第二章 旅立ち
第9話 残りがわからないって!
どうしよう、このまま街道に出ていいのかしら。
人の気配が近づいてきた。蹄の音が聞こえる。荷馬車だ。荷馬車が街道をゆっくりと通り過ぎて行った。
林の中、太めの樹の下に座り込んで、地図を眺めた。一番近くの町はナシムだ。さっきの荷馬車はナシムに向かったのだろう。とりあえずナシムを目指すかな? 問題はこの世界のお金を持っていない事だ。町についても宿に泊まれない。ギルドで何か買い取って貰うしかない。
テトに連れられて魔物を狩る練習をした時、狩った魔物は全部バトラーに保管してもらっている。これを売ればいくらかになるだろう。
「バトラー、食料は後どれくらいある?」
バトラーに在庫を訊いておかないと、場合によっては飢死する恐れがある。
「どれくらいと申されましても」
と珍しく姿を現して言った。
「どういう意味?」
「数はわからないのでございます」
「は?」
「たとえば、アズサ様がこれこれが欲しいとおっしゃれば、それをお出し出来ます。もちろん、持っていればでございますが。しかしながら、ではそれが、幾つあるかは分からないのでございます」
「持っているアイテムの数は数えられないってこと?」
「はい、さようでございます」
「てことは、たとえば、パンがある日突然なくなって、出して貰えなくなるってこと?」
「そうでございます」
「つまり在庫管理は出来ないってことなんだ」
「さようにございます」
なんてこと!
例えば、ダンジョンに潜って、ポーションがあると思っていたら、最下層ラスボス戦の最中に「在庫がありません」とか言われる可能性があるわけ?
それ、即死じゃん!
即死コースじゃん!
だー、めっちゃやばい!
「私めに在庫は数えられませんが、種類は分かりますし、そうでございますね、例えば、アズサ様がパン百個と仰られましたら、持っていれば、出せると思います」
「なるほど!」
てことは、パン百個を出せたら、百個の在庫ということか。
即死コースは免れそうね。
「二百個出してと言って出てこなかったら、二百はないってことね」
「さようでございます」
「つまり、パンの在庫は百から二百の間ってことね」
「はい」
なるほど、大雑把な数はなんとか把握出来そうね。
「ねえ、バトラーは貴族の屋敷を丸ごと取り込んで霊になったって、メリーから聞いたんだけど」
「はい、さようでございます」
「貴族の持ち物はあると思っていいわけね」
「はい、さようでございます。貴族だけでなく、今までいろいろな方に取り憑いてまいりましたので、庶民から魔物まで、様々な物を所有しております」
「もしかして、あんた、死んだ人の財産、全部持ってるの?」
「はい、さようでございます。今は、アズサ様がご主人様でございますので、総ての財産はアズサ様の物でございます」
あ、目眩がしてきた。
これはよーく考えないと。
「例えばだけど、金貨はあるの?」
「はい、ございます。金貨に関しましては、些か古い情報ですが、数もわかります。私めが死んだ時にお仕えしていたご主人様の金貨でしたら、七万枚ほどございました」
金貨七万枚!
