第9話 ダンジョン震だ、逃げよう(片付けよう)

「それでは第二回戦、白石さんVS志葉さんの近接格闘戦を開始します。レディファイッ」

「ちょ待――っ」


 まさかの武装に白石が冷静を取り戻しきれていないうちに、来宮が試合開始の宣言をする。

 慌てて後退し、距離を稼ぐ白石だったが、意外なことに志葉は追いかけてはこなかった。


「あれぇ? 白石さん? 近接格闘戦を挑んだのに逃げるってどういう了見です?」

「ち、違うっす! いままさに試合展開のプランニング中っす!」


 白石あずきはその闘争本能むき出しな野性的な性格と裏腹に、こと試合においては極めて戦術的だ。


 敵の得意とする型、距離、攻撃の癖、それらをできる限りリサーチし、試合展開を予測し、試合が開始する前にシミュレーションを完成させる。

 いわば、彼女の戦闘スタイルは詰め将棋に近い。


(まあ、今回は不確定情報が多すぎて詰め切るのはまず不可能っすけど)


 白石を上回る速度と、彼女と同じガントレットという武装。

 そこから一撃戦ワンショットルールにおいて、もっとも勝ち目のある戦い方を考え、1パーセントでも勝率をあげなければならない。


「行くっすよ」


 地面をえぐり取りながら、白石は弾丸のように飛び出した。

 バスケでたとえるならスリーポイントラインからゴール下まで一歩で移動するレベルのストライド。

 多少の距離は彼女にとって一瞬で詰め切れるレベルの物に過ぎない。


 白石が弓を引くように拳を引く。

 踏み込んだ足が接地する瞬間に膝のクッションを使い、沈み込むように潜り込む。

 狙うは地面すれすれからのアッパー攻撃。


 その動作に合わせるように、黒い拳が迫っていた。


(読めていたっすよ! そのクロスカウンターは!)


 白石は相手の実力を高く評価していた。

 並の相手ならば反応すらできないであろう攻撃を、しかし彼ならば何の問題もなくカウンターを合わせられるはずだと信じていた。


 拳が交差する刹那、白石が鍛え抜かれた体幹を駆使し、攻撃モーションを無理やりキャンセル。

 そしてそのまま半身をひねるように攻撃の予測線上から上体を逃がし、無理な体制を整えるべく軽やかなステップで相手の背後に回り込む。


 ここまでは完璧だった。

 予想した通りの展開だった。


 高く評価したつもりの相手の実力が、それでもなお甘かったという致命的な問題点を除けば。


「んなぁっ⁉」


 衝撃。

 背面から腹部と胸部に向けて、ハンマーでたたかれたような面の攻撃が突き抜ける。

 拳のような一点突破の攻撃ではない。


(何が起こったっすか⁉)


 受け身を取ることすら叶わなかった。

 無理な体重移動を支えていたはずの地面があっけなくひび割れて、バランスを崩していたからだ。


 目を見開き、振り返る白石。

 その双眸が見たのは、拳で地面をたたき割り、そのうえ連撃を繰り出すべくすでに次の型へと移行している男の姿だった。


(けん制⁉ いまの、一撃が⁉)


 白石はおおよそ正しく実力の差を理解した。


 彼女が、彼女を仕留めるべく繰り出したのだと判断した一発目の拳はその実、当てることを目的としていなかったのだ。

 狙いは足場を崩すこと。

 つまり、次の一撃を必ず充てるための布石。


 背面から胸部へと突き抜けた衝撃は、ただの空気の塊だ。

 すさまじい速度で繰り出された拳は、その軌道上の空気を押し固め、衝撃波となって周囲へ飛び散ったのだ。


 距離が離れていれば、その2乗に反比例して減衰していた威力その衝撃波は、紙一重で避けた白石にとっては致命的だった。

 つまり彼女の高い実力が、かえって更なる窮地に彼女をたたせていた。


(避けられない――ッ)


 脳裏に浮かぶ、絶対の死の予感。

 逃れられない必滅の運命。


 血も凍り付くような恐怖が、津波のように全身を駆け巡る。


「はい。これで決着です」


 しかし、その予想とは裏腹に、背中に当てられたのは非常に軽い一撃。


 白石は口を開けたが、言葉は何も出なかった。

 手加減されたことや、自分の敗北を認めたくないことへの悔しさは存外少なかった。

 ならば胸中を占める感情は、相手に対する称賛だろうか。

 あるいは圧倒的実力者に対する憧れ?


