第10話:銀月と紅蓮の等級試験―前編

 フラクの等級試験の日取りが決まった。


 三日後、学院都市のど真ん中に建設された、中央合同大修練場――通称『闘技場』にて実施されることとなった。

 半径200mにも及ぶ大規模施設。

 部隊連携の基礎修練を始め、学年対抗で行われる組織戦、最後の一人になるまで戦い続ける生存戦略戦、などといった、多人数形式の実践訓練に使用される。

 また、年に一度、学院が敷地を一時的に開放して行われる催し、演武の舞台としても利用。他、勝ち抜き形式の武闘大会開催の場としても用いられる。


 故に、基本的に一人のために、この規模の施設を使うということはまずない。

 しかし今回は、試験を担当するアリス・ドライグの儘焔聖霊イフリータの能力を考慮した結果、学院本校舎裏手の修練場では周囲への被害が大きいと判断。

 加えて、聖徒会長エンティからの指示ということもあり、なかば特例的に闘技場の使用が認められた。


 しかし、ほとんどの教官や生徒からは、

『あの能ナシのために闘技場を使うなんて……』

 と、否定的な声が多かった一方、

『聖徒会副会長の実力を間近に見られる』

 なんて生徒の声も多かったという。


 聖徒会所属の生徒たちは、地方に発生した呪形者たちの対応に派遣されたり、有事に備えて行事への参加を見送ったりと、学院内でその力を拝める機会は意外と少ない。

 とりわけ、アリスの契約している儘焔聖霊イフリータは広範囲へ影響を及ぼす能力ということもあり、学院内でその実力を発揮することはほとんどなかった。


 そのためか、今回は珍しくフラクを応援する声もあったりする。

『副会長の力を見るために、できるだけ長く粘れ』と……

 要は誰も、フラクが学院の『焔皇姫レッド・レイア』とまともに戦えるなどとは思っていない、ということだ。


 そして――試験二日前。


 学院都市の北部。本校舎裏手の修練場を挟むようにして立つ建物。

 武霊騎士治安部隊ブレイドナイトガーディアン――通称、騎士隊ナイトの活動拠点。

 所属している生徒は全五〇名ほど。騎士隊は学院の委員会の一つであり、最も規模が大きい組織だ。

 騎士隊は主に三つの班で構成されている。

 学院内の治安維持を主な任務とする取締班。

 学院都市周辺地域に発生した呪形者に対処するための駆逐班。

 最後に、騎士隊内部の動向を自ら取り締る監査班。

 

 スチーリアは、総長室備え付けの通声機に向けて悪態を吐き出していた。腰掛けた机の下では彼女の足が小刻みに床を鳴らしている。


「――非常識にもほどがあります」

『仕方あるまい。あの会長が直々に指示を出したとなれば、学院側も無視できんだのだろう』


 相手は野太い男の声だ。抑揚に乏しく落ち着いた声音。

 しかしスチーリアは通声機の向こう側にいるであろう相手にジト~っとした視線を送りつけた。


「それでもです。普通に考えて、たかだか一人のために闘技場を解放するなんてバカげてます。おかげでちょっとしたお祭り騒ぎですよ?」


 青い制服に金の装飾。栗色の髪をポニーテールでまとめた少女。中世的な面立ちで、どことなく東洋の面影がある。背丈は女子の平均よりやや低い。


「試験ですよ? 遊びじゃないんですよ? なのにですよ? 盛り上がった生徒たちのために観覧席を解放した挙句、その警備を我々が担当しなくてはならないことの是非について、『総長』、納得できるご説明をお願いします」


 通声機の向こう側にいる相手は誰あろう、騎士隊のまとめ役。聖徒会の会長と並び、学院で白に黒の装飾を身に着けることを許された男。

 しかし、スチーリアはそんな相手にも臆する様子もなく愚痴をこぼしていく。


『試験は明後日だ。今さら文句を言ったところでどうにかなるものでもあるまい』

「そもそも! なんで総長も二つ返事で了承しちゃうんですか!? 現場を指揮するのはあたしですよね!?」


 いよいよ声が荒れ始めたスチーリア。括られた髪が盛大に揺れている。

 

