第5話 失った5年(築き上げた5年)

 来宮の提案は、志葉にとって寝耳に水だった。


 だから、久しく動くことの無かった感情が動揺に振り切れて、目を丸くして問いかけた。


「待ってください。ダンジョンを攻略するって、まさか、ダンジョンコアの破壊を言っていますか?」


 来宮はただ静かに首肯した。

 ショートボブの先がはらりと揺れる。


 ダンジョンコアが破壊されればダンジョンは消滅する。

 その判例は、5年前に彼自身が弾き出している。


「そうすれば、志葉さんがこの伊勢志摩ダンジョンにこだわる理由もなくなるんですよね?」

「それは、そうですが」


 志葉は渋った。


「来宮さんは私にもう一度受刑者になれと? 可愛らしい顔して、結構きついこと言いますね」


 しかし、それには首を振る来宮。


「いいえ違います。今度は罪に問わせやしません」

「……は?」


 裁判は先例となる過去の判決を参考にする。

 そして志葉は過去に、建造物損壊罪で懲役刑を食らっている。

 同じことをすれば同じ結果になることは、誰にでも予想ができた。


「いいですか、志葉さん。ダンジョンが発生してから6年。表向きには世界各地のどこにも、ダンジョンを攻略したという報告事例がありません」


 来宮は天使のような顔で小悪魔のように笑みを浮かべた。


「おかしいとは思いませんか? 正式な裁判で志葉さんの刑が確定したのなら、その記録は必ず残ります。そしてその痕跡には、必ず誰かが気付くはずです」


 何せ5年も経過しているのだ。

 弁護士や検事であれば過去の判例に目を通しているはずだし、その中にはダンジョンでの事件を担当するなど、アンテナを高くしている人物がいるはずなのだ。


 しかし今日、日本がすでにダンジョンの一つを攻略済みであることは徹底的に秘匿されている。


「考えられる可能性は二つです。記録が何者かに抹消されているか、それともそもそも非公式な裁判だったか、です」


 来宮が付け加えて言うには、おそらく後者なのではないかということだ。


「ま、待ってください。つまり俺は、なんらかの陰謀に巻き込まれたと? 誰が、なんの目論見で」

「……そうですね、たとえば伊勢志摩ダンジョンを調査させることこそが目的で、懲役刑はそのための手段に過ぎなかったとすればどうでしょう?」


 本来、懲罰は贖罪のための手段だ。

 しかしことこの件に関して言えば、懲罰という目的のために判決という手段を用いたと考えるのが自然である。


「場合によっては、志葉さんの弁護を担当した人物を含めて、上層部のグルだったかもしれませんね」

「そんな……」


 志葉の両腕がだらんと下がる。

 口は半開きになり、そこからは目に見えない精気がこぼれ出ているようにも思えた。


「どちらにせよ、志葉さんがダンジョンコアを破壊し、建造物損壊罪で懲役刑を受けた事実は、お偉いさん方にとって不都合な事実だということです」


 つまり、先例を理由に有罪判決を受けるリスクは無視できるということだ。


「前回の志葉さんの失敗点を挙げるとすれば、人知れずダンジョン踏破をしてしまった点にあります」


 だからもみ消すのも容易だった。


「故に今回は、あらかじめ世界中から関心を集めておきます。そうすれば非公式な裁判で完結させる、なんてことできないはずです」

「……もし、公式な裁判になればどうします?」


 志葉は付け加える。

 前回は真っ当な方法で行われた裁判ではなかったかもしれないが、今回は真っ当な方法で有罪判決が下るかもしれない。


 そうすればまた、自由の少ない懲役刑が待っている。


 人という種族が持つ限られた寿命のうち、10年にも及ぶ時間を浪費することに繋がってしまう。


「大丈夫です」


 しかし、来宮は純真なる笑顔で彼に語り掛けた。

 陽に照らされて輝く草花のような天真爛漫な笑顔だった。

 そのあたたかな微笑みに、志葉の心に巣くっていた不安は雲散霧消した。


「私はダンジョン協会探索者支援局に勤めていたんです。ダンジョンに関する手続きから法律に至るまで、そのすべてが完璧に脳内にインプットされています」


 渋谷支部で優秀な業績を打ち立て続けてきた期待の新人受付嬢の名は伊達ではない。


「その全てを駆使し、今度は完全なる合法でダンジョンコアを破壊させてみせます」


 要は他人の、つまり国が管理しているという名目のダンジョンを消滅させたことがまずかったのである。


「ダンジョン探索における出土品の所有権に関する法律が施行されたのは志葉さんの裁判が終わった後です。前回の裁判は既存のもので代用したのでしょうが、今回は探索者を保護するための法律が志葉さんのために機能します」

「おお」

「作戦を簡単に説明しますと、正式な手続きでダンジョン探索に乗り出し、正式な手順でダンジョンコアを出土品として入手し、正式に志葉さんの所有物だと認定を受けます」

「そんなことが可能なんです?」

「可能です」


 来宮は即応で断言した。

 その様子に志葉は心強さを覚えた。


「ここで重要なのは、ダンジョン探索における出土品の所有権に関する法律が特別法であり、一般法である国土利用計画法に優先されることです。そして前者には、その所有権について出土品が影響を及ぼす範囲すべてに適応されると明文化されています」


 つまり、水を出す魔法の筒を手に入れたとして、所有権は筒だけではなく、筒の効能で出現する水にまで波及するということだ。


「この理屈で行けばダンジョンコアを入手した時点でその影響下にあるダンジョンの所有権も志葉さんに移ります。建造物損壊罪の適用範囲は他人の所有物のため、志葉さんの所有物であるダンジョンを消滅させたところで罪には問えません」


 来宮祝莉は熱弁する。

 ひどく興奮した様子でまくし立てる。


「改めてお願いします、志葉さん。私があなたの十全なサポートを保証します。ですので、志葉さんの力を私に貸してください」


 頭を下げる来宮に、志葉は下唇に力を込めて、


「一晩だけ、考えさせてください」


 と返した。


  ◇  ◇  ◇


 その晩は眠れない夜になった。

 来宮にとっても、そして志葉にとってもだ。


 志葉はそんな日の夜、決まってダンジョンに赴く。


 長い年月を、そこで過ごした。

 もはやここが彼にとってのホームだ。


 戦場帰りの兵士が落ち着かなかったり、返ってストレスを感じたりするように、志葉にとってベストなコンディションを維持できるのが、ダンジョンという閉鎖空間なのだ。


「……伊勢志摩ダンジョンを、攻略する」


 もう随分と、灰被りになっていたアイデアだった。

 そんなことをしたって何も変わらないと、諦めて、捨てたはずの考えだった。


 それが思いがけず、被せられた灰を振り払い、その中でぶすぶすとくすぶっていた炭に火をつける存在が現れた。


 それは志葉にとって一縷の光でもあり、これまでの軌跡の否定でもあった。


「……無くなるんですね、あれも、これも」


 5年、5年だ。

 5年の歳月をかけて、志葉は伊勢志摩ダンジョンに通信インフラを張り巡らせた。

 蜘蛛が巣をつくるように並列に編み上げられたネットワークは驚異の稼働率を誇っている。


 失った5年間で、彼が唯一築き上げた、確かに彼がここにいた記録。


 それも、ダンジョンが崩壊すれば消滅してしまう。


「俺は、どうしたいんでしょう」


 志葉けいはまだ、答えを出せずにいる。

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