第5話:これは、違うんです

 上等学院生用の女子寮、二階、角部屋。


 アリス・ドライグは自室のベッドで、下着姿というあられもない恰好で枕に顔を押し付け、


「またっ、やっちまいましたわ~! わたくしのバカ~~~~っ!!」


 足をバタバタ暴れさせながら、全力で罪悪感に苛まれていた。


「お嬢様、少し落ち着かれてはいかがですか?」

「だって~~! せっかくフラクと久ぶりに話せたのに、わたくしってばあんな……あんなひどい物言いを~っ」

「……はぁ~」


 何をいまさら、と、これ見よがしに溜息を吐き出すメイドのティアー。

 どう考えても不敬なのだが、これが二人の日常である。


「レムナス様はどうせ気にしてなどおりませんよ」

「ほ、ほんと……?」

「そもそもお嬢様そのものが眼中にないと思われますので」

「ぐふぉっ!!」


 歯に衣着せぬメイドの物言いに、アリスは心を抉られる。

 無駄に発育の良い胸を押さえて呻く主人に、ティアーは「これで学院じゃ十本の指に入る実力者なんですよねぇ~」と独り言ちた。


 ティアーは悶絶しているアリスから視線を外し、帰宅して早々に彼女が脱ぎ散らかした制服を片付ける。皺にならないよう丁寧に。


 彼女の実力を示す赤い制服に、銀の装飾。聖徒会所属の証である、守護獣の銀獅子をかたどったブローチ。

 ティアーはジャケットをクローゼットに、ブローチは棚の上のケースに収める。


 アリスのためにあてがわれた部屋の家具は、見た目こそ派手さに欠けるが、どれも年季の入った飴色で、職人のこだわりが細部まで感じ取れる逸品ばかり。

 絵画や調度品は必要最低限ながら、それが逆に部屋の主役として存在感を誇示し、品よく全体の雰囲気を上品に演出している。


 いずれも、庶民の手にはなかなか手が出ない代物だ。


 しかし、下着姿のままベッドで呻き声を上げるアリスという存在が、この部屋の品位を下げているような気がして、ティアーは再び溜息を吐き出した。


 が、今でこそこんな有様な彼女ではあるが、ひとたび剣を手にすれば、その力は本物である。


 これまで彼女が対峙し、屠ってきた呪形者の数は、学院内でも最多と言われている。大物の討伐数こそ聖徒会の現会長に及ばないものの、その実力は誰もが認めるところだ。


 アリス・ドライグ――燼焔聖霊イフリータを宿した聖剣を有するドライグ家の長女。

 現当主は娘に聖剣を託し、今は彼女が儘焔聖霊と契約を交わしている。


 広域殲滅を得意とし、数多の呪形者を消し炭にしてきた。


 学院が彼女に与えた二つ名は『焔皇姫レッド・レイア』。

 彼女の前に立ち塞がった者は、誰であろうと骨も残さず焼き尽くされる。


 その性格も苛烈の一言で、気に入らない相手は一切の容赦なく叩き伏せる。しかし情に厚く、彼女を慕う学院の生徒は多い。

 

 ……まぁ、彼らもお嬢様のこんな姿を見たら、一気に熱が冷めるでしょうが。


「ぐす……はぁ……わたくしのバカ……なぜもっと素直に言葉を選べませんの……あんな、喧嘩腰のような態度で」

「ような、ではなく、まんま喧嘩腰だったではありませんか」

「ぐ……だ、だって~」

「だって、ではありません。子供ですかお嬢様」

「うう~。ティアー厳しい~」

「愛ゆえでございます」

「絶対に嘘よ」

「本当です。見てください。この私の澄んだ瞳を」

「……わたくしをバカにして楽しんでいる邪悪な瞳ですわ」


 なんとも仲の良い主従である。これはこれで色々と問題がありそうな気もするが、ひとの目がないところではいつものこと。突っ込むの野暮というものよ。


「そもそも、そんなに『彼』のことが好きなら、さっさと押し倒してしまえばよろしいではありませんか」

「お、おお、押し倒っ!? は、ハレンチですわ!!」

「……はんっ」


 ティアーはアリアの特大級の胸を見下ろしながら鼻で笑った。


「いいですかお嬢様? もはやあの方は、お嬢様のことなど、まったく、いっさい、これっぽっちも、意識などしておりません。せいぜい、その上半身で無駄に育った駄肉に少し視線が引っ張られる程度。あの方にとってのお嬢様の価値など、胸以外にありません!!」

