する。

 彼女が契約している儘焔聖霊イフリータは、広範囲へ攻撃をばら撒き敵を蹂躙する殲滅型だ。

 一撃の火力は一点集中型と比べていささか劣るものの、その威力は決して侮ることはできない。


 一対多の状況において彼女は間違いなく学院最強。

 しかし、そんな定石が宛にならないほど、アリスの戦闘能力は学院でも群を抜いている。

 

 しかし、技の発動までには意識を集中するための時間を必要とする。


 まずは初手を入れて精神を乱せば、アリスに形勢が一気に傾くのを阻止できるはず。


「――つまらない選択肢を採りますのね」


 が、アリスは迫るフラクになんの脅威を抱く様子もなく、手にした両手剣を軽々と片手で構え、


烈火尖穿バーン・ストライク!」


 地面に突き立てた。

 直後、彼女が突き刺した剣を起点に、地面から真っ直ぐ、フラクへ向けて炎の剣が幾重にも出現。

 直線的な軌道。フラクは横っ飛びに炎の剣を躱し、すぐにまたアリスへと駆けた。


「相変わらず眼はよろしいのね……ですが」

「っ!」

「ただ突っ込んでくるだけのイノシシに用はなくてよ」


 アリスの剣は地面に突き刺さったまま。

 フラクはヒヤリと冷たい警告を背中に感じ、急制動から一気にその場を飛び退いた。

 すると、直前までフラクが立っていた位置から炎の槍が大地を突き破った。

 あのまま進んでいたら、間違くな串刺しの上に全身を焼かれていたことだろう。


「さすがにその程度は躱しますか」

「……随分と小回りの利く技を身に着けたな」

「わたくしを大味な人間のように言わないでくださいませ。自身の弱点を補う術を模索するのは当然ではなくて?」


 アリスは自分の力を十分に発揮するまでに、他の武霊契約者よりも多くの時間を要することを理解している。

 だからこそ、相手を牽制する手段を幾つも考案し、制御するための修練を重ねてきた。


 儘焔聖霊イフリータの力は強大だが、小さく集約して扱うにはいささか難がある。

 それを、アリスは独学と研鑽により成し遂げた。


 ……フラク。あなたが腐っている間、わたくしは更に強くなりましたのよ。


 今日は、そのお披露目。かつて憧れたその背中に手を伸ばし……しかし掴むべき背は、すでに失われてしまった。


「安心さない。仮に全身を焼かれても、この学院なら問題なく治療可能ですから」


 ……わたくしは、


「フラク・レムナス……地に落ちた神童。憐れなあなたに、」


 ……もう、


「引導を渡してさしあげますわ」


 ……一生、あなたに追い付けない。


 追うべき背中は、もういない。

 今目の前にあるのは、ただの腑抜けた空蝉うつせみだ。

 その事実を、アリスは淡々と受け入れた。


 ……少しでも期待したわたくしが愚かでしたわ。


 やはり今のフラクは、かつての『彼』ではないのだ。


「――神焔遥獄界ムスヘルヘイン!!」


 瞬間、儘焔聖霊が吼えた。同時に、闘技場が赤熱したかのような紅蓮に染まる。

 観客席とフィールドを阻むように炎の柱が幾つも出現。逆巻く灼熱の烈風が大気を焦がし、黒く爛れた大地を炎がまるで血河のように這いまわる。


 咄嗟に騎士隊と教官たちの中から、防御に秀でた者が前に出て結界を張る。

 観客席からは悲鳴とも歓声ともつかない声が上がり、フィールドに負けず劣らずの熱気が放たれる。


「無茶苦茶する~。アリス姉さま、かなりキレちゃってるみたいね」


 そんな様子を、薄い笑みを張り付けたエンティが見守っている。


「さぁて、お兄様はどうするつもりかしら……」


 アリスは一気に勝負を決めるつもりだ。

 フラクとの試合に心焦がれていた彼女。しかし期待していた全力の勝負に、フラクはなんの力も持たないウツロで挑み、手にした神剣を抜くこともなかった。

 それが、どれほどアリスの矜持と期待を踏みにじったか……


