第9話:名は訊かず、その関係は……

『逃げたら承知しませんわよ、フラク・レムナス』


 別れ際、アリスはフラクに釘を刺して部屋に戻って行った。

 加えて――


「なんでお前がここにいる?」

「そうは言われましても、お嬢様の命令ですので」


 破壊されたフラクの部屋。風通しが良すぎるそこに、フラクと神霊のショウジョ、そして……なぜかアリスの側付きメイドであるティア―がいた。


「レムナス様が、カノジョに変なことをしないよう監視しろ、とのことです」

「するわけないだろ」


 相手は神霊。そもそもひとではない。姿かたちこそひとに似ているが、存在そのものが違う。

 見目で言えば、不落もあの神霊のショウジョも、かなり恵まれた容姿であることは確かだ。

 しかしそれで、フラクがカノジョたちに欲情することはない。


「まぁレムナス様が何と言われましても、私はお嬢様の言いつけを守る義務がございますので。諦めて今夜は同衾されてください」

「おい」

「なんならレムナス様の欲望を私にぶつけていただいても構いませんよ?」

「お前な……」


 ほんのりとスカートをたくし上げるティアー。フラクは思わず眉間を抑えた。彼女ともそれなりに長い付き合いだが、本当に何を考えているのか分からない。


 肩口で揃えられた真っ黒な髪に、前髪の奥に覗く黒曜石のような瞳。人形のような愛らしい面立ちをした少女だ。

 しかし、それこそ人形のように、表情がほとんど変わらない。

 

