第32話 2度目の敗北
昔から体格に恵まれていた鬼頭は、喧嘩や空手で負けることがなかった。
恐怖というものを知らなかった。
あの男に会うまでは。
その人物は、一条 実。
初めて会ったのは空手の全国大会。
決勝に進んだ鬼頭の相手が、初出場の一条であった。
しかも、一条は、適正階級は一つ下にもかかわらず、鬼頭と同じ一番上の階級に出ていた。
鬼頭は、絶対に負けない自信があった。
いざ試合をしてみると、鬼頭が気がついた時にはベットの上であった。
一瞬で決着がついたのである。
試合開始直後に繰り出された、一条のノーモーションの蹴りが、鬼頭の顎にクリーンヒットしたのであった。
一条は特に授賞式に参加することなく帰った。
取材も断った。
一条にとって試合は、ただの作業に過ぎなかった。
そのことを知った鬼頭は、恐怖よりも、怒りを感じていた。
学校を調べた鬼頭は、一条と一緒にいた女を連れ出して、一条を暴走族の頃に集合場所にしていたところに呼び出した。
リンチをしようと仲間5人で襲ったところ、一条は一人一人、丁寧に一発ずつ軽く的確にカウンターを決めることで気絶させた。
その動きは、不良が到底到達することができない、洗練されたものであった。
「やれやれ、僕は君に構っている余裕はないんだ。もうこれで、終わりにしてくれ……」
ため息をつきながら、余裕そうな態度の一条を見て、鬼頭は、一条のイケメンの顔を見るに堪えない顔にしてやろうと考えた。
鬼頭の考えを見透かした一条は、「ノーガードでもらってあげるから。ほらほら! 来なよ!」と思いっきり挑発した。
一条の挑発を受けた鬼頭は、顔面めがけて、思いっきり右ストレートを打った。
右ストレートは腰の入ったしっかりとしたもので、スピードも軽量級のボクサー以上だった。
当たれば、どんな大男も今まで沈めてきた、いつも通りの鬼頭のお得意のパンチだった。
なんの問題なく、一条の顔にクリーンヒットした。
鬼頭は勝ちを確信した。
ただなぜか、拳に当たった感触を感じられなかった。
触れてはいるが、サンドバックをたたいた時に跳ね返ってくるような衝撃を何一つ感じられなかったのである。
目の前には平然と立っている一条がいた。
「もういい? 十分?」
「化け物かてめえ……」
「人間だよ。もういいかな?」
「なんで効かねえ?」
「ああこれ。君の遅いパンチがあたる瞬間に、同じ方向に首をずらして衝撃を緩和しただけ」
「そ、そんなことが可能なのか?」
「できたでしょ?」
「天才かよ……」
「じゃあ、とりあえず、もう手を出さないでくれるかな? 彼女は大切な友人なんだ」
「ああ……」
一条は、鬼頭の太い首をつかみ、鬼頭の目を見て、笑顔で、
「一応、忠告だけど、約束破ったら、この首を折るからね! 僕はいつでも可能だから忘れずに」と声をかけた。
鬼頭にとってそれは冗談ではなかった。
掴んでいる手が本当に今にも、ポキっと首を折りそうであった。
拳銃を突きつけられている。
それ以上の恐怖。
そして、不気味な笑顔。
瞳の奥に不気味に存在する闇。
初めて、死というものを身近に感じた。
体の意図しない発汗。震え。過呼吸。
「ハアハア…わか…り…ハアハアました…」
「その様子だと大丈夫そうだね。では、さようなら!」
一条実は、鬼頭の首に触れただけで勝利した。
*
今、鬼頭はその時と似た恐怖を感じている。
一条とはどこか似ているが、異なる異質の恐怖。
月城はポケットに手をしまい、ゆっくりと鬼頭に近づいた。
「鬼頭く〜〜ん! 俺のお顔を殴っていいですよ? ほらほら! 早く〜〜〜!!」
鬼頭は一条のことを思い出した。
あれが可能なのは、龍上高校で最高傑作と言われし、天才の一条だけ。
パッとしない陰キャにできるはずがないと。
鬼頭は、月城はただ、調子に乗って、おかしくなっていると思っていた。
月城の変化に恐怖を感じながらも、鬼頭は右ストレートを放った。
一条にやった時と同じように。
お得意のパンチだった。
そして、あの時と同じ、触れている感触はあるのに、衝撃が来なかった。
そして、あの時と同じ、目の前に平然と立っている
月城もまた当たる瞬間、首をわずかに移動させることで、衝撃を緩和したのであった。
「面白い顔をしますね〜〜〜!!」
「なんでお前もできるんだよーーーーーー!」
「ああ。そういうことですか。まあ、どうでもいいでしょうそんなこと」
そして月城は、ポケットから左手を出し、鬼頭に軽く左ボディーを打ち込む。
鬼頭は遅れてくる今までに感じたことのない痛みでひざまづく。
鬼頭はあまりの衝撃で、車にはねられたのかと錯覚したくらいだった。
一条のことを思い出し恐怖で呼吸が荒くなるとともに、痛みによっても呼吸が荒くなる。
「ハアハア……」
全身からの汗も止まらない。