 エンティは煉獄と化したフィールドの中で、吹き上がる炎を躱し続けるフラクの姿を見つめる。


 ……姉さまには悪いけど、こうなることは予測してたんだよねぇ。


 フラクは、神剣を抜かない。

 どれだけ自身が窮地に立たされようと、決して。


「それでも、学院の焔皇姫に本気で勝つつもりなら」


 普通なら自惚れというほかない。


 だが、今エンティの目の前にいるのは、かつては神童さえうたわれたフラクなのだ。

 その名声は、決して神剣と神霊の力だけで得たものではない。

 姿が変わってしまった兄を目で追う。すると、試合開始前とは異なるカノジョの表情に、エンティは苦い笑いを浮かべた。


「はは。なによ、その貌……嫉妬しちゃいそうになるじゃない」


 エンティの目に映るフラクは、久方ぶりに見せる『戦士の貌』をしていた。

 自分で焚きつけておきながら、自分ではない誰かにそんな表情を向けている事実に、エンティの胸が掻き毟られる。


 フラクは、決してアリスを侮っているわけでも、ましてや手を抜いているわけではなかった。

 カノジョは、今の自分の全力を、アリスにぶつけるつもりで、あの場に立っている。


 こうなると、


「アリス姉さま、そうやって癇癪ばかり起こしていると、」


 ――敗けますよ。


 しかし、エンティの声は、戦場の爆音にかき消され、誰の耳にも届かなった。


「さぁ、舞台を整えて差し上げたのです。炎の演者に導かれ、踊りなさいな!」


 酷薄な笑みを浮かべるアリス。

 

 神焔果獄界ムスヘルヘイン

 儘焔聖霊の力を広範囲へ拡散、契約者であるアリスに最も適した環境に戦場を変換する大技。

 大気を焼く炎も、大地を舐める焔も、全てがアリスから伸びた手足であり、武器。

 彼女は指揮棒のように両手剣を頭上に掲げ、凪いだ。


 直後、フラクの足元から幾つもの火柱が一斉に上がる。加えて、まるで空を泳ぐように漂っていた炎の手指までもが、一斉にカノジョへと襲い掛かった。


【うわわわわわわわ~~っ!? な、なによこれ~!?】

「黙ってろ、気が散る」


 驚愕と動揺に声を震わせる剝界。

 しかしフラクは感覚を限界まで研ぎ澄まし、荒れ狂う炎の重奏をギリギリ掻い潜る。


「1、2……」

【ちょ、ちょ、ちょっ! 早くワタシを抜きなさいってば! そうすればこの状況も――うわぁ!?】


 抗議の声を上げる剝界のすぐ脇を、紅蓮の蛇が駆け抜けていく。

 僅かにでも軌道の予測を誤れば、フラクは一瞬にして躰を焼かれる。


「2、3……」


 しかし、フラクは剝界の声も意識の外に、視界は常に炎を操るアリスに注がれていた。


「3…………1、2…………」


 より正確には、彼女が手にした両手剣である。

 状況を見守っていた観客席の生徒たちから、落胆の声が上がり始める。


『やっぱ焔皇姫が相手じゃ、こうなるよなぁ』

『攻めてたのは最初だけだったわね。あとはずっと逃げてるだけ』

『まぁでも伊達に実技で逃げ続けてたわけじゃないって感じか。しかし、よくもアレだけ躱せるもんだ』

『はぁ……あんな不格好に走り回って……私だったら恥ずかしくて、とても学院にいられないわ』


 外野からフラクへの評価が流れてくる。

 が、その内容に反してアリスは、


 ……っ! なぜ当たりませんの……っ!?


 既に都合、三桁を超える数の攻撃がフラクを襲っている。

 爆ぜる炎、肌を炙る熱風、黒煙が上がって視界も悪い。

 だというのに、フラクはまるで『全て』が視えているかのように、アリスが繰り出す一撃の悉くを回避してみせた。


 並の生徒なら、すでに数十回は焼き殺されている。

 仮に教官が相手でも、聖霊の力を全く使わず、これだけの猛攻を凌ぐことなど不可能なはず。


 炎がかすり、肌を焼き、カノジョが着ている制服はボロボロだ。

 むき出しになった肌はところどころに火傷を負い、一部は黒く皮膚が炭化している……それでも致命傷には至らない。

 

