第4話:月夜の夜襲

 気分を落ち着け、フラクは濡れた躰を拭き、新しい制服に袖を通した。


 今日はいつにもまして過去の記憶を鮮明に思い出してしまった気がする。遺跡で神剣を見つけてしまった影響かもしれない。


「ふぅ……戻ろう」


 この躰に風邪を引かせては一大事だ。フラクだけが苦しむなら構わない。しかし、この躰の元の持ち主のことを考えると、ぞんざいに扱うなどできるわけがなかった。


 再び森を掻き分けて学生寮を目指す。

 せっかく清めた躰を汚さぬよう、注意を払って歩みを進める。


 と――


「ん?」


 ガキンッ、ガキンッ、ガキンッ――


 硬質な金属同士がぶつかりあうような音が、森の中に響いてきた。そう遠くない。

 同時に――


 GYIIIIIIIIIIIIII!!


 獣とは異なる、歪で不快な、ひび割れた様な音を耳が拾った。

 嫌なほど覚えのある音だ。これは、呪形者の特徴的な鳴き声である。

 

 ……呪形者が発生したか。


 おそらく、学院の誰かが呪形者と戦闘していると思われる。

 フラクは意識を研ぎ澄まし、音の出所を探った。

 慎重に茂みを掻き分け、ゆっくりと近づいていく。


 ――すると、


「はぁ!!」


 青い制服に金の装飾を身に着けた女子生徒が目に入った。同じく青に銀の装飾が入った制服を着た二人の男子……計三人の武霊契約者が、イノシシ型の呪形者と交戦している。数は五。


 茂みに身を隠しながら、フラクは彼らの様子を窺う。

 

「……中等一級が一人に、同じく中等の二級が二人……あの腕章……学院の『騎士隊ナイト』か」


 学院はその実力で等級が定められ、制服の色で判断することができる。

 初等の黒、中等の青、上等の赤……更に、各等級内でも実力を三段階に分けられ、下から三級、二級、一級と上がっていく仕組みになっている。それぞれ、一等が金、二等が銀、三等が白の装飾を身に着けている。


 中には規格外な力を持った生徒がおり、彼らは白の制服に黒の装飾を身に着けている。

 フラクが認識しているのは二人。聖徒会会長と、騎士隊の総長である。


 先の中庭で遭遇したアリスは赤い制服に銀の装飾……上等二級、学院でも屈指の実力者というわけだ。


 しかし目の前で戦っている者たちも、学院内ではそれなりの実力を持った生徒だ。

 

 騎士隊――正式名称『武霊騎士治安部隊ブレイドナイトガーディアン』。


 学院都市の周辺で呪形者が湧くのは珍しい。これは近いうちに、騎士隊を中心に調査隊と討伐隊が編成されそうだ。


「見つかる前に消えるか」


 初等の生徒なら、あの程度の呪形者相手にも苦戦するかもしれないが、青の一級、二級なら難なく撃破するだろう。

 

 それに、黒の制服に白の装飾……初等三級の自分が出ていけば、なぜこんなところにいたのか、と追及され、面倒なことになるかもしれない。

 

 呪形者は騎士隊に任せておけばいい。それよりも、せっかく森の奥で躰を清めたのだ。無駄にされるのは癪である。


 フラクは来た時と同様、こっそりとその場を離れようと後退り、背後に気配を感じて横に跳んだ。


 瞬間、彼がいままで潜んでいた場所を巨大な影が横切っていく。


「ちっ、もう一体いたのか」


 茂みから飛び出してきたイノシシ型の呪形者。

 全身を黒いドロドロの粘膜に覆われ、目は禍々しく赤い光を放っている。

 背中には瘴気を放つ漆黒の核。


「めんどうな」


 まさか騎士団ではなく呪形者に見つかってしまうとは。これではせっかく洗った躰が汚れてしまう。


 ……騎士団に押し付けたいところだが。


 後で面倒なことになりそうだ。


「……仕方ない」


 鼻息を荒く、脚で地面を蹴る呪形者を注視しながら、フラクは懐から親指大の鉱石を取り出す。


 淡い日の光を思わせる燐光を纏った鉱石。


 フラクは身を低くしたまま、敵とにらみ合う。

 痺れを切らし、イノシシ型が動いた。地面を抉り、土塊を飛ばしながら真っ直ぐ突進してくる呪形者。

 派手な見た目の割に動きは実直で単調。フラクは相手との距離を目算。


「3、2、1――っ!」


 極力音を立てないよう、フラクはしゃがんだ姿勢からその場で大きく跳躍。宙返りの体勢から、眼下を呪形者が駆け抜けていく。


「ふっ――」


 フラクは相手の背中が見えたのと同時に、手にしていた鉱石を指ではじいた。

 狙いは呪形者の背中に露出した、漆黒の核。

 寸分たがえず、鉱石は真っ直ぐに核に触れる。


 しかし――バチンッ!


