第7話:面倒な呼び出し

 青空が見える……


 部屋をぶち抜かれてできた大きな穴。陽の光が気だるい躰を包み込んでくる。意外と悪くないかもしれない。


 ……雨が降ったら、さぞ愉快なことになるんだろうな。


 フラクは自室ベッドで目を覚ました。昨晩……アリスと儘焔聖霊イフリータの攻撃を防いでからの記憶がない。


 おそらく、あの一撃を防ぐために鞘の力を使ったせいで、気を失ってしまったのだろう。

 そのあとで、誰かがフラクをこの部屋に運んだ。

 ……医務室ではなく、風通しが良くなり過ぎた部屋に戻されたあたり、フラクの学院での評判がいかに低いかを実感する。


 まぁそれはいい。こういった扱いをされるのは、全て自分で蒔いた種が原因である。あの場に放置されなかっただけ、マシというものだ。


 ……それにしても、やはりあの力は咄嗟の制御が難しすぎる。


 儘焔聖霊の攻撃を、たった一回、防いだだけで、体力の全てを持っていかれてしまった。あれが本物の戦場だったら、フラクの命は間違いなく失われている。


 それはそれとして、


「はぁ……」


 まさか、部屋に神剣が飛び込んでくるなど、誰が予想できる。

 星の綺羅をそのまま写したかのようなシルバーブロンド、左右で色の違う神秘的な瞳、透けるような白い肌……惹きつけられる美というものは、ああいうのを言うのだろう。


 ……まぁ、姉さんには劣るが。


 遺跡に残してきた神剣。確かにあの白い部屋で、フラクは神剣の所有者として名乗りを上げた。

 だがそれは、神剣の防護結界を剥がすための方便でしかない。フラクが必要だったのは、神剣の鞘のみ。


 神剣そのものは、必要ない。


 それが、よもや遺跡を飛び出し、自分からフラクの下まで飛んでくるとは。

 しかも『服、かえせ~~~~っ!!』ときた。神霊のショウジョ曰く、フラクが持ち帰った鞘こそ、カノジョの服だと。


 神霊の予期せぬ襲撃……加えて、


 ……昨日の副会長……アレはなんだったんだ?


 フラクは昨晩の幼馴染アリスのことを思い出す。確かに学院に部外者を入れてしまった落ち度を責められたのは理解できる。

 尤も、フラクからすれば部外者が勝手に自分の部屋に飛び込んできた形のだが……


 まぁそれはこの際いいとして(よくはないが)、問題はその後の彼女の態度だ。

 いきなり癇癪を起したかと思えば、狭い空間で儘焔聖霊を顕現させるなど。

 彼女は苛烈な性格だが、短慮ではない。少なくとも、フラクの記憶にある彼女は、言動の派手さとは裏腹に、常に冷静に状況を見ることができる人物だったはずだ。


 加えて、彼女が捲し立てていた言葉の意味も理解できなかった。


『フラクから離れなさいな!! この泥棒猫~~~~っ!!!!』


 なんだ泥棒猫とは……確かに知らない者が部屋に無断で入り込んでいたら泥棒と疑うのは当然だが……あれはそういう意味か?


「はぁ……わからん」


 フラクは鈍痛のする頭をトントンと叩きながら、「はぁ」と息を吐き出す。

 躰が重たい。腕を動かすのも億劫だ。鞘を使った影響からまだ回復していないのか、頭もぼうっとしている。とにかく瞼が重く、やけに眠い。


 すると、


「――目が覚めたのですね、フラク・レムナス」

「……副会長」


 声のした方に目をやれば、そこにはタオルを手にしたアリスが立っていた。その後ろには、水の入った桶を手にしたメイドの姿もある。


「気分はどうですの?」

「最悪だ」

「それは結構。あの後、騒ぎを聞きつけた寮長と教官たちに、事情を説明する羽目になったわたくしの苦労を思い知りなさいな」

「ついでにお嬢様が涙目で大慌て、」

「お黙りなさい」


 彼女はフラクが横になるベッドの脇に立つと、相変わらず腕を組んで見下ろしてくる。


「まったく。なぜこうも面倒を掛けるのですか、あなたは」

「……半分くらいはお前のせいだろうが」

「それはっ、あなたがいたいけな少女を毒牙に掛けようとなさるから、阻止しようしたまでのことで………………それよりフラク・レムナス。なぜシーツがそんなに膨らんでいるのですか?」

「……?」


 まどろんだ状態のフラクが、億劫そうに首を下に向けると、


 ……なんだこれ?