 加えて――


「なんなんですの……」


 フラクは常に、こちらを視ていた。アリスの視界に映るカノジョの貌は、まるでこちらを射貫くように鋭く……アリスの肌がゾクリと粟立つ。


 同時に、ズキッと胸の奥が疼くの感じた。


「フラク……あなたは……」


 久しぶりに見た。カノジョカレの、戦士の貌だ。

 鼓動が早くなる。知っている。自分は、その表情を。


 しかし――


「くっ――!!」


 視界に、抜かれぬままの神剣を収め、アリスは冷や水を被ったように冷静になる。


 ……なにを期待していますの。


 フラクは手を抜いている。仮に神霊の全力を以てカノジョが戦いに挑んだなら、きっと今ごろ自分は、地に伏せている。


 そうなっていないのは……


獄焔浄化インフェルノ! ――円舞驟雨ロンドレイン!!」


 フラクへ向けて幾つもの特大級の火球が放たれる。

 先日、学生寮でフラクに放った技。その威力は、彼女の持つ技の中でも上位に食い込む。

 それが、計六つ――


 果たして、火球は地面に触れ、大地を抉りながら爆散。極大の火柱を上げて大気を焼き焦がす。


 が――


「っ!?」


 フラクは、それさえ全て回避し、なおもあの貌でアリスを見据える。

 気付けば、その距離は徐々にこちらへ迫りつつあった。


 アリスはすぐに両手剣を構えなおし、再び牽制の一撃を見舞おうと振りかぶり、


「1、2、3――4、ッ!」


 大地から炎の剣がフラクを襲う。しかし、まるで先読みしていたかのように、カノジョは炎が触れるギリギリに身を滑り込ませ、


【ちょちょちょちょちょちょちょちょっ!?】

「ぐっ!」


 鞘による結界防護を利用し、遂にアリスの目前にまで迫った。代わりに、フラクのなけなしの体力が一気に削られる。


【なんて無茶な戦い方すんのよ!?】

「少し口を閉じてろ!」

【あんたホントあとで覚えてなさいよ!!】


 使い手と神剣の口論。

 戦場にあって、なんてのんきな光景か。


 しかし、アリスは顔から血の気が引き、後ろに跳ぼうと足に力を入れる。あまりにも距離が近すぎる。

 儘焔聖霊の加護でアリスは炎に対して高い耐性を持つ。それでも間近でその力に巻き込まれれば、自滅は必至。

 少しでもカノジョとの距離を開き、再び牽制を――


「――遅い」

「くっ!?」


 だが、フラクの踏み込みの方が圧倒的に速い。

 突き込まれる灰色の切っ先。決して斬れることのない刃。

 しかし、打撃や刺突はいまだに有効。加護が消えた武霊兵装は、決して呪形者の脅威になりえない。

 だが、こと相手が人間であった場合は話が別だ。


 アリスは真っ直ぐに放たれた切っ先を、手にした両手剣で受けた――受けてしまった。


 ……わたくしが、こんな距離まで!


 驚愕に目が開かれる。

 フラクは珍しく不敵に笑い、口を開く。


「相変わらずクセが抜けてないみたいじゃないか、アリス」

「っ!?」


 思わず頬が熱くなる。こんな時に。

 しかしフラクから、副会長、ではなく『アリス』と呼ばれたのは、果たしていつ以来だろうか。


「連撃を繰り出す際、お前はいつも予備動作から実行までの流れを一定の間隔でやるクセがあったな……まだ治ってないとは、思わなかった」

「あ、あなた! ずっとソレを確認しながら戦っていましたの!?」


 炎の中、アリスを視界に収め続けたフラク。


「まさかと思って突っ込んでみれば、案の定だったな」

「まさか……はじめから!?」


 フラクが一番最初に突っ込んだ時……アリスはカノジョの接近を牽制した。その時点で、フラクはアリスの癖がそのままである可能性を見出した。


 荒れ狂う炎の乱舞は、全てアリスの動きと連動していた。攻撃の時期さえ見極めることができれば、それは理論上、回避可能な攻撃となる。


 鍔迫り合いの状況のまま、両者の視線が交差した。


「どれだけ攻撃の手数を増やして範囲を広げても、それを操ってるのはあくまでもお前ひとり。思考が一定なら、回避はそう難しくない」

「でたらめですわ! そんなもの、相手の行動や癖を全て把握でもしてない限り!」

「ああ、そうだな。さすがにお前じゃなかったら、無理だった」

「っ――」


 フラクの言葉に、アリスの顔が更に熱を帯びた。


「お前だから、次の攻撃も読み易かった。お前はいささか、素直すぎる」


 フラクを襲った一撃は全て奇をてらったものではなかった。絡め手ではなく、あくまでも正面から。フラクを全力で叩き潰しに来た。

 だからこそ、フラクはアリスの攻撃を読み切り、掻い潜り、こうして肉薄することができた。

 