鬼頭は、月城にも人生で二度目の恐怖を感じた。
鬼頭は少し安心していた。
月城と一条はどこか似ている。
自分より遥か上にいる人物であったと。
そして、いつでも自分を殺せる存在であったことを。
ただ、実力がかけ離れているせいで、相手にもされない。
今までは、相手にされないために、演技をしていたのだと。
それならば、もう二度と月城にも近づかないと誓った。
そして、今日は、一条が自分に何もしなかったように、月城も何もしないのだと。
そう思っていた。
月城は膝まづいている鬼頭を笑いながら見た後、
「これからがお楽しみの時間ですね〜〜〜!!!」と叫んだ。
「え? 終わりじゃねーのか!?」
「え?」
「え?」
月城は左手で鬼頭の首を掴み、ペットボトルで水を飲むか如く、左腕一本で鬼頭を宙に浮かせた。
「嘘…だ…ろ…??。 俺は…90キロあるんだぞ……」
「アハハハハ!!! 思ったより軽いですね!」
鬼頭は月城に首を握られた時、一条に握られた時と同様の恐怖を感じた。
今にも太い首を折ってしまいそうな力だった。
そして、つかんでいるその人物の目に光がない。
不気味な闇しか見えない。
一条より遥かに深い闇だった。
月城は、持ち上げながら、力を最小限にして右腕で鬼頭の腹を殴った。
鬼頭は、『ゲホッゲホッ』と血を吐き出した。
「わ〜血はきましたよ! アハハハハ! ああ〜! なんでこんなにスッキリするんだ〜!!!」
また一言つぶやく。
「でも、まだ足りねえ〜全然たりねえ〜」
月城の独り言は止まらない。
「歯を全部折ろうかな〜。失明させようかな〜。 何がいいかな〜。 ああ〜、 迷うな〜」
「た、たのむ…もうやめてほしい…もうすぐ試合が近い。受験にも関係するんだ」
「それは大変ですね そうですか。わかりました!」
月城は手を離した。
鬼頭は、腹にくる痛みから地面にうずくまった。
やっと終わる。
そう安心した鬼頭であった。
月城は、地面にうずくまっている鬼頭に近づいた。
月城は、鬼頭の右腕を持って後ろに引っ張りまっすぐ伸ばした。
そして、肘の関節を足でおさえ、発泡スチロールを割るように、腕を反対方向へと折った。
パキッ!という音が響くと同時に鬼頭の『うわあああああああ』という悲鳴がトイレに響く。
「わ、わかりました! もう早乙女姉妹にも、お前にも手をださない!」
「わかりました!」
笑顔で返事をした月城は、鬼頭の左腕を後ろに引っ張り伸ばした。
そして肘の関節に足を置いた。
「…いや…だから…もう手を出さない…」
「はい! わかっております!」
そう言って、右腕と同様に左腕も軽く折った。
「ぎやああああー! ああああ… なんでだよ! クソクソクソ! いてえいてえ! もう許してください!」
月城は満足して、入口の方に戻って行った。
「あ。これは、まだ壊された分でしたね。そういえば、俺はあなたに殴られた記憶がありますね」
「も、もう十分だろ…!?」
「あれは痛くはなかったのですが面倒でした。それにまだスッキリしてませんし」
「この状態だ……もう勘弁してください……」
「いや。スッキリしないので、続けますよ?」
月城は、片手で鬼頭を軽々と持ち上げ、個室の前に連れて行った。
「それでは、このトイレの水を飲み干してください」
「は? そ、それは無理だ…です…」
「それもそうですね。 では、それなりに飲んでいただければ結構です」
「そ、そうじゃなくて……汚いというか」
「一条ホテルの清掃は完璧なので、問題ございません。飲まないというのであれば……」
そういうと、鬼頭の首を掴み、「折りますよ?」と宣言した。
鬼頭は、真顔の月城を見て、殺すことをなんとも思わない奴であることを理解した。
「ど、どうやって飲めばいいですか?」
「手ですくって飲んでください」
「手がこの状態…なのですが…」
「何か問題でも?」
鬼頭は諦めた。
感覚もないてで何度もすくってこぼしながらも口に運ぶ。
それなりに時間がたった。
始めは面白かったものの、同じ作業だったので月城は飽きてしまった。
「飽きましたね……。ん〜〜〜。とりあえず、暇ですね」
月城は、少し広いところに移動して、鬼頭に馬乗りになりながら、すぐに意識を飛ばさせないように、ゆっくりと鬼頭の顔面をなぐる。
力を制御しているため面白くない。
ただ、人の顔がゆっくりと腫れ上がるのを見るのが楽しくて仕方がなかった。
「も、…う…や…め…」
段々と意識をなくす鬼頭を見て月城は悲しくなった。
もう遊べない悲しさによるものだった。
後、数発は堪えられると思って殴り続けていたが、それより手前で、鬼頭は完全に気を失なってしまった。
それを見た月城は心の底から、絶望した。
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