第9話 有明の月

 ついに25階に到着したコアン達はそこでフロアボスと戦うことになった。

 階段から広く何もない土の上に大きなイノシシがいるのが見えた。

 フレイヤはそのイノシシを見ながらメンバーに話しかける。


「ジャイアントボアよりもかなり大きいわね」

「パイアじゃろうな」


 メッテイヤがそう推測した。

 パイアは巨大なイノシシのモンスターであり、防御では硬い皮と筋肉で守られた体で、物理攻撃がききにくい。攻撃ではその肉体を使った突進と、攻撃魔法まで使えるという強敵であった。

 アースドラゴンがSSランクのモンスターであるが、その上を行くSSSランクのモンスターであり、遭遇した者がほぼ死ぬので目撃情報も極端に少なかった。

 フレイヤはパイアである可能性を考慮し、25階を攻略すべきか迷う。


「あれがパイアであったとして、勝てると思う?」


 今度はパーティーメンバーの顔を確認するため、振り向いてそう訊ねた。

 マヤが自信を持った顔で答える。


「コアンがいるから大丈夫。私たちで倒せるわ」


 その意見に反対する者はいなかった。

 SSランクのアースドラゴンですら、なんら手こずることなく倒したことで、パイアであろうとも勝てるという自信があったのだ。

 当のコアンだけが不安な顔であったが。


「どうしたの、コアン」


 その顔を見たフレイヤが訊ねる。


「みんな、僕みたいなのに期待してくれているけど、上手く動けるか不安で」


 先ほどまで負の感情が消えていたコアンであったが、フロアボスを見てまたその感情が芽生えてきていたのだった。

 長く蓄積されてきた負の感情は、一瞬は消えたとしても、完全にそれが再発しないというわけではない。むしろ、些細なきっかけですぐに復活するのだ。


「それなら心配ないわ。今までだって完璧に動いてくれたじゃない。今度も上手くできるわ」

「出来ますかね?」

「ええ。それに、私たちは全てコアンに任せるつもりでこの迷宮に挑んでいるわけではないわ。コアンがミスをしても、みんなでそれをカバーして、25階を攻略するつもりよ」


 フレイヤたちはSランクのパーティーである。

 それは今までも色々な困難を乗り越えてきたという証であり、コアンのサポートには期待していたが、それにおんぶにだっこというつもりではなかった。ただ、ここまでがコアンのサポートが完璧すぎて、そうした気持ちが表に出てこなかっただけなのである。


「楽観はせんが、過度な悲観もせん。行き過ぎた思考は行動を鈍らせる」


 メッテイヤがコアンの肩に手を置いてそう言った。

 コアンはその手がとても温かいと感じた。


「わかりました。やってみます」

「その意気じゃ」


 今度はメッテイヤに背中を強く叩かれる。その痛みにコアンは苦笑いをした。


「いくわよ」


 フレイヤはコアンの様子を見て、メンバーにそう伝えた。

 皆、無言で首肯する。


【コントロールプラン】


 コアンはコントロールプランを使用する。

 直ぐにパイア攻略の工程が出来上がった。


「まずはマヤさんの支援魔法でフレイヤさんの肉体と剣の攻撃力をアップしてください。アソウギさんはバインドの魔法でパイアを拘束、ジャマーさんとナユタさんは拘束されたパイアに攻撃をして、相手の気を引き付けてください。そこで出来た隙をついてフレイヤさんの斬撃でとどめを刺します」