「お嬢様から『手出しされてはいけません』とは、言われてませんので」

「それで手を出したらお前の主人に殺される」

「でしょうね……まぁ、レムナス様が想像してるのとは別の理由でしょうけど」

「ん?」

「お気になさらず」


 顔なじみの二人は実のない会話劇を繰り返す。『様』づけをしているが、フラクに対してもティアーの物言いは相変わらずだ。


「ちょっと……」


 と、部屋の端から二人のやりとりを見ていたショウジョが声を掛けてきた。


「二人だけで盛り上がらないでよ。ワタシは放置なわけ?」


 青みがかった長いシルバーブロンド。左右で色の違う、まるで翡翠、紅玉のような瞳をもつショウジョだ。フラクが遺跡から持ち出した神剣に宿る、神霊。

 カノジョは部屋の隅から二人恨みがましい視線を送っている。


「申し訳ありません。私はお嬢様からレムナス様の監視を申し付けられただけですので。必要ならレムナス様に構ってもらってください」

「はい? てか、いきなりひと様の部屋に来て、なんなのよあんた?」

「申し遅れました。私、アリス・ドライグ様にお仕えしております、メイドのティアーと申します。別に、よろしくしなくても結構ですので。どうぞ、お構いなく」

「なっ!?」


 いきなりの棘のある発言に、ショウジョは唖然と口を開く。


「な、なによこの失礼な女!」

「いきなりひと様の部屋に押しかけて、壁を吹き抜けにするような方には負けますね」

「そ、それはマスターがワタシを置き去りにしてっ、服だけ持って行ったりするから!」

「もう少し穏便な方法もあったかと思いますが」

「あ、頭に血が上っちゃって……つい」

「浅慮、短慮の極みですね」

「ぐぬぬ~……」


 涼しい顔をして毒を吐くメイドと、言いくるめられてちょっと涙目で唸る神霊。

 フラクは溜息を禁じえず、「ティアー、やめろ」と彼女を嗜める。


「どうした? 今日はやけに攻撃的じゃないか」


 普段は、初対面の相手に礼節を欠くような真似はしないのだか。

 ティアーはフラクに振り返ると、ジト~と半眼で見つめてくる。これみよがしに溜息まで追加して。


「失礼いたしました。初対面のくせに自己紹介もまともにできない輩を前に、少々イラッとしてしまったようです」

「……それだけか?」

「さぁ? 気になるのでしたら、ご自身の胸に聞いてみればよろしいかと」

「またそれか……生憎と、俺のココはなにも喋っちゃくれないんだが?」

「はぁ……このお方は……まぁいいです。それよりも、そこのあなた。いつまでも睨んでないで自己紹介くらいしてはどうですか?」

「な、なんであんたなんかに……」

「では、『全裸襲撃女』と呼ばせていただきます」

「~~~っ! 剥界はかいよ! 神剣『剥界』! これでいいんでしょ!」

「だそうです、レムナス様」


 ティアーがあからさまに、呆れた、と言わんばかりにフラクへ振り返る。


「……そうか。別に興味もない」

「レムナス様?」


 しかし、フラクは顔を逸らし、神霊のショウジョ……剥界を視界入れようとさえしない。

 自身の関心事以外には、とことんそっけない態度をとるカノジョではあるが、ここまで露骨なのも珍しい。


「別にそいつに手を出すつもりもない」


 欲望の捌け口でもなければ、神剣として触れることも、ありえない。


「メイドのお前に風邪を引かせると、また副会長から嫌味を言われる。適当に空き部屋でも借りて、あいつと一緒に寝てくれ」


 それだけ言うと、フラクは二人に背を向けて、焦げたベッドで横になる。

 が、剝界は目を吊り上げてフラクに近づくと、


「ちょっと! またそうやってワタシから逃げるの!? 神剣のメンテナンスもマスターの義務でしょ!」

「なんだメンテナンスって……契約しただけでマスターになった覚えはない」

「契約したらそのままマスターよ! 遺跡からここまで飛んできて汚れてるの! お風呂入りたい!」

「じゃあ好きに入ればいいだろ」

「ちゃんとマスターらしくワタシを綺麗にして!」

「はぁ?」


 なんで俺が、と起き上がると、


「では、ご一緒させていただきます」


 ティアーがいつの間にか手にタオルを用意していた。


「いや俺は行くなんて一言も」

「レムナス様」

「なんだよ」

「臭います」

「…………」

「汗臭いです」

「二度も言うな」

「ねぇ~! お~ふ~ろ~!」


 剝界に肩をゆすられながら、フラクは思わず、自分の臭いをかいでしまう。

 が、正直に言って、よく分からなった。


 ・・・


 フラクは最後まで公衆浴場の使用を渋った。

 ――お前、俺の事情は知ってるだろ、と、フラクはティアーに公衆浴場の前で無駄な抵抗を試みるも……


「昔はご一緒したこともありますし」

「子供の頃の話だろ」

「別に中身がアレでも、そのお姿ですし。私は問題ありません」

「お前は良くても他の女子生徒が」

「今の時間は誰もおりませんよ。もう深夜で、皆様はベッドの中です」


 ちゃんと確認しましたので、と親指を立てるメイド。


「いや、やっぱり俺は」

「いつまでグズグズしてるのよ! ほら入るわよ!」

「おい!」


 いきなり馬鹿力に手を引かれ、フラクは強引に脱衣所へと引っ張り込まれた。

 加えて、


「お手伝いさせていただきます」

「は?」


 ティアーの無駄に高いメイド技術で、フラクは瞬く間に服を全て脱がされてしまった。


「では、この臭いまくってる服は洗濯しておきますので」


 と、彼女は隣の洗い場に消えていく。

 あとには、風呂に入るしかなくなったフラクと、服を鞘に変化させて胸元に抱えた剝界だけが残された。


「あ、あいつ~……」


 フラクは拳を握りプルプルと震えた。あまりにも手際が良すぎる。


「ねぇ早く行こ!」

「っ、おいだから!」


 またしてもフラクはショウジョに引っ張られ、いよいよ浴場へ。


「お前、鞘ごと風呂に入る気か」

「別にいいの。これ絶対に濡れないから。それにまたあんたがこれだけ持って逃げるかもしれないし」


 などと、剝界は鞘を手放す様子はない。

 フラクは改めて浴場を見回す。ティアーが言うように、本当に誰もいない。いくら時間が遅いとはいっても、こうも完全な貸し切り状態になるものだろうか。


「はぁ……まったく」


 なんでこんなことになっているのか。咄嗟に臭いと言われて、姉の躰を汚してしまった、と思いここまで来てしまった。

 今更ながら、もっと強く拒否すれば良かった、と後悔してしまう。

 確かに森の滝壺までは遠い上に、暗い森を掻き分けていくのは気が滅入る。

 とはいえ、一年以上、決してここには近付かないようにしていたというのに……


 ……何やってんだ俺は。


 これまで課していた決まり事を、あっさりと破ってしまったことに自分で驚愕する。同時に、己の薄弱な意思に内心で悪態を吐いた。


「さっさと洗ってこい。俺も躰を洗ったらすぐに出る」

「ちょ! だから!」

「ちゃんと手入れは時間を掛けた方がよろしいかと思いますよ」

「っ!?」

「うわぁ!?」


 いきなり二人の背後からティアーが声を掛けた。思わず振り返るフラクと剝界。彼女は手に石鹸とタオル、香油の入った陶器の瓶を手に立っていた。


「なんでお前はそう平気な顔をして入ってこれるんだ」

「まぁ相手はレムナス様ですし」


 フラクは咄嗟に首を捻った。

 ティアーは当然と言わんばかりに、白い肌を晒している。フラクの精神が男であると理解しているだろうに。

 昔馴染みとはいえ、成長したティアーの素肌を直視するのをフラクは躊躇う。

 が、そんなカノジョに対して、ティアーは逆にマジマジとフラクを凝視する。


「ちっ……」


 すると、ティアーはいきなり舌打ちしてきた。心なしか目から光が消えている。

 

