第16話 あなたの所存を、現実化願います。
「ちょっと待って。父に代わるから」
程なくして、年配の男性の声が聞こえてきた。
「あなたが、米河清治さんですか?」
「いかにも。ワタクシが米河清治であります」
「由佳が半田山小学校に通っていたときの同級生と伺っていますが」
「さようにございます」
「実はね、貴君の話は度々、由佳から聞いておりました。君のほうはわからんが、由佳のほうは、若い頃いくらか見合いも進めたし、本人も恋愛はいくつか、親の私が把握しているだけでも数件ありました。ですが、どれも途中で立消え。見合いのほうはどれも、相手に会うまでもなく消え去りました。聞くと君は母方と父方の両方から1度ずつ、それも婿養子での結婚を勧められて、貴君はそれを恫喝まがいに相手を怒鳴り上げて実力粉砕したとのことであるが、それは、事実ですか?」
「はい、まったくの事実であります。ああいう家制度を盾にテメエのヘッポコ家系を維持しようとする家系乞食どもには、石原莞爾閣下ではありませんけれども、大鉄槌はもったいないにしても中鉄槌くらいは与えておかねばならんのであります。そこで海軍精神注入棒ならぬ日本国憲法精神注入棒の出番であるかと」
相手の男性、いささか呆れている模様。
「貴君が乞食と称される者らの論評は致しませんが、貴君のその激しい実力粉砕の話と、まあそんなひどい話はないにしても、由佳がこれまで独身のまま来たこと、50年近くも音信不通で会っていなかった貴君とうちの由佳が突如再会して男女の仲にすぐさま発展したこと、私も考えてみるほどに、そんな赤い糸とやらもあったものかと感心している。あ、赤い糸と申したが、君がアカ、いわゆる左翼やその筋という意味でないことはあえて申し添えておきます」
「いやあ、今時のあの筋は、アカなどといったええものチャイマッセ、あれらのほとんどがバカそのもの。テメエのことも満足に考えられん、人生を投げ出しとる無能雑魚のダボハセどもに過ぎんのであります」
彼の妻となる人の老親の呆れるまいことか。
「貴君の演説はしかし傍から聞くと、もはや芸術レベルですな。しかしまあそのなんじゃい、私の妻、由佳の母親には、ちょっとお手柔らかに願いますぞ」
「それは承知いたしております。自分の母に申すような言動は致しません。満蒙は日本の生命線、ソトヅラはワタクシの生命線であります!」
「もうよいから、ちょっと待ちたまえ」
一通り演説らしきことを言い終えた彼は、目の前にあるブランデーを生地でいくらか口にし、その後、チェイサーの炭酸水を一口飲んだ。
「米河清治君ですね。河崎由佳の母です」
今度は母親。さすがにさっきのような言動をするわけにもいくまい。
「あなたのことですが、由佳は小学生の頃、確かに半田山小学校に通っていた頃、好きな男の子がいると言っていました。3年生で転校させましたので、その後お会いしないままになっているとのことですが、その時の男の子が、あなたなのね?」
「お話の要件事実を総合しますに、然りと思われます。否、そうです」
危うくもまた演説を始めそうになる彼、済んでのところで抑えた。
「しかし、あなたはよく、由佳のことを覚えていてくれましたね。母親としては、嬉しいことこの上ありません。あの子もああ見えて、結構依怙地なところがありましてね、お見合いを進めても一度もお相手とお会いしたことがありません。昔職場で相手を紹介されても、お付合いには至ることは一度もなかったと。しかしこの度あなたに再会して、本当にうれしそうに私ら夫婦に話していまして、どんな子なのかなと思っておりました。50代の男性に失礼でしたらお許しを」
「まあその、等身大こんなものであります」
「あなたのおっしゃる等身大こんな御方に、是非、お会いしたいですわね」
「わたくしもぜひ、お会いしたく存じ上げる所存です」
ここで母親が、さらに条件を出してきた。
「あなたのおっしゃる所存とやらを、現実化していただきたいわね。何でしたら明後日の日曜のお昼に出もお会いできませんか。私どもが由佳とともに岡山まで出向きますので。朝はお忙しいようですから、昼からでいいですよね」
後に聞くところによると、母親はプリキュアのことを指摘しようと思ったものの流石にこちらから出すのはと思って、寸でのところで言わなかった、とのこと。
「ええ、いいですけど、由佳さんは、来週は火曜と水曜がお休みと」
「御心配には及びません。12月は忙しくなるので、今のうちに消化できていない有休をとることを会社で勧められて、その2日を有給扱でお休みにしていただいていると伺いました。ですから、そこは何も問題ありません」
休みが4日連続か。その間が勝負だな。彼の直感が頭の中で言語化された。
「わかりました。その点は由佳さんと話を詰めさせていただきます」
「よろしくお願いします。ところであなた、婚姻届は用意されていますよね」
「ええ。昨日岡山市役所に出向いて予備も入れて用意しております」
つい1週間前はお互い全くの他人同士だったのが、この1週間で一気にこんなところまで来てしまったことに、改めて彼は何とも言えない心地を味わっている。
それは、彼の妻になろうとしている彼女のほうも同じ。
まさか、この世で出会えないと思っていた彼と彼女が、こうして再開するや否や一気に夫婦という親等数すらつかないほどの密接な関係になるとは。
「実は私、44年前の今日、岡山大学の学生会館に鉄道研究会の例会に初めて行きまして、その日の夕方、ある先輩の持っていたルービックキューブがなぜかぴたりと6面全部そろいましてね。びっくりしました。最初の最初にそんなものを見ることになるとは思いもしませんでした。それがまた、44年後の今日、形を変えて現実化するとは、夢にも思っていませんでした」
母親から父親に、電話の相手が変わっている。
「その先輩の持ってきたルービックキューブじゃが、君と由佳の運命の予兆だったのかもしれんな。神は時に、自らの言うべきことを他人の言葉やモノを通して語るというが、まさにそれが今、貴君の目前で現実化したということじゃ」
妻となる女性の父親の弁を、彼はじっくりと味わうように聞いた。
「じゃあキヨくん、おやすみなさい。お電話ありがとうね」
「由佳ちゃん。おやすみなさい。今日はホンマ、おおきに」
来週にも夫婦となる彼らは、それぞれの地でその日の夜を過ごした。
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