 スチーリア・ラグーン――騎士隊総長補佐を任されるほどの才女。青の制服に金の装飾と、戦闘能力も高い。

 先日、フラクが森で見かけた女子生徒は彼女である。

 会長不在の際は、彼女が隊を取り纏めることも多く、騎士隊内での支持率も高い。

 騎士隊には、赤の制服に袖を通した副総長もいるのだが、その人物は総長以上に学院外での活動が多く、ほとんど帰ってこない。


 そのため、騎士隊の実質的なまとめ役は、スチーリアと思っている者も少なくない。


 彼女はひとしきり文句を垂れ長した後、乱れた呼吸のまま突っ伏した。


『今回は“あの問題児”の試験だったな』

「ええそうですよ! こちらの警告も無視して学院の外へ勝手に出たり無断外泊したりとやりたい放題な彼女ですよ!」

『ふむ。一年以上も聖霊と契約できなかった彼女が、今になってようやく契約か。名前は、なんといったか』

「フラクです! フラク・レムナス!!」


 男のような名前だ。格好を始め、言動までもが男臭い。ちぐはぐな印象を抱かせるオンナ。


『レムナス……ふむ』

「どうかしましたか?」

「いや」


 総長の反応に首を傾げつつ、スチーリアは額を抑えて溜息を吐いた。


「はぁ~……正直あたしは、彼女がまともな聖霊と契約できたとは思えません。最悪、ここまでして等級判定不可、なんてことになるんじゃないか心配です」


 学院では聖霊の能力と本人の戦闘適性で一定の水準に満たない生徒を、等級判定不可とすることも稀にある。要するに、戦力外通告、というわけだ。

 そして、その逆もまたしかり。


『あるいは、俺や会長と同等の実力を持っている、という可能性もあるな』

「なんでそうなるんですか……彼女は学院きっての問題児、座学も実技も最底辺の生徒ですよ?」

『ただの底辺の相手を、あの焔皇姫がすると思うか?』

「……」

『俺が今回の件を承諾したのも、そのあたりのことがあったからだ』


 そこはスチーリアも気になっていたところだ。

 聖徒会役員は決して暇じゃない。ましてや学院の底辺で右往左往している生徒の面倒を見ていられる余裕など、とても。


 加えて……


「まぁ、あたしもちょっと気になることはありますけど」

『どうした?』

「先日、学院の周辺で呪形者が発生しまして……」


 学院都市内に住む住民に注意喚起を実施した際、こんな話を耳にした。


「長い黒髪に、黒い制服を着た女子生徒が、森に入っていくのを見た、と」

『それで?』

「なんでも、男物の制服を着ていたそうです」


 学院内で男物の制服を着た女子生徒など、ひとりしかない。

 しかし、学院の周辺で呪形者が確認されるなど、ここ数年の間はほとんどなかったことだ。

 いまだ『魔渦オーブ』も見つかっていない。

 今のところ、発生しているのは一般的な獣型呪形者のみ。そのため、対応事態はそう難しくはないが……


「しかも、先日あたしたちが森で呪形者を討伐した際、」


 ――自分たち以外の誰かが、呪形者を倒した痕跡があった。


「戦闘痕に、聖霊結晶マテリアルと思われる鉱石が落ちていました」


 学院の生徒はすべからく聖霊と契約している。

 入学したての一年ならまだしも、既にあのオンナを除いて、学院の生徒全員が聖霊と契約を果たした。あえて聖霊結晶を使う理由はない。

 聖霊結晶は値段も高く数を揃えるのが難しい。戦果を期待しるには費用対効果が悪すぎる。


「仮にですよ? もし聖霊の力も使わず、単独で呪形者を倒したとなれば」

『青服は確実。いや、もしかすると赤服に該当してもおかしくはない』

「まぁ、それがあのフラク・レムナスである確証はありませんが」

『だが、気にはなっているんだろ?』

「………………ええ、まぁ」


 しばし口をつぐみ、スチーリアは頷いた。


