第4話 志葉珪にできること(彼にしかできないこと)

「お断りします」

「え」


 来宮の期待とは裏腹に、志葉はあっけらかんと答えた。

 詳細を聞くまでもなく拒否を示した。


 それから来宮は思い出す。

 そうだった。

 この人には名声欲が致命的に欠けているんだった、と。


「ま、待ってください! 志葉さんは、志葉さんのすごさをきちんと理解していないと見えます! 志葉さんは私が知る限り世界最強の探索者です! ほんの少し外の世界に目を向けていただければ、あなたが本当に活躍すべき場が見えてくるはずです」


 志葉が目を丸くして来宮を見た。


「随分高い評価ですねぇ」

「私が、思うに、志葉さんはいくつか大事な感情を忘れています」


 来宮は推測する。


「ダンジョンコアを壊したことを罪に問われて、5年もの懲役を科せられて、なんとも思わなかったんですか?」


 否。そんなはずがない。


「理不尽だとは、思わなかったんですか!」


 怒りというのは感情の爆発だ。

 エネルギーを多く消費する感情ゆえに、それを維持し続けるのは困難を極める。


 真偽はさておき、一説では怒りのピークは6秒だとも言われている。

 まして、それを5年以上。


「そんなはず、ないですよね。どうして自分がこんな目にって、思わなかったわけじゃないですよね?」


 来宮は、わけもわからず感情が暴走していることをどこか遠い理性で理解していた。

 自分と似た境遇の人物に、その感情を否定してほしくないと願っているのだと、心の奥底ではわかっていた。


 自分は、間違っていない。

 そう信じなければ、心が壊れてしまう。


 だから他者にその答えを求めた。

 自分と正反対な人物が同じ感情を抱いたのなら、それはきっと普遍的な真理なのだから。

 間違っていなかったと、胸を張って言えると思ったから。


「志葉さん、志葉さんが自分を取り戻せる場所は、ここじゃないどこかにしかないんです……」


 志葉は、終始無言だった。

 否定も肯定も返さなかった。


 それがいまの彼の答えであり、来宮はほんの少しの落胆と、明確な否定が返ってこなかった安堵を抱き、午前の業務は終了した。


  ◇  ◇  ◇


 化粧を直し、昼休憩。


「来宮くん、どうだった?」


 地上、SCMBのオフィスで昼食をとる彼女に、つなぎの男性が声をかける。

 彼女たちを束ねる立場にある男、局長である。


「理解できませんでした」

「だろうね」


 今朝時点での彼女であれば休憩時間中に話しかけられるのは、個人の時間をいたずらに消費する迷惑行為と受け取っただろう。

 だが、いろんなことが起きすぎて、そんなことに怒りを発露するだけのエネルギーも尽きていた彼女は適当に相槌を返す。


「本当に助かってるよ、彼には。その様子だと、見たんだろ? 伊勢志摩ダンジョンの魔物を」


 来宮はこくりと首肯を返す。

 局長は優しい笑みを浮かべて頷き返す。


「あんな魔物、彼以外には対処できないからねぇ。正直、5年の節目に辞めないでくれて、ホッとしている」

「……ぁ」


 来宮の、橋を持つ手がフリーズする。


 ようやっと、理解が追いつく。


 日の当たる場所へ躍り出ることは、彼の『できること』。

 しかし、伊勢志摩ダンジョンの通信インフラを整備するのは、『彼にしかできないこと』。


 つまり、彼は彼を必要とする場所にいたのだ、最初から。


 処理できるキャパシティを超えた情報が、それを隠してしまっていたけれど、そこに気付いてしまえば彼という人物像が理解できる対象へと切り替わる。


 要は、責任感の強い人間なのだ。


 そんな状態で、どれだけ呼びかけたところで、せいぜいが心を揺らすくらいだろう。

 最終的に決心はここに居座ることを選び、彼女の提案を呑むことはない。


 それなら、それならば。

 彼はずっとここにとらわれたままでしかいられないのだろうか。

 空に飛び立つ翼をもちながら、この鳥かごで一生を終えることしかできないのだろうか。


「決めました」


 否。


「私、もう一度志葉さんとお話してきます。局長、志葉さんと連絡を取りたいのですが、教えていただけませんか?」


 彼に世界を知ってもらいたい。

 世界に彼を知ってもらいたい。


 その思いが自分勝手なわがままだとしても、いつかそれが誰かの為になる時が来る。


 だからいまは、彼を連れ出そう。

 この大空の下に。


 来宮は食べかけの昼食もそのままに、局長から聞き出した連絡先へと通話をかけた。

 伊勢志摩ダンジョンの通信環境は世界有数の安定感を誇る。

 想定される限り世界最強の探索者が、高水準な通信環境の保全に注力し、貢献し続けているからだ。


 故に、通話はすぐにつながった。

 力みのない、平坦な口調で『こちら志葉です』という声が耳に響く。


 だから来宮も緊張せずに、思ったままの言葉を口にできた。


 大事な話があるから、一度入り口付近まで引き返してきてくれないか。


 志葉は微妙な間を開けた。

 彼女の話がなんなのか思案を巡らせ、どうせ想像の域を出ないと結論付けたのだと思うくらいの間だった。


 最終的に彼は了承した。

 昼休憩が終わるころに帰還すると彼は言ったが、来宮はできるだけ早く話を済ませたかった。

 いまからでも話せるかと問えば、志葉は少し以外層に、しかし問題ありませんと丁寧な言葉づかいで返答する。


 だから、来宮はいそいそと迷宮へと向かった。


 ほとんど同じタイミングで、帰還魔法を発動させた志葉が迷宮一層、入り口付近に現れる。


 誤解が無いように、強く否定しておきたい。

 ――これは断じて憐憫や惻隠などではない。


「私には、成し遂げたい目標があります」


 来宮は来宮の目的を果たすために交渉の場に臨んだのだ。


「私は、私を侮った人間全員を見返してやりたい。私を切り捨てた上層部の人たちを笑い飛ばしてやりたい」


 彼との邂逅は彼女にとって思いがけない好機の到来。

 いつになるかもわからないはずだった栄華再興の、特急券。


 故に彼女は、全力で彼の確保に動く。


「そのために、あなたの力が必要なんです」


 しかし、志葉はそれを素直に聞き入れない。

 聞き入れてなどくれない。


 伊勢志摩ダンジョンの通信環境の保全保持は彼にしかできず、彼は望んでこの場にとどまり続けている。


 彼の協力を取り付けるためにはまず、彼の呪縛を解くところから始めなければいけない。


 そして、


「伊勢志摩ダンジョンを攻略しましょう。二人で」


 来宮祝莉は、答えを既に見つけ出していた。

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