第2話:フラク・レムレス

 ――フラク! フラク・レムレス!!


 真っ暗な視界の中で男の声が聞こえた。どうやら自分を呼んでいるらしい。


 しかしフラクはつい先日……正確には今日の深夜に、遺跡から帰還したばかりなのだ。収穫を得て学院までの帰路が四日。行きと遺跡での滞在時間を含めれば、実に二週間近くに渡って、気力と体力を消耗したのだ。


 睡眠時間が絶対的に足りていない。完全に寝不足。この大事な躰をこれ以上痛めつけるわけにはいかない。休める時に休まなくては。


 よって、フラクはこの声を無視する方針を決めた。どうせ今やっている授業は一年の内容だ。『既に去年』、同じ内容を履修している。二度も聞く意味もない。


「フラク・レムレス!!!」


 が、声に不穏な雰囲気が交り始めた。近くにひとの気配がある。同時に、なにかを振りかぶるような兆候を肌に感じ――


 バチン!


「――っと」


 フラクは咄嗟に身をかわし、開いた瞼の先に叩きつけられた教鞭を視認する。顔を上げれば、頬をヒクヒクと痙攣させている男性教官の姿があった。


「うまく躱すじゃないか、フラク・レムナス」

「あぁ~……おはようございます……」


 講堂のような教室。天井近くまで伸びる窓から午後の日差しが降り注ぐ。周囲からはこちらの様子を伺い、ヒソヒソと「またあのひと」、「ちっ、霊ナシの劣等が」と囁く声。全員が黒の制服に身を包み……しかしフラクのような白の装飾ではなく、全員が銀の装飾を身に着けている。


「いい度胸だな~、フラク・レムレス? 無断で学院を抜け出した挙句の長期外泊。ようやく出席したかと思えば居眠りか~? ワタシの授業はそんなに退屈だったか~?」


 男性教官――イーラ・フェルドがこめかみに青ジスを立ててこちらを見下ろしている。なかなかに甘い面立ちの男性教官で女子生徒から人気がある。しかし彼の顔は怒りに歪みまくっていた。綺麗な顔が台無しである。


「すでに去年、同じ内容は受講済みなので」

「それを~、『留年』した貴様が言うか~? ならここにいる連中全員に、今の授業内容を説明してくれるよな~?」

「……いまさら学院創立のおさらいでもしろと?」

「同じ内容なんだろ?」

「はぁ……聖暦379年……人類種、亜人種を襲う『呪形者カースド』と呼称される異形が出現。人類種、亜人種に甚大な被害が出ることになりました――」


 面倒くさそうに、フラクは立ち上がると学院のおこりと、百年以上におよぶ呪形者との戦いの歴史を解説していく。


 王立武霊学院。

 創立されてから五十年程度と、まだ歴史は浅いものの、呪形者に対抗できる戦士――武霊契約者ソーディアンを数多く輩出してきた名門校である。

 同時に、学院の上級生、成績優秀者は地方に出現する呪形者に対応するため派遣されることもある。すなわち、学院は呪形者に対する最前線基地でもあるのだ。

 過程は三年。全寮制で、人口数十万人の中央都市に匹敵する規模の敷地内では、商業施設を始め、畜産業、農業までが全てが賄われ、もはや一つの都市として機能している。ゆえに、この地は学院都市と呼ばれることもある。


「呪形者は、およそひとが用いる武器で倒すことは困難であり、聖霊、あるいは神霊といった、通称『武霊アーキス』宿した武器での攻撃が最も有効である」


 呪形者……いずこから現れ、何ゆえひとに敵対するのか。その生態も行動原理も謎に包まれた異形の存在。これまで幾人もの学者がその正体を掴もうと躍起になったが、現在でも正体は不明なまま。


 ほとんどは動物の形を模した姿で現れ、稀にひと形、更にはそれらの要素が混ったような複合型と呼ばれる個体も存在する。


 分かっていることは、呪形者が出現する地域には必ず、『魔渦オーブ』と呼ばれる、瘴気を放つ代物が近くにあること。


 そして――呪形者に殺された生物は、呪形者になってしまうということだ。

 ひとはこの現象を呪いと呼んだ。故に『カースド』。


 呪形者の体表には結晶体の核が露出しており、破壊することで倒すことができる。なお、核以外をどれだけ傷付けようと、連中はすぐに再生してしまう。


「核は通常兵器でも一応の破壊は可能だが、大抵は結界によって守護されており、これを突破できるのは、武霊兵装のみであり、これを操る戦士を総じて武霊契約者と呼ぶ……これでよろしいですか?」

