5 衝撃の展開
立花先生は犯人の可能性がある人物の説明を続けた。
「二人目は
「薬剤師さんなら緊縛性ショックなどには興味なさそうですが?」
「実家があると言っても、普段は首都圏に住んでないしね」と島本刑事。
「しかし司法解剖には興味があったみたいだから、疑いがないとは言い切れないと思う」
「そうですね」と私は言った。薬剤師さんまで犯人候補に挙げたのは、立花先生が何かに引っかかったからだろう。
「三人目は東京都立医大の法医学教室に勤務している
「時々司法解剖でお世話になっているよ。なぜ金丸先生が怪しいと思ったんだい?」
「彼は東北の地方集会に毎回参加してるんだ。白神との接点があるようだから、白神の実験計画を知った可能性がないとは言えないんだ」
「なぜ関東の先生が東北の地方集会に毎回参加しているんですか?基本的に東北地方の先生方が参加する学会ですよね?」
「法医学者なら全国から参加可能な上に、東北の地方集会は温泉地で開催することが多いから、温泉目当てで参加する人が少なくないんだ」
「そうなのですか。楽しそうでいいですね」
「温泉に入った後、酒を飲みながら症例報告を続けているようだよ。『夜の法医学会』と称して、はめを外しながら議論しているらしい」
「はは・・・」私は苦笑した。どんな症例を報告しているのだろう?
「そういう席で金丸先生が白神の計画を知った可能性はある」
「東京に住んでいるなら犯行はしやすいですね」
「調べた限りではこの三人が白神と親しい関係者だよ。ほかに犯人がいるのかもしれないけど」
「疑われていると気づかれないように捜査を進めてみるか」と島本刑事。
その時、法医学検査室のドアが突然開いて男性が顔を出した。
「島本刑事、また立花先生と悪だくみかな?」とその男性が言った。
その男性は法医学教室の助教授の
「警電がかかってきてるよ」と島本刑事に言う上野先生。警電とは警察電話のことだ。警察内部の専用回線で、法医学教室の事務室に一台設置されている。
「私ですか?ありがとうございます、すぐに参ります」と島本刑事はいつになく丁寧な言葉で返事した。
「上野先生、藤田先生たちの情報、ありがとうございます。今、島本刑事に話していたところです」と立花先生が言った。
「まあ、僕もあまり知っているわけじゃないけどね」
島本刑事が法医学検査室を出て行くと、さらに上野先生が立花先生に言った。
「ところで今夜、有田教授と飲みに行くことになってるんだけど、立花先生も行くかい?」
「はい、ご一緒させていただきます」と答える立花先生。
「あなたはどうする?」と上野先生が私を見ながら言った。
「申し訳ありませんが、私は帰らせていただきます」
「そうか、わかった」と言って上野先生も法医学検査室を出て行った。
「例の三人の情報を上野先生から聞いたんですか?」と私は立花先生に尋ねた。
「うん。おととしの地方集会の参加者の中に藤田先生ら三人も含まれていたけど、上野先生に白神と仲が良かった人がいたか聞いてみたんだよ。上野先生もその地方集会にたまたま参加していたからね」
「え?・・・上野先生も東北地方の集会によく行かれるのですか?」
「いや、参加したのはその時が初めてかな。いつもは行かないんだけど、陸羽医科大学の助教授の先生と昔から仲が良くてね、その年はその先生に誘われたので行くと言っていた」
「そうですか・・・」上野先生も盛岡のあの地方集会に行っていた。白神と接触する機会はあったのだろうか?
「いやいや」と私は頭を振った。あの地方集会に参加しただけでは容疑者とはなり得ない。それに白神の事件の時は、有田教授に警察の会議に出てもらったので、上野先生も事情を知っているはずだ。だから今回の事件を起こすはずがない、つまり、容疑者にはなり得ない、と私は確信した。
しばらくすると島本刑事が戻って来た。
「腕に注射痕がある人が見つかった!」と私たちに告げる島本刑事。
「注射痕!?・・・その人は、空気塞栓症の実験をされた三人目の被害者と考えてよろしいんでしょうか?」と聞き返す。
「それはまだはっきりとはしないんだが・・・」とだけ言って続きを話さない島本刑事。
「どうかされたんですか?」
「実は、腕に注射痕がある人が二人見つかったんだ!」
「ええっ!?」驚く立花先生と私。
「どういうことですか?」
「どうもこうもない。酔っぱらって前後不覚になっている時に腕に注射をされたようだと訴える人が二人出てきたんだ」
私は立花先生と顔を見合わせた。
「とにかく説明してくれないかい?」と頼む立花先生。
「ひとり目は二十一歳の大学生。昨夜は飲み過ぎて、飲屋街から奥に入った路地の道端で酔いつぶれていたらしいんだが、朝目が覚めてみると右上の袖がまくり上げられていて、注射したような痕から血が一筋垂れていた。本人は酔っている間に誰かに妙な薬でも注射されたんじゃないかと思い、あわてて病院に駆け込んだそうだ。検査の結果特に体に異常はないし、本人も二日酔い以外の症状はないということだったが、事件の可能性があるので本人の了解を得て医者が通報してきたんだ。今、別の刑事が酔いつぶれるまでの足取りの聞き込みをしている」
「もうひとりは?」と私は聞いた。
