第23話 新郎となる作家・一世一代の大演説

 私は55歳になるこの年まで何とか大病もせず生きて来られましたが、それもこれもこちらの母のおかげであります。父のおかげもありますが、母が横におりますのでそちらについてはここでは控えさせてください。申し訳ありません。

 私の両親は幼少期に離婚後近くに住んでいた時期が比較的あったにもかかわらず一度も顔を合わせてないと伺っております。その割には、私のような息子がいたわけですけどね。一時、父方の判断やら何やらで孤児扱されて養護施設で過ごすことになりました。その施設のあった場所が岡山大学に近い文教地区でして、そのおかげもあって小学校時代は環境のいい場所で過ごせたと思います。

 そこで1年生のときに顔見知りになり、2年生のときには同じクラスになった、メガネをかけたかわいい女の子がいまして、それがこちらの河崎由佳さんです。


 今年のわんだふるぷりきゅあの最初の回でしたか、小学生の頃出会った主人公の男女が中2進級と同時に同じクラスになって、少年のほうがひそかにガッツポーズをするシーンが描かれました。こちらは、少年のほうがメガネをかけています。

 当時のぼくと由佳ちゃんは、眼鏡をかけているのが今年のプリキュアのあの子たちの逆パターンでしたけど、私も成人後は近眼が進みまして、今や御覧の通り眼鏡が必要となって30年以上になります。まあその、金属アレルギーがありますのでその手のフレームも腕時計も指輪等も一切身に着けられませんが、眼鏡についてはセルロイドのフレームがありますので、それなら問題ありません。ついでに言えばカフスボタンも肌には基本触れませんから、これも問題ない。

 何が何だか分からなくなってきましたが、確かに由佳さんのお母様御指摘のとおりでありまして、私は自らのところに妥協は一切致しません。

 私がいた養護施設の職員で後に園長になられた大槻和男さんのかねての口癖と言われているのがこの二つだそうでして、ひとつは坊主憎けりゃ袈裟まで、もう一つが転んでもただでは起きない。

 よくよく考えてみれば私の父と大槻さんはかなり似たような人物でして、私も程度の違いはともあれ同じような要素を持っております。

 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。これは確かに関連性のあるものをバシバシと必要以上に叩きのめすイメージが強いですけれど、良い面を見るなら、決して妥協をしないという側面もあると思料されます。

 そのくらいであるからこそ、私はあの日、鉄道研究会の先輩方からスカウトされました。その後私は鉄道研究会も別の鉄道趣味団体も含め、この育成契約から支配下獲得、さらには高卒ドラフト1位から卒業にともなう任意引退、その後別の鉄道趣味団体では大卒社会人希望枠ドラフト1位も自由契約も経験しました。

 そこまで進めたきっかけは、鉄道研究会にスカウトされた日にありました。あの施設の岡山文理大学出身の児童指導員さんがおられましてね、その方の大学時代の後輩の皆さん、特にボランティアで来ていた人たちの筋から、そちらの大学祭に担当保母経由で招待されましてね、その保母さんいわくには、模擬店のタダ券、要は無料券もあるとか何とか。当時5年生の私は、そのオファーをきっぱり断り、鉄道研究会の展示に3日連続で通いました。最後の3日目に、私は当時4回生の先輩に例会に来てみろとスカウトされ、それから通うようになりました。

 今思えば、あのときほど自分を試されたことはなかったように思いますね。

 ですからあの後、どんなことがあっても妥協せずにこれぞというものはつき進めねばならないことを肌身で知りました。自らの自由のためには、私は悪魔とでも手を結びます。敵対者には苛烈に当たるのも止むを得ません。ええ。


 ここまでかたくなというか自らの主義に殉ずるかのごとき人生を55年にわたって歩んでまいりまして、この9月の誕生日を過ぎた頃から、ふと、思うところがありました。それがあのときのメガネっ娘というか少女、河崎由佳ちゃんでした。

 ずっと人生を振り返ってみますに、あの2年間、特に小学2年生の昭和52年の1年間があったからこそ、今までの私の人生はあったも同然。鉄道研究会にスカウトされるほどの力をつけられたのも、現役で岡山大学に入れたのも、由佳ちゃんという存在があったからこそです。

 私はある時、鉄道研究会がなければ私の学生生活どころか人生自体が不成立になると酒の席で述べたことがありました。それが間違いとは思いません。

 しかし、それだけの状況を作ってこうして生きて来れたのは、あの小学校のたった2年間だけ目の前にいた少女のおかげだったのです。

 彼女に会える人間になるべく、これまでの人生を通してずっと修行してきた。それが私のこれまでの人生でした。選りにも選ってその鉄道研究会にスカウトされて44年目の先週の日曜日に由佳さんから連絡があり、翌日には再会出来ました。ここまで来たらとんとん拍子などという言葉さえ色あせるほどの勢いで、今こうしてこれからの人生を共に歩んでいく話へとなっています。

 由佳さんの御両親、それにお母さん、私米河清治は河崎由佳さんとともにこれより婚姻届を提出し、これからの人生、夫婦として共に歩んで参りたいと存じます。

 何卒、よろしくお願い申し上げます。

 

 それから、河崎由佳さん。

 わたくし米河清治、あなたにお会いできるだけの人物になれているかどうかはわかりませんが、それを目指して50年近く、妥協せず生きて参りました。

 こんな私でよければ、是非、これからの人生、よろしくお願いします!

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