 否。


 思うにそれは、もっと複雑な感情。


 強いて言葉にするなら――畏怖。


「いやぁ、参ったっすね……、本当に、何者っすか」

「何者と言われてもですね」


 素足の爪先でふくらはぎをかき、隈だらけの瞳は明後日の方向を見て彼はつぶやく。


志葉しばけい、しがない一般特務通信C整備員ですよ」

「……しばけーみたいな一般人員がいてたまるかっす」


 白石あずきは仰向けに倒れ伏せた。

 完敗だった。


「楽しかったっす!」


 白石が笑顔で言い放った。

 視界の隅に移るコメント欄には、称賛の嵐が巻き起こっていた。


 それはおおよそ来宮祝莉の思い描いたストーリー通りの結末だった。


「志葉さん、見えますか? 志葉さんを称賛する声が、こんなにたくさんありますよ」

「俺にです? 何故?」

「それだけ志葉さんが規格外にすごいからですよ。ここに来てくださった皆さんには、しっかりと伝わってるんです」


 志葉はしばらく、じっと配信画面をのぞき込んでいた。

 久しく忘れていた感情が、ふつふつと沸き上がっている気がする。

 その感情が何なのか。

 それを知っているのは奇しくも彼ではなく、来宮だ。


 承認欲求、名声欲。


 5年という歳月で枯れ果てたはずの泉に、わずかでもそれらを引き込むことに来宮は成功したのだった。


 つまり、本日の目的としては、大成功である。


 チャンネル登録者数もかなりの勢いで増え、来宮は満足していた。

 白石も志葉との戦いで、わざわざ東京名古屋間を移動してきただけの価値があったと満足感に浸っている。


 そんなわけで、少し短いが配信を終えようと、白石がまとめに入ろうとした時だ。


 けたたましいサイレンが、彼女たちの持つ端末から鳴り響く。


 ――緊急ダンジョン震警報。


 その報せが鳴り響く。


「うへぇ、まじっすか」


 ダンジョン震とは、迷宮内部の任意の層で前触れなく発生する魔素暴走のことである。

 本来迷宮内部の魔素濃度は層ごとにおおよそ一定なのだが、時折急激に濃くなる場合がある。

 それがダンジョン震だ。


 原理不明のこの現象は、魔物の活性化を招く。

 本来その層で発生しない強力な魔物が現れたり、あるいは驚異的な回復力を誇ったり、その両方だったりする。


 ダンジョン震の対処法は放置だ。

 この現象によって急激に上昇した魔素濃度は時間経過で低下する。

 次第に、高濃度下で誕生した魔物が生命維持できない濃度まで低下することでダンジョン震は収束と見なされ、それまでは立ち入りが禁止されるのが普通だ。


 白石がげんなりした様子で呟くのと、コメント欄の勢いが増すのはほとんど同時だった。


『ダンジョン震⁉』

『やば、あずき逃げて、超逃げて!』

『6層らしい』

『危なっ、すぐ近くじゃん! やばいって!』


 言われるまでもなく、だ。

 手短に配信を締め括り、終了ボタンを押下する。

 一緒にいる来宮、志葉とともに脱出を試みようとして――


「6層ですか、近いですね。片付けてきます」

「へ?」


 予想外の言葉に、白石は完全にフリーズした。


 予想外だったのは白石だけではない。

 来宮にとっても、その言葉は予想外だった。

 しかしダンジョン震の仕組みと、志葉の真価を知っている分だけ、来宮の方が立ち直りが早かった。


「白石さん、ドローン貸してください」

「わ、わかったっす!」


 ドローンの追跡対象を手早く志葉に変更。

 彼の後を追わせて、配信を開始する。


 開始された配信のタイトルは、【ダンジョン震、突撃してみた】。

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