「こっちは五十七歳の会社員。大学生が酔っぱらったのと同じ飲屋街で同僚と飲んでいたらしいが、同僚が帰った後も飲み続けていて、気がついたら近くの小さな公園のベンチの上で朝を迎えたらしい」
「そしてその人の腕にも注射痕があったんですね?」
「そう。袖はまくり上げられてなかったんだけど、右肘の内側が痛いんで袖をまくり上げてみたら、同じく注射したような痕から血が一筋垂れていた。本人はそのまま勤めている会社に出社しようと考えたらしいが、だんだん気味が悪くなって、会社に有給休暇の届を出してから、大学生が受診したところと同じ病院に行ったんだ」
「同じ病院?・・・偶然ですか?」
「職場の近くで飲んでいたらしいから、職場に一番近い総合病院に行ったんだが、そこが飲屋街とも近くてね、偶然でなく必然かな?」
「なるほど」
「ただ、こっちは偶然かもしれないけど、同じ医者がその会社員も診察してね、また同じような注射痕がある、これはおかしいって言って、乗り気でなかった会社員を説き伏せて警察に通報したんだ」
「そのお医者さんも驚いたんでしょうね。でも、二人も同じような患者が来たら、それこそ事件を疑いますね」
「そうなんだ。で、その会社員も健康に問題はなかったそうだ」
「その二人も空気塞栓症の実験をされたのかな?だとしたら、今回の被験者は四人になってしまうけど・・・」とつぶやく立花先生。
「必ずしも三人までとは決めてなかったのかもしれませんよ。あるいは、同じ繁華街で実験できそうな相手が二人も見つかったのでつい調子に乗ったのかも」と私。
「そうだな。とりあえず、その会社員の昨夜の足取りも捜査している」
「問題は長髪サングラスの男が関与していたかどうかですね」
「そうだ!長髪サングラスの男の正体も早いとこつかまなくては!・・・今日も参考になったよ、ありがとう。それじゃあ」と言って島本刑事は帰って行った。
「じゃあ、僕はこの後上野先生たちと出かけてくるよ」
「はい、わかりました。楽しんでくださいね」と私は言って下宿に帰った。
翌日は普通に大学に行って講義を受け、その後ミステリ研の部室に寄った。
部室には久米さんしかいなくて、ひとりで文庫本を読んでいる。
「こんにちは、久米さん。何を読んでるの?」
「こんにちは、一色先輩。今読んでいるのはクロフツの『英仏海峡の謎』です。登場するフレンチ警部は犯罪の痕跡をひとつひとつ追跡し検証していって、ようやく犯人にたどり着くんですが、実際の警察の捜査もそうなんでしょうね?」
「そうね。最初から犯人がわかっている事件ならいいけど、そうでなければ捜査して、容疑者を見つけて証拠やアリバイを調べ、犯人でなさそうならまた別の容疑者を捜して・・・と地道な捜査を続けなければならないわね」
そんな話をしていたら、部室のドアが開いて勢い良く典子さんと教君が飛び込んで来た。
「あ!一色先輩がまだいる!」と大声を出す教君。
「え?どうしたの?」
「医学部で大変な事件が起こって朝から大騒ぎでしたよ!聞いてないんですか?」
「何のこと?」
「法医学教室の有田教授が亡くなったんです!」と典子さんが言って私はびっくり仰天した。
「え?・・・何が原因でお亡くなりになったの?・・・病気だったの?」
「詳しいことはわからないけど、警察が来ていたわ!」
「そこで僕たちはそっと法医学教室の前まで行ってみたんだ」と教君。
「そこで警察官に部屋に入るよう指示されている立花先生を見た!信じ難いけど、立花先生が容疑者なんだよ!」
「えええっ!?」私は飛び上がらんばかりに驚いた。
「と、とりあえず法医学教室に行ってみる!」私は立ち上がって部室のドアに向かった。
「私は立花先生を信じているわ!」という典子さんの言葉が背後から聞こえ、私を余計に不安にさせた。
少し離れたところにある医学部の建物まで走る。
そう言えば昨日、立花先生は有田教授と上野助教授と一緒に飲みに行くことになっていた。その席で何かが起こったんだろうか?
でも、立花先生は温厚で、滅多に怒るような人ではないし、怒ったとしても暴力を振るうようには思えなかった。
私は有田教授と親しく話をしたことはないので、どのようなお人柄かは知らない。立花先生から時々話に聞くだけだ。
立花先生と意見が食い違うこともあったのかもしれない。でも、立花先生が有田教授の悪口を言うのを聞いたことはない。人間関係は良好だと思っていた。
そんなことを考えながら医学部棟の前に到着すると、私は息が切れたのでいったん立ち止まって、ぜいぜい言いながらあたりを見回した。
医学部棟の入口前にパトカーが二台停まっている。警察官はいない。少し離れたところに白衣を来た人が数人立っていて、パトカーの方を見ながら何やら話をしていた。
私は医学部棟の入口に飛び込むと、奥にある法医学検査室を目指して足早に進んだ。薄暗い廊下に警察官と大学職員らしい人が二、三人立ち話をしている。
その時廊下に面した部屋のドアが開いて、中から立花先生と島本刑事が出てきた。そして立花先生の両手の手首より先は、白いハンカチで覆われていた。まるで何かを隠すように。
「立花先生!」私の声に気づいた立花先生が、青ざめた顔を私に向けるのが見えた。
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