「さすがにわたくしでも本気で怒ることはありますのよ?」

「ですが事実でございます。現実をちゃんと受け止めてください」

「ぐ……あなた、本当に遠慮というものがありませんわね」

「いつまで経ってもお嬢様が一歩踏み出さないからです」

「わ、わたくしだって、それは分かっていますわ……分かっては、いますが……」


 ベットの上で枕を抱き、ウジウジと丸まってしまうアリア。


「でも、あの方だって悪いんですのよ。わたくしが、どんな気持ちでこれまで接してきたか……全然、考えてすらくれなくて……」

「なんか面倒くさいカノジョみたいなこと言ってますよこのひと」

「か、カノジョだなんて……そんな~」


 下着姿で気持ち悪くクネクネする主人を、ティアーはまるでゴミでも見るかのような視線で見下ろした。


「……妄想するのは結構ですがお嬢様。本気でレムナス様とお付き合いをしたいのであれば、いい加減に過去のわだかまりは解消しませんと」

「う……それは……でも」

「なぜそうもあの方が関わると後ろ向きなのですか。呪形者相手には、まるで前しか見えない、と言わんばかりに突進なさるくせに」

「ふ、フラクを低俗な化け物と一緒にしないでください! 彼は、この学院で最も優れた武霊契約者ですわ!」

「そう思うなら、さっさとあの方のやる気を出してあげてください。やり方など、色々とあるではないですか」

「た、例えば?」

「お嬢様がそのお体で迫れば一発です」

「……いい加減あなたをクビにした方がいい気がしてきましたわ」


 親指を立ててドヤ顔の従者を半眼で睨む。だが、もしもフラクが自分との肉体的な接触で、少しでも心を開いてくれるなら……


 ……いえいえ! なにを真に受けてますのわたくし!


 それで事態が進展しないことなど、彼女が一番よく分かっている。


 ……それに、わたくしにだって、あなたに気に入らないところはありますのよ、フラク。


 アリス・ドライグ……かつて、少年フラク・レムレスが、獣王との戦いで命を落とし、ジョセイとして生まれ変わった現場を目撃した、カノジョの幼馴染。


 ……あなたが武霊契約者として本気を出してくれれば……今ごろはわたくしの隣に。


 彼女の感情も、なかなかどうして、面倒くさいことになっているようだ。


「お嬢様、とりあえずお召し物に着替えてください」


 ティアーの腕には既に着替えが用意されていた。


「部屋でくらい楽な格好をさせてくださいな。ただでさえ制服がまたきつくなって窮屈な思いをしてますのよ」

「は……?」


 ……まだ育ってるのか、その脂肪の塊。


 ティアーの目から光が消える。心なしか邪悪な波動オーラが立ち上っているかのようだ。


「いきなりひとが来ても知りませんよ」

「他の上等武霊契約者は皆地方に派遣されて、今は寮長とわたくしだけですわ。彼女がこの部屋に来るはずもありませんし、それによほど緊急の案件でもない限り、報告はわたくしではなく騎士隊の方に――」


 ドガーン!!


「な、なんですの!?」

「どこかが爆発でもしたんでしょうか?」

「のんきなことを言ってる場合ですか!?」


 音はだいぶ近かった。おそらくこの学生寮の敷地内。


「ティアー、制服をまた出してくださいませ。出ますわよ」

「承知しました」


 表情を切り替え、アリアは深紅の制服に袖を通し、部屋を飛び出した。


 ……これで皆様、騙されるんですよねぇ。


 いつもこの調子ならいいのに、とティアーは呆れながら主の後ろに付き従った。


 ・・・


「お前は……ッ――!?」


 目の前に現れた謎のショウジョ。カノジョはゆらりと振り返ると、左右で色の違う瞳がフラクを捉え、


「――カエセ、ワタシの……」


 ……返せ? 先程の神剣は……いや、まさかこいつ。


 フラクの脳裏に一つの可能性が浮かぶ。が、目の前の相手がいきなり真っ裸な状態なことに、カノジョは思わず顔が熱くなった。


 ……なんで裸なんだっ。


 思わず直視を躊躇いそうになってしまうが、相手の翡翠と紅玉のような瞳は憤怒を孕み、目じりが吊り上がっている。


 ……こいつ!


 ショウジョから放たれる明確な敵意に、フラクの思考が戦闘状態に切り替わった。


「――カエセ!!」


 瞬間、ショウジョはまったく予備動作なくフラクへと飛び掛かってきた。

 真っ白な美しい肢体が月明かりに照らされる。シルバーブロンドの髪が宙で翻る様は、さながら彗星が描く軌跡のようだ。


 フラクは咄嗟にベッドから飛び下り、床に身を投げ出した。

 すれ違うように後方へ飛んでいくショウジョ。勢いそのまま。カノジョの突き出された拳は部屋の壁を吹き飛ばした。


「……おいおいおい」


 当たったら洒落にならない。小さな見た目のくせに、なんという腕力。

 

 ……このチビッ子、遺跡に残してきた神剣に宿る神霊か!