 コアンはコントロールプランにより設定された工程を告げた。


「たったそれだけ?」


 と皆が心の中で思ったが、それを口にしたのはフレイヤだった。


「いけます」


 とコアンは返した。


「パイアの肉体は鋼のように硬く、物理攻撃のダメージは通りにくいと聞くが」

「僕の作った剣と支援魔法があれば、フレイヤさんの攻撃は有効打となります」


 コアンの返答にフレイヤは暫し考え込んだ。そして、結論をだす。


「ふむ。コアンがそういうのであればそうであろうな。どうやら私自身も自分を低く見ていたようだ」


 そう言って白い歯を見せて笑った。


「マヤ、そういうわけだ。魔法を頼む」

「わかった」


 マヤはフレイヤに指示されて支援魔法を使った。

 フレイヤの準備が出来ると、一行は25階に足を踏み入れる。そこでパイアは動き出した。


「マナよ、敵を縛る縄となれ!【バインド】」


 アドウギの魔法が発動すると、パイアはマナで出来た縄で拘束されて動きを止めた。


「フゴゴアァァァアアア!」


 パイアが怒りに任せて大声で鳴いた。迷宮の空気がビリビリと震える。通常の冒険者であれば、その鳴き声で足がすくんで動けなくなるような威力があった。

 しかし、その鳴き声で動きを止めるような紅夜叉ではない。

 ジャマーとナユタは自分の役割を理解し、左右に分かれてパイアの注意を引く。

 ジャマーはナイフを投げ、ナユタは大声をあげてパイアのヘイトを自分に向けようとした。

 それが功を奏して、パイアの視線が左右に逸れる。

 それを逃さずフレイヤが地面を蹴った。その速度は獲物に襲い掛かるトラをも凌駕するものであり、流石のパイアも対応が遅れた。あるいは、正面を見ていれば対応が出来たかもしれないが。

 フレイヤが剣を一閃すると、迷宮には銀色の蛇が生まれた。蛇といっても本物の蛇ではなく、刀身の残像が作り出す蛇のような形であるが。

 その蛇はパイアの牙を切り裂き、その先にある鼻に食らいついた。


「プギイイイイイイィィィィ」


 パイアが痛みに悶絶する。迷宮全体がその鳴き声により震え、コアンの来ている服も揺れた。


「もう一撃!」


 フレイヤが再び剣を振るうと鳴き声が無くなった。そして、しばらくの間を開けて、パイアの首が地面に落ちた。文字通りの一刀両断であった。

 パイアの目からは生気が消えたが、残された体の方はバタバタと動く。

 返り血で真っ赤になったフレイヤはそれを見て


「まだ生きてるの?」


 とメンバーに問いかけた。

 エルフであるルリがその質問に答える。


「生命の精霊は感じられません。単にまだ体の方が動けているだけです。この辺は他のモンスターや野生動物と同じようですね」

「そう。じゃあ動かなくなるまで待ちましょうか。せっかくここまできて、あの体でぶっ飛ばされてけがをするのも馬鹿らしいから。水魔法でこの血を流してもらえるかしら?」


 フレイヤはマヤと少し離れた場所に行く。女性であるマヤが装備を脱いだフレイヤの頭から、魔法で作り出した水をかけて血を洗い流した。そして、火の魔法で水を乾かすと戻ってくる。

 そのころにはパイアも動かなくなっていた。

 なので、他のメンバーはパイアの素材をはぎ取ろうと、その骸の周囲に集まっていた。

 ジャマーがナイフでつんつんと突きながら様子を確認している。


「こいつをここで解体するのも難儀だな。毛皮や肉なんかも全部持って帰って、ギルドに解体させてえが」

「収納魔法で入り切るかな?」


 アソウギはちらりとコアンを見る。

 収納魔法のキャパシティーは魔力に比例すると言われている。巨大なイノシシであるパイアを収納できるかどうかは、まだ収納魔法を使い始めて間もない、ましてやコアンのスキルがあるからこそ使えるアソウギには判断がつかなかった。

 なので、コアンを見たのである。


「大丈夫ですよ」


 とコアンは答えた。

 その声は弾んでいた。

 不安であったパイアとの戦いでも、コアンのコントロールプランによって、苦も無く勝利することが出来た喜びが抑えきれなかったのである。

 迷宮内で浮かれることは危険であるが、今は皆がそうであった。

 いかなベテランパーティーであっても、前人未到の階層の踏破という偉業には、大きな喜びがあったのである。

 こうして一行はパイアの亡骸を丸々収納し、帰路についた。

 冒険者ギルドに帰ると、ギルドマスターのゴーデス自らが出迎えてくれた。


「見る限りでは無傷だな。途中で引き返してきたか?」

「馬鹿も休み休み言え。討伐の証拠を出すから倉庫に案内しろ」


 とフレイヤが言い返す。

 ゴーデスとしてはコアンをつけたからとはいえ、流石に無傷ということは無いだろうと思っていた。前人未到の階層とはそういうものである。

 そう簡単に攻略できるのであれば、他のSランクパーティーがとっくに攻略出来ているはずなのだ。

 しかし、フレイヤの様子を見るとがっかりしたような雰囲気が無く、いつにもまして胸を張っているように感じた。だから、討伐の証拠と言われたときに、それが冗談だとは思えなかったのである。