『なら、見極めてみればいい。幸い、その機会は目の前に転がっている』

「そうですね。学院周辺に呪形者が発生、なんて異常事態も起きているわけですし……もし仮に、彼女が真に実力を持っていたなら……」


 その時は――


 スチーリアは通声機に向けた目を細め、息を吐き出した。


 ・・・


 ――試験当日。


 太陽が頂へ上がる頃、フラクは吹き抜けの空を仰ぎ見る。

 学院が誇る闘技場。半径数百メートルにも及ぶ広大なフィールドは綺麗に整地されている。

 辺りを見渡せば、すり鉢状の観客席がこちらを見下ろしている。そこは本来であれば、演武を観に来た者たちのために作られた場所だ。

 しかし今は、その半分以上を学院の生徒たちが埋め尽くしている。


 ほとんどが黒と青の制服。赤い制服を身に着けた生徒は、密集する生徒たちから距離を取り、今回の主役をジッと観察している。

 戦場を囲むように、教官や聖徒会の役員、騎士隊の面々が、有事に備えて立っていた。


「……まるで見世物だ」

【うわぁ、なんかすっごい騒ぎね! ねぇねぇ、今日ってなんかのお祭りだったりするわけ!? 出店とかあったりするのかな!?】

「さぁな」


 屋台はなくとも、商魂たくましい生徒が、勝手に物販をしている可能性もないとは言えないが。

 ウツロとは逆の腰に佩いた真っ白な鞘と剣。興奮した声を上げるカノジョに、フラクはすげない反応を返した。


「――ねぇ、見て。あいつの腰のところ」

「剣、だよな? なんかすっげぇ白いな。あんなんうちの学院にあったのか?」

「あれが、彼女が契約した聖霊の宿った武霊兵装……なんか可哀そうね」

「同感。契約者がアレじゃね……」

「俺、前にあいつの実践訓練見てたんだけどよ、逃げるばっかで全然戦わねぇんだよ。気付くといつの間にかいなくなってるしよ」

「逆に、逃げ足だけは一人前、ってことか」

「そんなのと契約した聖霊って……案外、あいつと似たり寄ったりな、能ナシだったりしてな」

「はぁ~ぁ。なんであんな最底辺の相手なんかを、副会長がしなくてはならないでしょうか。嘆かわしい」

「さぁな。でもこっちとしては、あの副会長が戦ってるところを直に観戦できる機会に巡り合えて、幸運だったけどな」

「いや……そもそもあの底辺と、焔皇姫でまともな戦いになるのか?」


 周囲の観客席から幾重にも聞こえてくるフラクへの嘲り。

 しかしフラクは下ろした視界を閉じ、静かに呼吸を繰り返した。


 ……意味のないことだ。こんな戦いは。


 等級など、所詮は学院が定めた物差しでしかない。

 戦場ではどれだけ力ある存在も、あっけなく命を散らす。油断なく、研鑽を重ね、どれだけのものを積み上げたとしても、それは変わらない。

 ただ、力がある分、死に辛いだけのこと。


 フラクとしては、こんな試験に臨むくらいなら、学院の図書館に引きこもっていた方がまだ有意義と考えている。


 しかし……


『どうかお嬢様と、全力で手合わせしていただきたく思います』


 視界の端。ティアーの姿を見つけた。彼女はこちらの視線に気づいたように、小さく頭を下げてきた。

 先日の彼女の言葉は、いつものふざけた調子とは異なる響きを孕んでいた。

 普段は主をコケにしたような発言を平然とするくせに、いざなると、彼女はアリスのためなら何でもする……本当に、なんでも。


「全力、か」

【……ねぇ】

「全く」

【ちょっと!】

「なんだ」

【さっきから呼んでるんだけど!? てか、なんかあんたの悪口があっちこっちから聞こえてくるんだけど!?】

「気にするな」

【気にするわよ! なんかワタシにまで飛び火してるし! あんた普段、どんな目で見られてるのよ!?】

「気にするな」

【ぐぬぬぬぬ~……】

 