 と、火花を散らして鉱石が弾かれてしまった。が、呪形者はもんどりをうって地面に転がる。

 土煙を上げて暴れる呪形者の背中は無防備。フラクは腰から灰色の剣を抜き、迷いなく切っ先を核へと突き込んだ。


 途端、核に放射状のヒビが入り、そのまま砕ける。呪形者は断末魔の咆哮を上げながら、黒い粒子となって消え去った。


聖霊結晶マテリアルは高いんだぞ……はぁ~」


 先の呪形者に放った光を帯びた鉱石は、聖霊の力を分け与えられた使い捨ての武器だ。

 呪形者の核は結界によって守られ、聖霊、神霊の力を宿した武霊兵装でなくては攻撃が通らない。

 しかし、聖霊結晶のような、聖霊の力を付与された物体が接触することで、結界に綻びが生じ、通常兵器でも核を破壊することができる。


 尤も、結界の綻びはほんの数秒程度。その間に核を正確に破壊せねばならないことを考えると、あまり効率的な戦い方とは言えない。


 よほど熟練した戦士でもなければ、一投一殺とはいないのが現実だ。ほとんどは牽制目的で使用される。


 しかも、聖霊結晶は使い捨てのくせにかなり高価な代物で、数を揃えるのは難しいという欠点まである。

 フラクも、少しずつ数を増やして、現在手元にあるのは十七ほど。今しがた使ってしまったので十六に減ってしまったが。


「――まだ近くにいるぞ! 周囲を捜索しろ! くれぐれも気を抜くなよ!!」


 女子生徒の声が聞こえてきた。どうやらこちらの戦闘音に気付かれたらしい。


 フラクは森の奥へ身を隠し、近付いてくる騎士隊から距離を取った。


 ・・・


 学院の寮に戻った頃には空の日は完全に傾いていた。

 やはりあの滝壺への道のりは少し遠い。おまけに整備もされていないため足取りは自然と遅くなる。


 ……どこかで時間を作って道を……いや、あの場を知られるのは困る。


 道を整地したりすれば、誰かがあの場所にたどり着いてしまうかもしれない。

 あそこは現状、フラクだけが知る穴場。男の身から姉の躰に変じてしまったフラクは、寮の公衆浴場……男子、女子ともに使うことができない。


 しかしこれはフラクの精神面の話でしかない……いっそ開き直って、女子寮の公衆浴場を使ってしまおうか。

 とはいえ、精神がいまだ男のままの自分が、女子に混ざって浴場を使うのは、さすがに考えさせられるものがある。


 いっそ、感性まで女性的になってくれれば、と思うのだが。

 それはそれで、姉の躰を完全に奪ってしまうようで、気が咎める。


 それに、どちらにしろこの躰を誰彼構わず晒すという真似はしたくない。

 フラクの中で、姉の存在は完全に神聖化されていた。本人もそれを自覚しつつ、それのなにが悪い、と開き直っている節がある。


 なにせ、自分という不純物が姉の躰に混ざっていると考えるだけ、嫌悪感を覚えるほどだ。


 学院都市の西部には生徒用の寮がある。都市内で二番目に大きな施設。五階の建物が全部で六棟、各三棟ずつ男子寮と女子寮で分かれている。


 この三棟は学院内の序列、初等、中等、上等で住みわけがされ、上に行くほど施設が充実していく。

 上等まで行くと、専属の調理師が常駐し、施設内に修練場も設けられている。更には整体から各医療機関まで。一部では、娯楽に関しても融通されているという噂だ……都市の商業区画に出なくとも、寮だけで生活がほぼ賄えてしまう充実ぶり。


 しかし、その代わりに責任と危険が伴うことを忘れてはならない。上等までいった学院制は、呪形者との戦闘の最前線に立たされる。それが彼らの責務なのだ。

 