 学校の体育館のようなだだっ広い倉庫に来ると、アソウギが収納していたパイアを出した。


「こ、こいつは……」


 いきなり出現した巨大なイノシシに、歴戦の猛者であるゴーデスも言葉を失った。


「パイアだろう。25階のフロアボスはこいつだった」


 フレイヤがゴーデスの横に立ってパイアを見ながらそう言うと、ゴーデスはこくりと頷いた。その仕草がフレイヤには見えないということに考えが及ばぬほどに混乱していたのだが、やがてその状態から立ち直る。


「俺も見たことはねえが、話しに聞くパイアで間違いねえだろうな。牙も首も綺麗に斬られているが、パイアっていうのはこんなに柔らかいものなのか?」

「馬鹿なことを。私の腕があってこそだ。と言いたいところだが、コアンのお陰だな。マヤの支援魔法も受けたが、いつもよりも効果が高かったように感じた。それに、コアンがくれた剣の切れ味も鋭かったしな。誘って正解だった」

「マジかよ。まあコアンならとは思っていたが、想像以上の結果だったな。正直誰かしら死ぬんじゃないかとは思っていたが」

「死ぬどころか、うちのパーティーのヒーラーがなんの仕事もしなかったぞ」


 その言葉を聞いてルリが小さく謝る。


「役に立てなくてごめんなさい」

「気にすることは無いわ。青の勇者パーティー、インタクトって呼ばれていた理由に納得できた。無傷っていうのは伊達じゃなかったな」

「あのー、まだアースドラゴンとか他の素材もあるんだけど」


 と、マヤが会話に割り込む。

 フレイヤはフッと鼻で笑った。


「そうだったな。正直、今回の素材の売却額だけで、一生遊んで暮らせそうだ。そういうことで、しっかり鑑定を頼むぞ。マスター」

「うちの鑑定部門と解体部門が過労死しない程度には頑張るよ」


 そう答えたゴーデスであったが、部下から仕事が多すぎるから何とかしろと突き上げを食らう未来が見え、どうやって乗り切ろうかと思うと気が重かった。


 同時刻、カーライルたち青の勇者パーティーは魔王軍との戦いに苦戦していた。五将軍の指揮する軍団とぶつかり、数の多さで押されてしまっていたのである。


「くそう、きりがない。それに、剣の切れ味も悪くなってきた!」


 カーライルは憎たらしそうに自ら持つ剣を睨んだ。

 が、間違ってもコアンの打った剣の方が良かったとは言わなかった。それを言えば自分の非を認めることになるからである。

 その睨みにより、気がそれたことで隙が生まれ、運悪くそのタイミングでオーガロードの持つ大剣の一撃が襲ってきた。


「ちっ!!!」


 と舌打ちして、その一撃を剣で受ける。

 後ろに飛び退いて躱す余裕が無かったためであった。


パキン


 と音を立てて剣が折れる。

 オーガロードはにやりと笑って、二撃目を放った。

 その攻撃を食らった腕が、二の腕あたりから胴体と離れて宙を舞う。

 女の腕であった。


「カーライル、大丈夫?」

「ニーナ、俺を庇ってくれたのか」


 宙を舞ったのはニーナの腕であった。二撃目を見てとっさにカーライルの前に飛び込んで、オーガロードの一撃をその身で受けたのである。

 そのおかげでカーライルは無傷であったが、代償としてニーナは利き腕を失った。


「うおおおおおおおおおおお」


 カーライルは獣のような咆哮をあげて、オーガロードへと斬りかかった。

 腐っても勇者の渾身の一撃である。一閃すると、オーガロードの首が地面に落ちた。

 それを見ていた魔王軍のモンスターたちは、自分たちよりも強いオーガロードが倒されたことで固まる。


「引くぞ」


 相手の混乱を見たカーライルは撤退の指示を出した。

 この日、王都では剣聖が利き腕を失ったというニュースで暗く沈んだ。

 一番沈んでいたのはニーナであったが。

 時刻は零時を回って日が変わったが、眠れぬ彼女はベッドに横になりながら一人自室でつぶやく。


「もう戦えない……」


 勇者パーティーには人数制限がある。利き腕を失い、戦うことが出来なくなったニーナが外されることは明白であった。

 そうなると、幼いころより戦うことしか学んでこなかった自分に何ができるのかと怖くなる。

 そんななか、無性にコアン会いたくなった。


「コアン――――」


 その夜、ついにニーナは一睡もできず、有明の月を見ることになった。

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