金貨一枚がどれくらいの価値かわからないけど、途方もないってことはわかる。
「あ、でも、今、何枚あるかわからないのよね?」
「何枚あるかは分かりませんが、増えたのではないかと思います」
「何故?」
「私め、ドラゴンに取り憑いていた事がございまして、その時、持てる金貨を全て出せと言われまして、全て出したのでございます。ドラゴンが嬉しそうに金貨十万枚はあると申しておりました」
「なるほど。そして、ドラゴンが持っていた財宝も総て持ってるってわけね」
「さようでございます」
なんか、もう、何がなんだかわからなくなってきた。
「あんたの事、知ってる人っている?」
「いえ、私めを存じている人々は、テト様に成敗されたかと」
「ちなみに、どれくらいテトに取り憑いていたの?」
「そうでございますね、約五十年ほどかと」
「あ、そう。それなら、確かに知ってる人はいないわね」
「何か?」
「だって、あたしを殺したら、あんたの莫大な財宝が手に入るわけでしょ」
「……、確かに」
「つまり、あんたがあたしに取り憑いていることは絶対に秘密ってことよ。あー、やっぱ、霊に取り憑かれるなんて、悍(おぞ)ましいことなんだわ。あんた、成仏する気はないの?」
「はあ、出来ましたら、成仏したいのですが、これはその、呪いでございますので、解けることはないかと思います」
「え! 呪いなの」
「はい、呪いでございます。私にはどうにも出来ないのです」
「まあ、いいわ。とりあえず、今、あんたから貰った物で、他人が見てあんたが取り憑いてるのではって疑わせるような物はない?」
「ございません。大抵の物は旅の古物商から買った、或いは、死んだ両親が残してくれた、先祖伝来の物といえば、それ以上は誰も詮索しません。この世界は弱肉強食の世界、人々は今を生きるのに必死で他人を詮索している暇などないのです。田舎でくらしていたけれど、両親を魔物に殺されて冒険者を目指したといえば、それ以上は皆、訊いてきません。遠縁の若者を探しているといえば、あなた様がお探しの方についても皆、快く訊いてくれるでしょう。ただし、もちろん、この世界にも悪者はおります。あなたに探している人が見つかったと嘘を言って誘き出し、捕まえて女郎屋に売り飛ばそうとする者もおりましょう。そこは、あなた様の才覚一つでしょう。私めの溜め込んだ財産を生かすも殺すもあなた様次第。あなた様の生き様、とくと拝見させて頂きます」
長口上の後、バトラーは深々と頭を下げた。
うーん、食えない爺さんだ。
「ねえ、あたしと念話で話せる?」
「はい、話せます」
(えーっと聞こえる?)
(はい、聞こえます)
(あなたの声も聞こえるわ。これからは念話で話しましょう。荷物を取り出す時は、そうね、大きめのアイテムボックスを持っていると言って誤魔化すわ)
(それで宜しいかと)
(でも、丸腰というわけにはいかないわね。お金が入った皮袋ってある?)
(はい、ございます)
早速、目の前にベルト付きの小銭入れ、ウエストポーチのような物が出てきた。
(貨幣が入った財布でございます)
ベルトを腰に巻いてみた。何の皮でできているかわからないけど、軽くて丈夫そうだ。お金が入った皮袋も同じ皮で出来ている。中を見たら、金貨三枚、銀貨五枚、銅貨八枚が入っていた。
(金貨三枚、銀貨五枚、銅貨八枚が入っていたんだけど、これってどれくらいの価値があるのかしら)
(そうでございますね。食事付きの宿に十日ほど宿泊してもお釣りが来るかと)
(当座のお金としては十分ね)
さてと、頭を切り替えてと。
とにかく、先輩の情報を集めなきゃ。
(バトラー、この世界で情報を集めるとしたら、どうしたらいい?)
(冒険者もいいですが、商人の情報網も侮れません。テレパシーがお使いになれるのでしたら、政治の中枢部の近くに身を置いて、王や側近の心を読むという方法もございます。危険は伴いますが)
(危険なのはダメよ。でも、そうね、政治の中心に行くのはいいかもしれない。この世界、女が一人で旅をしても問題ないの?)
(普通は集団で移動します。貴族はお抱えの騎士達を連れ、商人は冒険者を複数雇います。街道には魔物や盗賊が出ますので)
(ということは、あたしが一人で街道を歩いていたら怪しまれるかも)
(それはないでしょう。最初は複数でも町の近くで別れた、或いは、魔物から逃げ回っていてわからなくなったなど、言い訳は色々できます)
(うーん、逃げ回った割にはあたしの格好は小綺麗じゃない?)
(確かに)
(まあ、いいわ。衣服は街道に出ないで森の中を移動すれば汚れるでしょう)
なんとかなるか。
それより、あたし大金持ちなんだよね。
(バトラー、宝石はある?)
(はい、ございます)
(たくさん?)
(はい、一つ以上という意味でしたら、たくさんございます)
(うーんとね、ちょっと待って)
あたしはもう一度、林の中をテレパシーを使ってサーチした。
人も魔物もいない。
木の根を離れて平らな地面のある場所に出る。
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