 敷地もそれぞれに区画が分断されており、中央に噴水のある大きな通りを隔ててて右側が男子寮、左側が女子寮となっている。


 フラクは女子寮の敷地に入り、何食わぬ顔で自室を目指す。

 男子生徒の制服に身を包んだフラクを、周囲の女子生徒たちが怪訝な顔で見つめてくる。

 中には明らかな嫌悪と侮蔑の視線を送ってる者もいた。それらの一切を無視。気にするだけ時間と体力と精神の無駄遣いだ。


 最も規模が大きい割に、最低限の設備しかない初等用の建物に入る。最上階の最奥に面した部屋が、フラクに割り当てられた一時的な止まり木だ。


 扉を開いて中に入る。部屋の中は、簡素なベッドに机があるだけ。

 あとは適当に本がいくつか積まれているだけで、伽藍がらんと空間が広がっていた。


 部屋に入った時点で日は沈み、夜の帳は下りてしまった。


 暗い部屋、壁の四隅に備えられたガスランプに灯を入れて部屋を照らす。


 以前、フラクを気に入らない女子生徒によって、部屋が荒らされる事件があった。


 犯人の女子生徒は捕まったが……以来、フラクは貴重品は部屋に置かなくなった。だが……


 机の引き出しを開ける。しかし何も入っていない……が、フラクは下の板にできた、不自然に欠けた箇所に指を掛ける。すると底板が外れ、更に下から鍵が姿を見せた。


「……急ごしらえで不安もあったが、案外大丈夫なものだな」


 今の時間は食堂に生徒が集まり、夕食を摂っている頃だろう。

 しかしフラクは部屋のベッドを動かし、床板の一部を剥がす。すると、下から鍵穴の付いた細長い箱が出てきた。


 先程の鍵を挿し込み、蓋を開ける。中には、新雪のような純白の鞘が納められていた。


「……やっぱり、初日からお前を持っていくべきだったか」


 フラクは鞘に語り掛ける。しかし、聖霊も神霊も宿らない鞘は、カノジョの言葉に応えることはない。


 遺跡からの帰り道で、この鞘が持つ『力』は確認済みだ。詳細は金書庫で見つけた文献にあった通り。


「神剣――『剥界はかい』の鞘」


 その能力ちからは、所有者の周囲に『絶界』と呼称される断絶空間を形成し、外部からのあらゆる干渉を受けなくなる、というモノだ。


 が、


「一回発動しただけで相当の体力を持っていかれたな……」


 初めて発動したときは危うく意識を失いかけた。ほんの一瞬であっても、全力で数百メートルを駆け抜けたのとほぼ同程度の疲労感に襲われる。

 フラクの予測では、力を使った際の限界値は、今の自分で精々2、3秒といったところか。


「扱うにはまだまだ修練が必要だが……」


 フラクにとってこの躰は神聖なモノ。誰にも触れて欲しくない。

 姉の躰を完璧に守り切る。故に、フラクはこの鞘の力を知った時、必ず手に入れると誓ったのだ。

 おかげで、半年もの間、強引に遺跡を探索する羽目になった。


 目的の物はフラクの望む力を有してはいた。

 が、それは手放しに喜べるものではなく……


「姉さんと力を使ってる時は、こんな疲労感はなかったんだが……」


 姉の不落が有する力を発動させても、ここまで急速に体力を消耗することなどなかった。

 神剣の違いによる影響の差か。あるいはもっと、別に原因があるのか。

 

 他の神剣は情報が秘匿されており、どのような力を有しているのか知ることができない。

 当然、神剣の使い比べなどしたことがないフラクに、結論など出せるはずもなかった。


「まぁ、慣れていくしかないか。勿体ないが、鞘だけとして使うこともできるしな」


 フラクは腰から抜き身のままになっている灰色の剣を外し、


「……ずいぶん綺麗に収まるな」


 神剣の刃渡りは統一されているのか……思い返せば、遺跡に残してきたあの真っ白な剣……不落と似たような形をしていたかもしれない。


 ……いきなり鞘をつけて学院に顔を見せたら、また騒がれるかもしれないな。


 とはいえ、いちいち周りの反応を気にして自分の行動を変えるつもりもない。


「寝るか」


 別に一食抜いたところでどうということもない。

 それより、明日に備えて体力を回復させよう。


 フラクは剣を鞘ごと胸に抱いたまま、ベッドで横になる。

 

 ……日が昇ったら……この鞘の力を制御する、修練を……


 今後の予定を脳内で組み立てながら、重くなっていく瞼に瞳身を任せる。


 ――カエセ!


「うん?」


 今、少女のような声が聞こえた気がした。

 起き上がり、辺りを見回す。


 瞬間――窓の外に、月明かりに照らされた真っ白な剣が浮かんでいるのが視界に入り、


「――っ!?」


 直後、剣は窓を突き破り、部屋の中へと飛び込んできた。


 飛び散るガラス片。フラクはベッドのシーツを掴んで破片を防いだ。衝撃でランタンの灯りが消え、光源は月明かりだけになる。


 視界が僅かに遮られ、次にカノジョが部屋の中を視界に収めた時、純白の剣の姿はどこにもなく、代わりに――


「女の子?」


 月明かりに下で裸身を晒し、青味を帯びたシルバーブロンドの長い髪を翻した、美しいショウジョの姿があった。

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