 唸る神剣。フラクは闘技場の真ん中で一人、今日の試験担当を待つ。


「――今回はさすがに逃げなかったようですわね、フラク・レムナス」


 向かいに見える入場口から、一人の少女が姿を見せた。

 輝くプラチナブロンドの長髪に、琥珀のような瞳。深紅の制服に銀の装飾……学院の聖徒会副会長、アリス・ドライグ。

 途端、観客席から歓声が上がる。


【なんか、あんたとは全然扱いが違うんだけど……】

「気にするな」

【またそれ!? あんたそれしか言えないの!?】

「うるさい」

【はぁ~っ!?】

「あなたたち、ふざけてますの?」


 アリスのこめかみに青筋が浮かぶ。


「随分と余裕ではないですか? それとも、神剣を手にして自惚れているのですか?」


 アリスが嫌味を口にした直後、にわかに観客席がざわめき始める。


『え? おい。副会長、今、神剣とか言わなかったか?』

『聞き間違い、じゃないわよね……』

『うそ……それじゃあの白い剣って……』

『いや、さすがにそれはありえねぇだろ。だって神剣つったら、全部どっかで今も管理されてんだろ?』

『学院に寄贈された、なんて話はなかったし……もしかして、新しい神剣が見つかったの?』

『あんな能ナシが、神霊と契約……嘘だろ』


 憶測が飛び交い、先程までアリスに黄色い声を上げていた生たちの関心が、一斉にフラクへを向けられる。


 しかし、それでもフラクは我関せずと、目の前に立つ今日の『敵』に意識を集中させる。


「ふん……神剣は確かに破格の力を有してはいますが、それはあくまでも使い手の力量あってこそ。ただ腰にぶら下げているだけでは、ただの飾りでしてよ」


 アリスが手を掲げると、紅蓮の炎が彼女の体を這いまわり、徐々に掌に収束。

 逆巻くような金の髪、琥珀のような瞳は燃え滾る炎を映し、煌々と輝く。


「あなたにそのムスメを使いこなせるかどうか、視せていただきますわ。さぁ、行きますわよ――『儘焔聖霊イフリータ』」


 静かに、彼女は其のを口にした。

 直後、炎は黄金色に爆ぜ、アリスの手に一本の両手剣が出現した。同時に、彼女に付き従うように、炎の聖霊――儘焔聖霊が顕現する。


「踊り狂わせてさしあげますわ、フラク」

「……」


 アリスに倣うように、フラクも腰から……灰色のウツロを引きにいた。


 瞬間、アリスの眉がピクリと跳ね、周囲からも動揺の声が上がった。


「どういうおつもりですの? これは等級試験と理解しているのですか? 契約した神霊の能力、そしてあなたの力量を見極めるためのもの。それを、なんの力も宿らないウツロで挑むと?」

「心配するな。こいつの力は、ちゃんと使うさ」


 フラクは剣を腰から『鞘ごと』神剣を引き抜く。

 学院ではまず見ることのない、二刀の構え。

 しかし、鞘に収まったままの神剣は、まるで予想していなかった事態に青い宝玉が不規則に明滅している。


【はぁ!? ちょっと!? なにこの構え!? 絶対におかしいでしょ!? ちゃんと引き抜きなさいよ!!】


 剝界から非難の声が上がった。それでもフラクは、構えを解くことなく、アリスと対峙する。

 が、アリスは剣を下ろし、俯いてしまう。


「そう……やはりあなたは……」


 アリスは唇を噛み、失望したように虚ろな瞳をフラクへと向けた。


「いいでしょう。なら、そうやっていつまでも下を向いたまま、無様に地面を這いつくばってなさいな!!!」


 アリスの怒号に感応するように、紅蓮の炎が空へと上がり、大気を焼いた。

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