第6話 しばらくのプロデュース契約(半永久的に)

 勢田川の上を吹き抜ける風が、朝日の到来を知らせている。


 一夜明けて、来宮祝莉は伊勢志摩ダンジョンへと向かっていた。

 そこに彼がいると思っており、果たして結果は彼女の予想通りだった。


「来宮さん、ずいぶん早いですねぇ。まだ勤務時間には時間があるんじゃないですか?」

「それを言うなら今日は祝日ですよ。ですので、今日はプライベートで来ました」

「え……そうだったんですか。すみません、どうも時間感覚というものが壊滅的で」


 24時間1827日、ダンジョンで生活していたのだ。さもありなん。


「いえ、それで、考えていただけましたか? 昨日のお話」


 志葉は渋面を浮かべた。


「すみません、来宮さん。お話はありがたかったです。俺を評価してくれる人に出会えて、報われた気持ちになったのも事実です。けど」


 志葉は言いかけた言葉を呑み込むように口を閉じ、しかし結局、小さなため息交じりにつぶやいた。


「このダンジョンにも、思い入れができてるんです」

「……本当に、このままでいいんですか」


 来宮が食い下がるように志葉に問う。


「志葉さんは実力を不当に安く買いたたかれているんですよ? 本来得るはずだった栄誉も名声も、ここにいる限り手が届かないんですよ?」

「それでも、俺がここにいたって軌跡は残り続けます」

「……サンクコスト効果ですね」


 首をかしげる志葉に、来宮が追加で説明する。


「すでに費やしたコストに気を取られ、引くに引けないと思い込んでしまっている状況です」


 パチンコや競馬に溺れた人が、すでに大量の金額を溶かしているにもかかわらず、やめる方向ではなくいかに取り返すかばかり考えてしまうのがわかりやすい例だ。


 来宮は下唇に指をあてて熟考思案する。


(この呪縛から解放する手っ取り早い手段は――)


 そして決断、敢行。


 スマホを取り出し、とある知り合いの元へ連絡を入れる。


 即座に既読が付き、返事はOK。

 必要な手札を入手できたことにほくそ笑み、本命を手中に収めるための一手を指す。


「志葉さん、こうしましょう。これからしばらくの間、お試し期間として私に志葉さんをプロデュースさせてください」


 志葉が失った時間は大きい。

 彼を仲間にするためには、それをはるかに超える魅力的な提案が必要になる。


 約束を取り付けるのは、来宮をもってしてなお難題だ。

 だからこそ、やりがいがあると、来宮祝莉は奮起する。


「……わかりました。ではしばらく、お世話になります」


 来宮は口角を釣り上げた。

 言質は取った。


 しばらくとは表現したが、具体的な期間は宣言していない。


 エルフの感覚で100年をしばらくと表現することもできる。

 もっとも、それをすればせっかく詰めた彼との距離に溝が生まれ、二度と信頼を回復することはできないだろうからするつもりはない。

 しかし事実上無期限の猶予期間を得たことに変わりはなく、彼が納得するまで勧誘が可能になったことこそが大事だった。


「それでは行きましょうか!」

「え?」


 志葉の腕を引き、来宮はダンジョンの外へと連れ出した。


「来宮さん? 行くって、どこに?」


 困惑した様子の志葉に、来宮はいたずらっこな笑みを浮かべる。


「栄ダンジョンです」


  ◇  ◇  ◇


 伊勢市駅から近鉄山田線で1時間半。

 ようやっと来宮たちがたどり着いたのは三大都市のひとつ、愛知県名古屋市。


「えーと、こっちですね。たぶんこのあたりにいると思うんですけど……」


 名駅、桜通口付近の金時計。

 待ち合わせ場所としてよく利用されるその場所に、普段以上の人の列ができていた。


 甲高い声でにぎわう人垣が取り囲んでいるのは1人の女性。


「キャー! 配信いつも見ています」

「前回のゴブリンロードソロ討伐見ました!」

「これからも応援しています!」


「いやー、嬉しいっすね。皆さんの応援で今日もアタシは頑張れるっす! ……んぁ?」


 外跳ねした横髪に、口の端からちらりとのぞかせる八重歯。

 野生児のような雰囲気を纏う女性が、何かに気付いたように視線を揺らす。


 切れ長の瞳がとらえたのは一組の男女。

 つまり、来宮たちだ。


「はふりー!」


 その女性はぴょんと体のばねを使い人垣を飛び越えると、宙空でくるりと上体をひねり、来宮たちの前に着地した。


 彼女こそが、来宮祝莉が呼び出した秘密兵器。


 渋谷ダンジョンを根城にする、いまを時めく期待のダンジョン配信者。


 白石あずきである。


「おまたせしました白石さん」

「ホントにもー、待ちくたびれたっすよー。隣の県なのに東京からのアタシの方が先に着くってどういうことっす?」

「そんなの私が知りたいわよ」

「やれやれっすねー。そっちがいまはふりーの担当している探索者っすか?」


 その質問には答えずに、来宮はあいまいな笑みで誤魔化した。


「紹介するわ。こちら私の転属先、伊勢志摩支部特務通信整備局の志葉さん」

「どうも、志葉と申します」

「白石あずきっす。よろしくっす。ずいぶんインパクトあるキャラっすねー」


 白石は志葉のぼさぼさの髪も、くたびれたシャツも、ブランディングの一種なのだろうと考えた。

 ダンジョン配信者の中にはキャラを演じるタイプの人も少なくない。

 目の前の人物もそうなのだろうと勝手に解釈した。


(いやどうなんすかねー。そっちの方向に舵を切るブランディングのタイプ相手に、はふりーがそこまで入れ込むっすかねー?)


 白石あずきは来宮祝莉をよく知っている。

 彼女の活動拠点が渋谷で、来宮の担当地区が渋谷支部だったからだ。

 探索者と受付嬢として一年以上の付き合いであり、よくしてもらったこともあり、来宮のことを人並み以上には理解している自負がある。


 そこからわかるのは、彼女の行動指針は最大効率かどうかに準拠していそうだということだ。


 どれだけインパクトが強くても、それがマイナス感情を揺り起こすなら支持を集めにくい。


(逆っすか? 身だしなみの減点を考慮に入れたうえで、それでもなお現時点での最大効率とはふりーが考えるほどの実力者ってことっすか? 身だしなみを指摘しないのは、それで相手の不興を買うのを回避するため?)


 もしもそうだとするのなら、目の前の男性の実力はいったいどれほどなのだろう。


(うーん、気になるっすねー)


 白石は知らず知らず、口角が吊り上がっていた。

 見ようによっては獰猛な笑み、気の弱い相手なら居竦むような威圧感。

 それは彼女が配信で強敵相手に挑むときに見せるそれであり、高揚を示す態度であり、好戦的な彼女のコンディションが好調に達した合図でもあった。


「さて、白石さん、志葉さん、向かいましょうか」

「了解っす」


 白石は早く腕比べがしたくてうずうずしていた。

 東山線に向かう来宮の後をいそいそと追いかけ、時折、最後尾をついてくる志葉の方に視線を向けている。


「それで、今日は何をするっすか?」


 駅のホームで、電車が来るまでの待ち時間。

 白石が来宮に問いかけた。


 具体的に何をするかを聞きもしないままで東京名古屋間を移動した彼女のフットワークの軽さを物語る一言だった。


「そうですね……5層ボス攻略RTA、なんていかがですか?」


 ちょうど、東山線のイメージカラー、イエローを差し色にした電車が、駅のホームに到着する。


「いいっすねぇ」


 白石の瞳がぎらついた。

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