 シーツがやたらと膨らんでいる。おもむろにシーツをめくると、


「…………は?」

「ん~……さむい~……んにゅんにゅ……」


 例の神剣のショウジョが、フラクを下敷きにして寝息を立てていた。それも、一糸まとわぬ無垢な姿のままで……ついでに、フラクもなぜか身に覚えのない寝巻に着替えさせられていた。女物である。


「な~~っ!?」

「あらあらこれは。レムナス様、なんとお盛んな」


 思いっきり目を見開くアリスに対し、メイドのティアーは口元に手を当てて淡々とした物言いだ。


「ティアー!? なぜこの娘がここにいるのですか!? 別室に寝かせて、あなたが監視していたはずですわよね!? というか服は!? ちゃんとわたくしの物を貸して、」

「夜中に起き出して『あいつのとこいく~』と寝ぼけながらおっしゃったので、連れてきました。服は……ああ、脱ぎ捨てられておりますね。着心地が悪かったのでしょう。お嬢様のですし」

「どういう意味ですの!? あなた本当にクビにしますわよ!」

「別に監禁しろとは言われませんでしたので」

「普通は言われなくても分かりますでしょうに!」


 やかましい主従のやり取りを横目に、フラクは胸を枕に気持ちよさそうに眠るショウジョを半眼で睨んだ。


「重い……」


 が、フラクは引き寄せられるように瞼が合わさり、そのまま神剣のショウジョと一緒に、寝てしまった。


「あら、レムナス様。また眠ってしまったようですね」

「ちょっと、話を逸らさないでください!」

「まだ本調子ではないようですね」

「ひとの話を聞きなさい!! ああ~、もうっ!!」


 お嬢様らしくない動作で髪を掻きむしるアリス。他の生徒たちに見られたら、乱心しているとでも思われそうだ。

 

 まぁ、実際のところ、彼女の心はひどく荒れており、あながち間違いというわけでもないのだが……


 アリスは「もういいです! わたくしがこの娘を監視しますわ!」と、フラクからショウジョを引っぺがし、そのまま自室へと連れて行ってしまった。


 ・・・


 フラクが次に目を覚ましたのは夕方になってからだった。アリスの姿はなく、例のショウジョの姿もない。


 その場に残っていたのは、アリスに使えるメイドのティアーのみ。


「――聖徒会から伝言を預かっております」


 躰を起こしたフラクに、メイドは表情を変えることなく綺麗な制服を差し出してきた。


「起き抜けになんだ? しかも聖徒会から?」

「はい。より正確に申し上げますと、会長から、でございます」


 途端、フラクの目が細くなった。


「会長が?」

「本日の夕食の後、聖徒会室に顔を出しなさい、だそうです」

「断ったら?」

「その場合は、『愛しのお兄様の部屋を、無理やり私と同室にする』、と」

「……分かった。顔を出せばいいんだろ。それで、あのちびっ子は?」

「お嬢様が自室へ連れていかれました。ああ、もちろん服は着せておきましたのでご安心を」

「そうか」


 鞘は部屋にそのまま。つまり普通の服を着せてもらったということか。

 が、ティアー曰く、「すぐに脱ごうとするので大変でした」とのことらしい。最終的には紐で縛り付けたとか。服を。

 カノジョは鞘を『服』と口にしていた。ショウジョが普通の服を嫌がるのは、その辺りが関係しているのかもしれない。


「というか、なんだこれは?」


 フラクは自分の恰好を見下ろして眉根を寄せる。女物の、やたらフリフリとした寝巻だ。


「とても可愛らしいですよ」

「やめろ」


 外見だけなら姉のものだし、似合ってないことはない。

 しかし中身が男のフラクとしては微妙なところだ。どうも受け入れられない。彼が男子の制服を着用しているのは、いまだにその辺りの感情を整理できていないのが原因である。

 