「カエセ、ワタシの!」

「返せ? この鞘のことか……悪いが、こいつは俺にとって必要な、」

「あんたの事情なんかどうでもいい! いいから、さっさと――」


 振り向いたショウジョ――神霊は更に殺意をたぎらせ、


「ワタシの『服』! 返せ~~~~っ!!」

「服!?」


 フラクは飛び退きながら目を見開く。カノジョは何を言っているのか。フラクは遺跡でカノジョの服など盗んだ覚えはない。持ってきたのは、神剣であるカノジョと対になる、この鞘だけ……


「まさか、これか?」


 フラクは鞘を前に出す。

 すると、カノジョは「ああ~!?」と声を上げて鞘を指さし、


「な、なな、なにひと様の服を、勝手に別の剣に着せてんのよ~~!!」


 顔を真っ赤にして再び飛び掛かってくる神剣のショウジョ。

 フラクは伸びてくるショウジョの手を躱し続ける。


「このっ、このっ! ひとを起こしておきながら、あんな真っ暗な遺跡に置き去りにしてっ!」


 ショウジョの繰り出すデタラメな攻撃。

 しかし空を切る音は鋭く、まともに受ければひとたまりもないだろう。

 神霊のショウジョは声を荒立て、なおもフラクを批難する。


「しかも服だけ持って行っていなくなった挙句、どこの誰とも知れない剣に勝手に着せるなんて~……ッ!!」

「っ! だったらあのまままた寝てれば良かっただろ! 悪いが、俺はこの鞘に用があっただけでっ、神剣のお前に用はない!」

「最っ低! 起動させたなら責任もって最後までワタシを使い切りなさいよ! てか、ワタシのシステムは剣と鞘のワンセットで真価を発揮するのよ! 片方だけ持って行っても意味ないんだから!!」


 口論の中で飛び出す単語にフラクは首を傾げる。


「お前っ、なにを、言ってるっ!? しすてむ? よく分からんが、鞘の力は問題なく使えたぞ!」

「はぁ!? そんなわけないでしょ!? そんなことしたら、あんた今ごろ『死んでる』わよ!」

「なに?」


 カノジョの言葉に、フラクは一瞬動きを止め、「隙あり!」とショウジョの手に鞘を掴まれてしまった。


「くっ……!」

「さぁ、返して貰うわよ、ワタシの服っ……あと、ついでにあんたをボコボコにして、無理やりにでもワタシを使ってもらうんだから~」


 ギリギリと少女に引き寄せられる鞘。フラクは授業こそサボりがちだが、武霊契約者として鍛錬は十分に積んでいる。腕力はその辺の男などよりはるかに強い。

 しかし、ショウジョの怪力には及ばず、鞘は徐々にショウジョの方に、


「っ! この!」

「うわぁ!?」


 だが、フラクはすかさず鞘から灰色の剣を引き抜いた。強引に鞘を引き寄せていたショウジョは目を丸くし、鞘を手にしたままポ~ンと背後のベッドへと勢いよく飛んでいく。


「いたっ……くはないわね……って、きゃあ!?」


 ベッドに仰向けに倒れ込んだ神剣のショウジョ。フラクはすかさずカノジョに覆いかぶさり、両手をショウジョの頭上で拘束した。


「お前にはすまないが、俺はもう神霊とも聖霊とも関わるつもりはない。それでも、この躰を守るため、どうしてもこの鞘だけは必要なんだ」

「ぐっ、この……」


 ショウジョが暴れるが、体勢のせいで力を入れにくいのか、拘束を解くことができない。


「あんたねっ、なんど言えば分かるのよ!? ワタシの『神剣システム』は、ワタシ自身と鞘が一緒にあって、はじめて本来の性能を発揮するの! ていうか、アタシのアシスト機能を使わないまま鞘を使ったら、体力を全部に持っていかれて死ぬんだってば!!」

「さっきから言っている意味はわからんが、鞘の力なら使えたぞ。確かに、最初は体力を一気に消耗して気絶しかけたが」

「はぁ? なによそれ。まさか、システムになにかバグでも……」


 と、神霊のショウジョは拘束されたまま、なにかぶつぶつと呟き始めた。


 しかし、フラクはカノジョが何を言っているのか、その意味の一割も理解することができない。


「いえ、やっぱりおかしい。エラーが発生したなら、ワタシが気付かないはずないもの。あんた、さてはワタシを使いたくないからって、適当なことを言って誤魔化そうとしてるんでしょ!?」

「なんで俺がそんなことをする必要がある。そもそも、その理屈でいくと、なんのために俺が遺跡に入ったのか分からな――」


 と、全裸のショウジョを組み敷いたままという状態で、二人で口論を繰り広げていた時だった。

 部屋の扉がいきなり外から開かれ、


「――ふん……まったく。騒ぎが起きたと思って来てみれば、やはりあなたでしたかフラク・レムナス。まさか、一日に二度もあなたの情けない顔を拝む羽目に――……はぇ?」

「「あ」」


 深紅の制服に銀の装飾、金糸を束ねた様なプラチナブロンドの髪を編み込みでまとめた少女、アリスが姿を見せ……


「な、ななな、なっ、な~~っ!?」


 彼女は顔を真っ赤にしながら、フラクと一糸纏わぬ姿で拘束されるショウジョを指さし、


「ふ、ふふっ、ふしだらな~~~~~~!!」


 フラクは、己の状態が第三者からどのように見えるか冷静に分析。

 結論――これ以上ないほど、いかがわしい現場のできあがりであった。


「いや待て。これは違うんだ」


 珍しく、カノジョは額から汗を垂らした。

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