第7話 冗談(本気)

 栄ダンジョンは6年前、ヒサヤオオドオリパークに誕生した迷宮である。

 もともと公園一体型商業施設としてオープンした土地だったためアクセスも良く、名古屋周辺の探索者で賑わう国内指折りの人気ダンジョンでもあった。

 配信プラットフォームでハッシュタグ検索をすればほぼいつでも誰かしらが栄ダンジョンで配信していることからもその人気はうかがい知れる。


 そしてその配信プラットフォームに、新たにストリーミングが追加される。


「どうもっす、白石あずきっす! 今回は、なんと、栄ダンジョンに来てるっす!」


 チャンネル名は白石あずきch。

 登録者100万人を超過する彼女のチャンネルでは配信間もなく同時接続が4桁を超え、5桁に迫ろうとしていた。

 どうもっすなどのコメントが雪崩のように積もっていく。


 ダンジョン配信に用いるカメラは配信者によってさまざまだ。

 胸ポケットに仕込んだカメラで配信する人もいれば、自撮り棒で配信する人もいる。


 では白石あずきはどうかというと、彼女の場合は高性能なドローンを使用していた。

 独自のAIで独立して動くため画面揺れが少なく、視聴者の画面酔いの心配が少ないタイプの物だった。


 ダンジョン攻略中は自動追跡させるのだが、手動でコントロールすることもでき、いまは彼女を正面から映している。


「それとっすね」


 画角を移しながら、白石が続ける。


「今回は何とスペシャル企画っす」


 遷移した先には男女ペア。

 一人はナチュラルなショートボブと小柄な体躯が愛らしい女性で、一人は身だしなみを一切気にしないタイプの細身の男性。


『うおぉぉぉ! 祝莉ちゃん! 祝莉ちゃんじゃないか!』

『誰?』

『ダンジョン協会渋谷支部探索者支援局の受付嬢……だった人』

『突然異動になったって聞いて心配してたけど栄ダンジョンに来てたんだ』

『さすがあずきさんだ、ファインプレー!』

『隣の一般男性は?』


 わっと盛り上がるコメント欄、画面越しに伝わる熱気っぷりと来宮祝莉の人気っぷりにニタニタと、カメラの外で意地悪い笑みを浮かべる白石が続ける。


「紹介するっすよ。今回同行していただく特務通信整備局、通称SCMBのお二人っす」

「初めましての方は初めまして。ダンジョン協会伊勢志摩支部、特務通信整備局の来宮祝莉と申します。そしてこちらは職場の先輩――」


 来宮が志葉に視線を送る。

 否、送ろうとする。

 送った先に彼はおらず、ドローンの目の前に移動していた。


「おお、このドローンの内蔵カメラで世界中にダンジョンの状況が配信されてるんですか。噂には聞いていましたが、実物を見ると感動しますね」

「志葉さん!」

「あっ、どうも。志葉です」


 コメント欄は盛り上がっていた。

 盛り上がってはいたが、あまり好意的なリアクションではなかった。

 民度が高いことに定評のある白石あずきchをもってして、野生児的なところがチャームポイントである彼女のリスナーをもってして、志葉は田舎者丸出しであった。

 そのことをイジるコメントも少なからず見られる。


 白石はどう対処すべきかを、二人、主に来宮のリアクションから探った。

 困った様子や動転した様子はうかがえない。

 つまりここまでは来宮にとっての想定内。

 であるならば、あえて藪をつつくまでもないだろう。


「リスナー諸氏にははふりーを知ってる人もいるみたいっすけど、アタシが世話になった人が先日伊勢志摩ダンジョンへ転属になったっす』


 白石は来宮から事前に知らされたSCMBの業務内容をかいつまんで解説する。


「SCMBってどうしても現場に赴かないといけないじゃないっすか。受付嬢としてやってきたはふりーに務まるか心配だったわけっすよ。そしたらはふりーが言うには、『うちの職場の先輩の実力を舐めないでください』ってことなんすよ」