 しかし、そんなものは言葉で言うほど容易くないことは、アリスが一番よく理解していた。


「お前の真っ直ぐさは美点だが、もう少し手癖の悪さも身に着けた方がいいぞ」

「くっ! 余計なお世話ですわ!」


 アリスは力任せに、フラクをウツロごと弾き飛ばした。


「御託を並べているわりには既に満身創痍ではないですか! 神剣も抜かず、手を抜いたままわたくしと戦って……どうせ本気で勝つつもりなど、最初からなかったくせに!!」


 涙を飛ばしながら、アリスは両手剣をフラクに叩き付けた。

 しかし、実直すぎる剣を、フラクは回避することなくウツロで受け止める。


「お前、なにか勘違いしてないか?」

「ぐぅ、何を……っ!」

「俺はこの戦い――」


 フラクは、濡れた幼馴染の瞳と真っ直ぐに向き合い、


「本気で勝つ気で戦っている!」

【うぇ~!?】


 フラクはもう片方の剝界を突き上げ、アリスの体勢を無理やり崩しに行く。

 しかし、そこはさすがの赤服。すぐに姿勢を整えて牽制を入れてくる。


「嘘ですわ!」

「嘘じゃない! お前は、本当に強くなった……覚えてるか? お前、いつも訓練の時にベソをかいたな」

「い、いつの話ですか!?」


 アリスの顔が羞恥に火照る。しかしフラクは構わず、


「打ち込みで俺に敗けて、すぐに泣いて……それでもお前は、諦めなかった……」

「や、やめなさい! そんな昔の話!」

「何回打ちのめされても、何度でも立ち上がって、挑んできた」


 覚えている。アリスはフラクと剣の稽古をするたびに、彼に敗北しては泣いていた。それでも、どれだけ転がされても、べそをかきながら立ち上がり、向かってくるのだ。


「俺も、最初は適当に流すだけでいいと思っていた。こんな試験に……こんな戦いに、なんの意味があるとも思えなかった」


 だが、


「なのに、お前は儘焔聖霊の力を、俺の想像以上に使いこなしていた……最初に見せられた技には、本当に驚かされた」


 あれがどれほどの修練の先に身に着けた技であるか。幼馴染故に、理解できた。理解できてしまった。


 そうなってしまえば、もう……


「そんなお前を相手に、手を抜くなんて真似がっ、できるはずがない!」


 アリスの成長は、フラクの中に眠っていた戦士の魂を揺さぶり、無理やりたたき起こした。


「……嘘」

「なに?」


 ギン、と金属同士が擦れるような派手と音と共に、二人は一斉に弾かれ、僅かに距離が開く。


「嘘ですわ……嘘ですわ嘘ですわ嘘ですわ!!!」


 アリスは、声を荒立ててフラクの言葉を否定する。


「本気で勝つ? なら……ならなぜ神剣を抜かないのですかっ!?」

「っ……」

「あなたは神剣を手に戦いながら、その刃をわたくしに向けることはなかった……あなたの力量なら、神剣を以ってすればすぐに決着がついたはずです!!」


 それは、まるで慟哭にも似た叫びだった。


「アリス。俺は、」

「気安く、わたくしの名前を呼ばないで!!」


 瞬間、儘焔聖霊がアリスから離れて頭上高く飛び上がり、空中で制止した。


「終わりにしましょう……今度こそ! わたくしは――」


 アリスが剣を頭上に掲げる。


「自分の中にある、あなたの背中幻影を、過去ごと全て葬りますわ!!!!!」


 甘い夢を見ていたのだ。縋って、溺れていた。

 だからこそ、こんなにも今、胸の内が苦しくて仕方ない。


「猛り、天上を焼く業火となりて、一切を呑み込み焼き尽くしなさい!!」


 仰ぎ見た先……儘焔聖霊の周囲に九つの火炎剣が出現。

 それは精霊の手によりまとめ上げられ、炎の天蓋と見まがうほどに巨大な、一振りの剣へを変貌――


「――壊焔衝天王剣フォーリン•レーヴァティン!!」


 大地に立つ矮小な存在へ向けて、アリスの最大最強の技が、放たれた。

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