「……私の周りは裏切り者ばかりです」


 脳裏に自分の主アリスを思い浮かべ、目の前ではポヨンと無駄に発育したモノを弾ませたフラク……彼女はどす黒い波動オーラを放った。


 そして、そのまま視線を剝界に滑らせ、


「あなたは慎ましくて好感が持てます」


 がっつりと胸元を見下ろしながら、優しい表情を浮かべた。


「なんでかしら。さっき以上にあんたから悪意を感じるわ」

「まさか。褒めてるんですよ」

「どこ見て言ってんのよ」

「なんでもいいからさっさと済ませて、さっさと出るぞ」


 フラクは天井を仰ぎ、深く長い溜息を吐き出した。


 ・・・


 フラクは「ティアー、コイツのこと、洗ってもらっていいか?」と訊いたのだが……

 剝界からは「ちゃんと自分でメンテしなさいよ!」と噛みつかれ、ティアーも「こういうのは拾ってきたひとが責任を果たすべきかと」と拒否された。


 結局、フラクはしばらく逡巡したのち、剝界の髪と躰を洗ってやることに……


「レムナス様、随分と手慣れておりますね」

「……昔、妹の世話もしてたからな」

「ああ、なるほど。私はてっきり、無断で外に出ては『そういう妖しいお店』に入り浸ってるのかと」

「お前は俺を何だと思ってる」

「少なくとも、女の敵とは認識しております」

「じゃあ入ってくるなよ」


 フラクはショウジョの髪の毛を洗いながら溜息を吐く。

 剝界は「ふにゃ~」と脱力してフラクに身を預けている。カノジョの髪はクセがない。指通りも素直で艶がある。


「背中は洗ってやるが、それ以外は自分で洗えよ」とフラクは剝界の背を流す。

 そんな様子を観察していたティアーはポツリと、


「……不思議です。レムナス様が良いお兄ちゃんのように見えてしまいます」

「見えたら悪いのか……まぁ、俺は良い兄ではなかったけどな」


 フラクは自虐するように頬を歪めて嗤った。カノジョの雰囲気の変化に気付いたのか、剝界が「どうかした?」と振り返ってくる。


「なんでもない。ほら、前を向いてろ。洗いづらい」

「……(色々と矛盾しておりますね、この方)」


 ティアーは小さく呟いた。


「それにしても、シャワーもないのね、このお風呂」

「うん? なんだ、シャワーって?」

「なに、って。頭からお湯を掛けるヤツじゃない」

「知らないな」

「私もです」

「……マジ?」


 シャワーなるモノの話を剝界から聞きながら、フラクとティアーは、古代にはそういった便利なモノがあったのか、と頷く。


「今度、考古科学者アークサイエンの方に、開発を打診できないかお嬢様に訊いてみます」


 ティアーはシャワーに惹き付けられたらしい。


 三人は頭とからだを洗い、湯船につかる。

 が、剝界は「ひろ~い!」と湯船に飛び込み、泳ぎ始めてしまった。


「はしたない」

「元気でよろしいではないですか。ぜひそのままお子様らしく振る舞ってほしいものです」

「なんだそれは……?」

「私たちの敵を必要以上に増やしたくありませんので」

「は?」


 意味が分からないと言わんばかりにフラクは首を傾げる。

 しばらく、フラクは久しぶりの風呂に「はぁ」と力を抜く。一年以上、ずっと滝壺に通って身を清めるか、部屋にお湯を張った桶を持ち込んで、躰を拭くことしかできなかった。

 久方ぶりの感覚に、フラクは瞼を閉じて気を抜いてしまう。


「フラク様」

「うん? っ!?」


 声がした。目を開けるとすぐ真横にティアーの顔がある。


「お話があります」

「……なんだ」


 フラクはすぐに彼女から距離を取った。しかし、彼女は離した距離をすぐに埋めてくる。


「なぜ逃げるのですか?」

「逆にお前の恥じらいはどうなってる」

「別に気にしてませんので。なんなら触ってみますか?」

「女の子が軽々しくそういうことを言うな。襲われたいのかお前は」


 フラクは諦めてその場にとどまる。どうせ逃げてもしつこく追いかけてくるのだろう。なら、目をやらないようにするだけだ。


「レムナス様なら大歓迎」

「はぁ!?」

「と、言ったらどうしますか?」

「……俺をからかいに来たのか?」

「いえ、レムナス様の反応が良いので、つい」

「お前な~……」


 思わず額に手を当てるフラク。

 が、ティアーはカノジョの隣で居住まいを正し、真っ直ぐにその黒い瞳を向けてくる。


「レムナス様」

「今度は何だ?」

「今回の等級試験、どうかお嬢様と、全力で手合わせしていただきたく思います」

 

 先程までとは打って変わった雰囲気。フラクも咄嗟に目を細めた。


「お嬢様は、本気のレムナス様と対峙することを望んでおられます。ですから」

「……」

「どうか、お嬢様から逃げないでください。私が言いたいのは、それだけです」


 ティアーは湯船から上がり、「洗濯物もありますので、先にお部屋に戻ってます」と浴場を後にした。


「本気、か」


 なにを、どうすれば本気だというのだ。

 過去の愛剣はウツロとなり、手にした神剣の力は未知数。わかっているのは、防御に優れた能力が鞘にあることだけ。おまけに使うたびに体力を消耗する。制御はいまだ不完全。


 そんな自分が、あの『焔皇姫』に?


「俺は……」


 フラクは腕で視線を隠し、はしゃぎまわる剝界の声に、気を紛らわせた。

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