「……それだけ解説できて、なぜ学科で最下位を取れるか不思議でならん」

「おだてても『俺』の躰にいやらしい視線を向けるのは許しませんよ」

「誰がお前みたいなガキに欲情するか!」


 イーラは身を乗り出し唾を飛ばしながら声を荒立てる。フラクはさっと身を屈め、後ろの席の女子生徒に唾液が掛かった。心なしかちょっと嬉しそうなのは見なかったことにしてやろう。


 フラクが再び立ち上がると、彼は「はぁ~」と溜息をもらしてフラクを指さす。


「あと、ちゃんと女子生徒用の制服を着て来いって、何度も言ってるよな~?」

「制服は気が向いたら。あとすみませんが、もう寝かせてもらってよろしいでしょうか?」

「はぁ~~~~っ?」

「夕べは夜に雨が降ってきたせいで強行軍する羽目になりまして……おかげでほとんど寝てないんです……ふわぁ~……」


 途端、イーラのこめかみで血管が切れた。


「き~さ~ま~……」

「はぁ~……わかりました」

「なにが、わかったと?」

「ここで寝ると教官が不愉快なようなので、外に出て適当な場所で寝ることにします」

「ふざけるなぁぁぁぁぁぁぁ~~っっ!!」


 教官の怒声に耳を塞ぐ。よく通る声だ。これなら戦場でも遠くまで指示が飛ばせる。彼は優秀な指揮官だ。


 イーラが再度、教鞭を振り上げる。フラクはさっと席から飛びのき、後ろの席に着地。「きゃあ」と悲鳴を上げる女子生徒に「すまない」と軽い謝罪で応じ、そのまま扉を蹴破って外へと飛び出した。


「待て! フラク・レムレス~!!」

「イーラ教官~、あまり怒りっぽいと長生きできませんよ~?」

「誰のせいだと思ってる! おいこら~!!」


 遠ざかるフラクの後姿に、イーラは髪を掻きむしる。


「あのバカ……今年も留年するつもりか」

「きょうか~ん。あんなの放っておいて授業の続きやっちゃってくださいよ~」

「そうです。あのような不良生徒のために、私たちの時間を浪費されるなんて耐えられません」

「だいたい、去年からずっと聖霊と契約できてないとか……そんな奴と一緒に授業ってだけで腹立たしいってのに」


 口々にフラクへの不平不満、悪態を吐く生徒たちにイーラは大きく溜息を吐き出す。


「わかったわかった。授業を再開する」


 イーラは開いたままの扉に目をやりつつ、意識を生徒たちに戻して授業を続けた。


 ・・・


 フラク・レムレスは王立武霊学院はじまって以来の問題児にして異端。

 遅刻、無断欠席、素行不良、学科試験は底辺街道まっしぐら。加えて、この学院で最も重要視されている聖霊技能試験順位はダントツの最下位ビリ……


 二年への進級試験の悉くに落第し、一年をやり直す羽目になった。普通、そこまでいくと大抵の生徒が学院から去って行くものだが……カノジョは平気な顔をして居座っている。


 それ以前に、入学してから半年もあれば誰もが武器に宿った聖霊と契約しているのだが……フラクは聖霊と契約できていない。


 学院の歴史を遡っても、これ以上ないほどの劣等生。


 だというのに、本人はまるで気にした素振りもなく、いつも人を食ったように飄々としている有様。


 今も、カノジョは学院の中庭に設置された長椅子で眠りこけている。


 光を吸い、まるで深い闇のような黒髪、影を落とすほどに長いまつ毛。

 劣等生と名高いカノジョ。しかしその容貌は、無駄と形容できるほどに整っている。さながら、神が手ずから造形したかのような美しさ。

 寝息の度に上下する胸元の発育は良く、ダボっとした男子制服の上からでもその大きさがうかがえる。背丈は周囲の女子の平均にしてはやや高い。

 

