怖くない、怖くない
第17話 変わり始めるときの怖さ 1
その電話から少し後。
「キヨくん、おやすみなさい」
彼女はそう言って、自宅の自分の部屋の布団に入り込んだ。明日は遅番なので少し朝はゆっくりできる。今の自宅から職場に行くのも、この実家から職場に行くのもクルマであればそれほど時間は変わらない。要するに、ベクトルの起点が違うだけの話であり、明日はいったん自宅に戻るから、結局1日で自宅から職場経由で今の自宅へ戻るというルートを動くのだ。
早めに寝ようと思うものの、なぜか寝付けない。少しうとうとできたかと思えば目が覚める。ふと、これまでとこの1週間、そしてこれからのことを思う。
あの子は、国鉄が分割民営化されたその日、鉄道に関わることは何もしなかったと言っている。大学受験のために必死で勉強を始めていたから。それだけに、1年後に大学に合格して鉄道を見たとき、一種の浦島太郎状態だったという。別に大学受験が控えているからと言っても昨日に今日という話でもないのだから、どこかに出かけでもすればよかったようにも傍で聞いていて思ったが、彼なりの変化の瞬間をあえて避けるべく防御反応のようなものが働いたのかもしれない。
一方の自分にとってはどうかと言うと、今がそのとき。
女一人で淡々と生きてきたそこに、彼という「異物」が入って来た。本当に好きな人で、ひょっとするまでもなく魂の片割れのようなあの子ではあるものの、この世では男、それも同い年の。
彼を「異物」なんて言ったら、さすがのあの子も怒るかもしれない。
でも、あの子と再会してこのところの喜び、熱狂のような感情の中には確実に彼という存在あるが故の異物感が付きまとう。彼を離したくないからこそ、岡山駅から自宅までの間、電車に乗っている間を除いてずっと彼の腕に自分の腕を絡めて離すことのなかったほどの自分が、一方で、彼を精神的にも肉体的にも受容したときの本当に好きな人と一緒になれた喜びとともに、言いようのない孤独感が心のどこか奥底から湧いて出てきた。彼は言うなら作家という自営業者。会社役員などもしているが、基本的には一人親方で孤独と向き合わねばならない。
人と一緒になるということは、異物を受容すること。
それには喜びだけではない。誰にでもどのようなときにも漏れなく、苦しさと悲しみとともに孤独感もついてくる。
彼の人生を思うと、彼がこれまで排除をモットーに人生を歩んできた気持ちも、わかる気がする。国家権力の定めた法を運用されることで、余計な異物としか言いようのないものを散々押付けられた少年時代。それを排除するために、彼は独身を通してきた。寂しいなどと感想ごかしの言葉を発する者に対しての苛烈極まる言動は、彼の強さと同時に弱さの裏返しがあるのではないか。こんなことを言うと温厚なあの子でも怒り出すかもしれないけど、問わずにはいられない。遅かれ早かれ。
彼には「寂しいの?」などと聞くことなどまかりならないオーラが出ている。だけど今回ばかりは、これを聞かないといけない。
彼女はスマホのメールメッセージを彼あてに送った。
今までは、会えていないことが怖かった。今は、いつでも会える。そのことが怖くなってきた。
彼はまだ起きていた。というより、昼間から酒を飲んであの後すぐ倒れるように寝込んでいたのが、途中で起きだしただけのこと。
すぐに返信が来た。
由佳ちゃん、今起きている? 電話、しようか?
この時間に彼が起きていたのは、何かの幸いかもしれない。
彼女は、すぐに返信した。
キヨくんお願い。もう一人では耐えられない。
由佳ちゃん、もう少しだけ待って。こちらから必ず電話するから。
彼はすぐに返事を返した。
程なくして、彼は彼女のもとに電話をかけた。
彼女は、呼出音が鳴り始める間もないうちに電話を受けた。
時計は23時を回っている。日付ももうすぐ変わる頃。
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