 純粋に姉がこれを着ていたなら、きっとフラクはカノジョを褒めそやしていたのだろうが。

 外見があこがれのジョセイのものであっても、中身が自分、というのが、なんとも……


 フラクは溜息交じりにティアーから制服を受け取った。


「そのまま食堂へ行かれますか?」

「……あまり寮の食堂は使いたくないんだけどな」

「レムナス様は人気過ぎて、注目を集めてしまいますから」

「そうだな。おかげでゆっくり食事ができたためしがない」


 無視されるだけならむしろ歓迎なのだが、中には、まともに授業を受けていないフラクが、学食を使うことを良しとしない連中がいる。

 そういった輩に絡まれたことは一度や二度ではない。


「自業自得でございますね」

「そうだよ」

「開き直ってますね」

「周りなんか、どうでもいい」


 フラクにとって、姉と身内以外の存在はどこまでいっても有象無象。必要以上に関わる気もなければ、関わりたいとも思わない。


「だいぶこじらせておりますね……はぁ、仕方ありませんね。では、私が適当に用意いたしますので、少々お待ちください」


 どうやら彼女が食事を持ってきてくれるらしい。呆れた表情を浮かべつつ、彼女は恭しく首を垂れる。それはティアーなりの皮肉のように感じられた。


「悪いな」

「そう思うのでしたら改善をお願いします。お嬢様が可哀そうでなりません」

「なんでそこであいつが出てくる」

「ご自身の胸に問えばよろしいかと」


 ティアーは人形のような顔にわずかな怒りを滲ませて部屋を後にする。

 彼女はアリスが幼い時から仕えている。フラクにとっても昔馴染みだ。それ故に色々と事情は理解している。

 しかし、彼女はアリスの従者としてフラクを咎めていた。


 フラク自身、自分の態度が周囲との軋轢を生んでいることは理解している。

 それでも……


 ……“いずれ消えていなくなる奴”が、どうしてひとと関わりを持とうなんて思える。


 カノジョの目的は一貫していた。

 一人になった部屋で、フラクは制服に着替える。


 ……この躰は俺のものじゃない。いずれは、返さなくちゃならないんだ。


 その方法を、フラクはずっと探し続けていた。入りたくもない武霊学院に入学したのも、ここならその方法について調べられると思ったからだ。


 僅かにだが、フラクの中で、姉の意識のようなものを感じる。きっと、まだカノジョは消えていない。 

 だが、仮に躰を姉の不落に返すことができたとして、その時、フラクは……


「きっと、姉さんは怒るんだろうな」


 それでも、たとえ敬愛するカノジョから恨まれたとしても、


「俺は、姉さんに生きていてほしい」


 結果、それでフラクの存在が、この世界から消えたとしても。


 ・・・


 ティアーが用意してくれた夕食を食べ終え、フラクは学院の聖徒会室へと赴いた。

 中央に聳えるひときわ高い塔のいただき。生徒や各種委員会を統括、学院内では教官に匹敵する権力を持つ、聖徒会。

 今期の会長は学院の歴史でも天才と称される少女。初等部の年齢が一七歳なのに対し、彼女は一三歳で学院に入学。同年から聖徒会にて副会長を任され、今年になって会長に就任した才能の塊。


 間違いなく今の学院内において、彼女に勝る実力を持った生徒は他にいない。


 廊下には赤い絨毯が敷かれ、縁取りに金糸が縫い込まれている。

 両開きの扉には獅子と大鷲の彫刻が彫り込まれ、荘厳な雰囲気を醸し出す。学院黎明期の聖徒会会長と副会長が契約していた聖霊らしい。

 フラクは扉を見上げた。思わず溜息を吐きながら、ノックをすることもなく取っ手に手を掛けた。


 ……軽く話を聞いてさっさと帰ろう。


「エル、入るぞ……」

「はえ?」

「え?」


 扉を開けた先。そこには下着姿で立つ二人の女子生徒がいた。制服を手に、フラクと目が合う。


 一人は赤髪を三つ編みでまとめた少女。女性にしてはかなり背が高い。おそらく一般男子生徒よりも背丈がある。下着に押し込まれて窮屈そうな胸元。アリスと比較しても負けていない。特徴的なのは先が尖った耳だ。

 手にした制服は赤に白い装飾。フラクの記憶が正しければ、彼女は聖徒会の書記だったはず。

 彼女はいきなり部屋に入ってきたフラクの存在に、新緑色の瞳を白黒させて驚愕の表情を浮かべる。


 そしてもう一人。真っ白な長い髪。普段はツーサイドアップでまとめているが、今は真っ直ぐに下ろされている。赤髪の少女と比べるとだいぶ小柄。もはや親子ほどの差がある。手にした制服は――白に黒い装飾。

 むき出しの肌は新雪の如く穢れなく、まるで凍てつくような淡青色アイスブルーの瞳がフラクに向けられる。しかし頬はほんのりと朱に染まり、未成熟ながら女性的な色を宿し始めた肢体がフルフルと震えていた。

 

 彼女こそ、武霊学院で歴代最強とうたわれる、現聖徒会の会長――エンティ・バイン・リヴフィーネである。


「…………」

「…………」

「…………」


 交差する一人と二人の視線。

 これはフラクが悪い。完全に悪い。ノックをしなかったカノジョが全部悪い。

 フラクは扉を閉めて、


 ……よし。明日出直そう。


 そのまま聖徒会室を背に、引き返そうとしたのだが……


「待ってください、お兄様」


 肩が何者かに掴まれた。振り返ると、先ほどまで下着姿であられもないことになっていたエンティがいた。今はちゃんと制服を着ている。なんたる早業。


「何か言うこと、ありますよね?」

「可愛い下着姿をありがとう」

「それは嬉しい言葉ですね。わたし、毎日お兄様のために下着は厳選してますので」

「そうか。それじゃ俺はこれで」

「さよならできるとか思わないでください、お兄様」


 ミシミシと肩に食い込む少女の指。フラクは彼女の手を払い、降参と手を上げる。


「悪かった。聖徒会の連中は全員、出払ってると聞いてたから、てっきりお前ひとりなのかと」

「それでもノックはしてくださいね? 大人の常識です」

「あ、あの~」


 と、話をしていると扉の隙間からもう一人の少女が顔を半分覗かせてくる。


「ああごめんねヴァイオレット。すぐに行くから」

「う、うん。でも、その……女のひと、だよね? なんで、お兄様?」

「え? ああ~……兄のように、逞しいから?」

「はぁ?」


 首を傾げる少女。


「まぁそれはいいとして。お兄様、ちょ~っとお話を聞かせてください……ね?」

「……分かった」

「あとからアリス姉さまも合流することになってるから、それまで、お茶でもどうですか?」

「もらおう」


 小さい癖に底冷えするような凄みを放つ少女。

 フラクは彼女に手を握られ、そのまま聖徒会室へと引きずり込まれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る