 中庭を吹き抜けていく心地よい風が肌を撫でる。午後の日差しは真綿のように躰を包み、遺跡探索で蓄積した疲労を溶かすかのようだ。


「――あら、また授業を抜け出してどこへお隠れになったのかと思えば、このような場所で優雅にお昼寝ですか? イーラ教官が頭を抱えておりましたわよ」

「ん……?」


 微睡の中、嘲笑まじりの声にフラクは目を開ける。


「ごきげんよう、フラク・レムレス。相変わらず能天気なお顔ですわね?」

「ああ、麗しの副会長様か。なにか用でも?」


 見上げた先にいたのは、輝くプラチナブロンドの長髪を編み込みでまとめた聖徒会せいとかいの副会長――アリス・ドライグだった。

 燃えるような深紅の制服には銀の装飾があしらわれている。


 フラクを見下ろす琥珀のような瞳には侮蔑の色が見て取れた。

 その背後には、彼女の側付メイドである黒髪の少女、ティアーが控えている。フラクやアイリと比べてかなり小柄。存在感も希薄で、少し目を離しただけで見失ってしまいそうだ。


「あなたに、用ですって? それはなにかの冗談ですの? 全く笑えませんわね。わたくしはたまたま、ここを通りかかっただけですわ」


 ふん、と腕を組み胸を逸らす。フラク以上に豊かな胸が勢いで跳ねた。


 ……相変わらず目に毒な体をしている。


 フラクは視線を外し、それに目ざとく気付いたアリスが、これ見よがしに更なる挑発を仕掛けてくる。


「ひとの顔もまともに見られませんの? まぁ当然ですわね。なにしろ、入学してから一年以上も経つというのに、いまだに聖霊と契約もできず、あまつさえ――ウツロなどを好き好んで使うような有様ですものね~?」


 アリスの視線が、フラクの腰に下がる灰色剣に向けられた。不快の色をにじませる態度に、フラクは普段はほとんど見せない苛立ちを見せる。


「お前には関係ない」

「関係ならあります。ウツロは不吉の象徴。武霊学院では所持はおろか持ち込むことさえ忌避される代物ですわ」

「別に所持することも使用することも禁止されてはいないだろう」

「学院の恥だと言っているのですわ。このような公衆の面前で、恥ずかしげもなく身に着けていられるその精神が理解できません」

「別に、誰も俺のことは理解できないし、理解してもらう必要もない」

「『斬れなくなった刃』に我が身を委ねることを、どう理解しろとおっしゃるのですか?」


 アリスの悪態に、フラクの苛立ちが募っていくのがわかる。

 不穏な気配に、周囲に野次馬たちが集まり始めた。


「お嬢様。そろそろ定例会のお時間です」

「ああ、そうでしたわね。地べたを這いつくばることしかできない輩を相手に、ムキになりすぎましたわ」

「そうですね……(わざわざ全力疾走で中庭に下りて来たんですけどね、このひと)」

「ティアー、なにか言いましたか?」

「いいえ。今回の出席者は少ないですが、少し急いだほうがよろしいかと」

「言われなくて分かってますわよ。それでは失礼しますわ。今日はもうあなたの顔を見ないことを祈ります。実に、不快ですので」


 言うだけ言って学院に踵を返すアリス。ティアと呼ばれた少女がフラクに軽く頭を下げ、主人の後を追う。


 後に残されたフラクは、周囲の野次馬たちからの好奇の視線を浴びながら立ち上がる。


 すると、学院側から卵がフラク目掛けて投げつけられる。見え見えの軌道に、フラクは首を横に倒すだけで回避……しかし、


 パチン――


 飛来した卵は別の方向から投げ込まれた石礫によって割れ、フラクの顔と制服を汚した。


「はっ……聖霊とも契約できない能ナシが」

「さっさと退学して出ていけばいいのに」

「学院の面汚しが」

「恥知らず。アリス様の手まで煩わせるなんて、何様のつもりよ」

「加護の消えたウツロをいつも持ち歩いて……気味が悪いったらない」


 侮蔑と嘲笑……悪意の視線に晒されながら、フラクは「はぁ」と息を吐きながらその場を去った。


「……急いであの遺物について調べないとな」


 この躰を、これ以上穢される前に、あの遺物の機能を完全に把握する必要がある。


「その前に、躰を洗うか……」


 フラクは学生寮ではなく、学院都市近隣の森へと歩みを進めた。

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