 ドローンカメラが志葉の顔をドアップで映す。


「本当にそんな強いんすかー?」

「おおー、これが俗に言う振り、というやつですね?」

「言わなくていいんすよ、それ」


 白石は少し戸惑い、押され気味の白石という珍しい図にコメント欄は盛り上がっている。


「ということで今回は特別企画! アタシらダンジョン配信者を陰で支える特務通信整備局の構成員はどれだけ強いのか! その実態に迫るっすよ!」


 白石がドローンを動かし、画角内に彼女と志葉両名が映るように割り込む。


「さっそく質問っす。SCMBとしてどんな点に気を配っているっすか?」

「通信インフラの、常時稼働ですかね」

「そうっすよね! ってことは、不具合があれば迅速に駆けつけるスピードが求められるっすよね!」

「まあそうですね」

「ということで今回はダンジョン攻略RTA回っす。レギュレーションは5層ボス討伐Anyパーセントっす!」


 ダンジョン攻略にはいろいろな種類があるが、今回のAnyパーセントルールは道中の敵を倒しても無視してもいいし、ドロップアイテムも評価に入れないタイプのルールだ。


 ようやく、ようやく戦える。

 白石が闘志を漲らせ、いままさに試合開始の宣言をしようとした、その時だ。


 来宮祝莉が志葉の背におぶさろうとしていた。


「……はふりー? 何してるっす?」

「お気になさらず。いわば、ハンディキャップみたいなものです」

「はふりー一人背負った状態で、アタシと勝負になると?」


 挑発されているのだろうかと訝しみ、白石は密かに眉をひそめた。


「いいえ」


 しかし来宮の回答は彼女の想定と真逆の物だった。

 だとするならなおさら、何故、彼女は志葉の背に背負われようとしているのか。

 疑問が深まる。

 その疑問に答えるように、来宮はやはり、挑発的な笑みを浮かべた。


「圧勝しますよ、この状況でも志葉先輩が。勝負にならないでしょうね」


 白石もまた笑みを浮かべた。

 肉食動物が獲物を前にしたような、醜悪にも思える獰猛な笑みだ。


「上等っす」


 これでも白石は、渋谷ダンジョンでは名の知れた探索者なのだ。

 それは彼女が高性能なドローンを用意できることや、100万人を超えるチャンネル登録者数からも推し量れる。


 来宮は受付嬢時代に白石と懇意にしていたので、その実力をよくわかっている。

 そのうえで、この態度。


(なんで伊勢志摩ダンジョンじゃなくて栄ダンジョンを選んだのかと思ったっすけど、思えばそれもハンデのつもりだったんすかね?)


 かたや通いなれたダンジョン、かたや初見のダンジョン。

 そのことで後になって言い訳をされてはたまらない。

 そういう意味だったのではないかと白石あずきは考える。


 その考えは半分正しい。

 もう半分は、伊勢志摩ダンジョンの魔物が他のダンジョンとは比べ物にならないほど強く、白石の安全を保障できないが故の配慮だったのだが、現時点で彼女がそのことに気付く材料は揃っていなかった。


 とにもかくにも、相手が自信満々であるということだけわかった。

 その自信はいかほどのものか。

 期待するなという方が無理である。


「それじゃ、始めるっすよ?」


 来宮は志葉の背に乗り、志葉は彼女を支えるために両手がふさがっている。

 魔物が出てきたときにどう対処するつもりなのか。

 各階層のボス部屋をどう攻略するつもりなのか。


(その実力、見せてもらうっす!)


 ちらりと視界の隅に映る配信状況を確認する。

 接続に問題は無し。

 同時接続数は3万を超えようとしている。


「レディステディ……ゴーっす!」


 試合開始の宣言を行ったのは白石あずきだ。


 同時に、強く断っておくが、彼女は断じて油断などしていなかった。


 一探索者として、彼女は来宮祝莉という女性を高く評価しており、またその人物が入れ込む相手も相当な実力者であることを確信していた。


 そのうえで、最初の一歩を全力で踏み込んだ。


 彼女がソロで活動する理由は、集団で行動する場合と比べて素早く移動や意思決定ができることに大きなメリットを感じているからだ。

 駆動時間の短いドローンを配信カメラとして愛用しているのも、彼女の攻略速度に対する自信の表れでもある。


 瞬発力と移動速度においては誰にも負けない。

 そんな自負が、いま、打ち砕かれる。


「……は?」


 初速が最高速、加速をしない、白石あずきの独自走法。

 その瞬発力をもってして届かないスピードで、目の前を駆け抜けていく人物がいる。


「速っ⁉ え、冗談っすよね⁉」


 視界の隅、白石あずきは赤色のコメントを捕らえた。

 コメントの送り主の名は来宮祝莉。

 その内容は――


『本気出してくださいね?』


「ありえないっすよ……」


 既に豆粒と化そうとしている背中を、白石あずきが必死の形相で追いかけていく。

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