第15話 あなたの心からの声を聞かせて

 11月29日・金曜日。

 彼女は早番で勤務に就く。出勤前に彼女は、彼にメールを送っていた。


キヨくん

 由佳の両親に挨拶に行かないとね。私には姉と弟がいてどちらも既婚者だけど、もうお分かりのとおり、私は今の今まで独身のまま来ました。

 せっかく一緒になれるのなら、少なくとも私の両親には挨拶に来て。キヨくんのほうはどうしようとお任せするけど、せめて私のほうだけはお願いします。

 私たちが20代の半ばで結婚しようとしたら、両親は反対していたかも。キヨくんが養護施設にいたからという理由もあるけど、自分の道を必死で突っ走るあなたの姿を見れば、恐らく心配したと思う。その頃あなたはお父さんとは音信不通だったみたいだけど、それもひょっと、影響したかもね。しかもあなたは世間とやらの常識や付合いを激しく排除する傾向のある人だから、余計に。

 うちの両親は元気とはいえもう80代だし、今さら両家のつり合いがどうのこうのとは言わないし、先日キヨくんの話を聞いても、とうとう会えたのかと、父が嬉しそうに言っていました。母も、そこまで来たなら一気にやっちゃいなさいと、反対するどころかむしろあおられました。もっとも一通りあおった後は少し寂しそうでした。聞くと案の定というか、由佳の花嫁姿を死ぬまでに見たい、と。

 泣き落としをするつもりはないですが、どうか、あなたの心からのおことばをお待ちしています。

                            由佳より


・・・・・・・ ・・・・・ ・


「こりゃあしかし、すごいことになって来たな」

 月末で手伝い先の仕事が忙しい日だが、それも昼までで終わる。彼はそのメールに一通り目を通した後、出かけた。そして酒を飲みに出ることもなく、自宅に戻ってきてしばらく考え込んだうえで、彼女にメールを返した。


由佳ちゃん え

 甲斐性なしでごめんなさい。こんなにも待たせて。

 実は昨日母に電話して、由佳ちゃんのことを言いました。

 よくよく考えてみれば、半田山小にいた頃好きな女の子がいたとか、そんな話を今までしたことがなかった。賀来博史君はもちろんのこと、仲の良かった映画監督の中崎冬樹君のことはこの数年来度々話していますけど、由佳ちゃんのことは今まで一度も話していませんでした。そりゃあ、びっくりしていました。

 一度縁談を持ち込まれたときに、すさまじい勢いで母に怒鳴ったことがありましたけど、巣鴨プリズンで戦犯として絞首刑がマシやなどとどなったあのときより、母にとっては今回の破壊力のほうが余程すごかったようです。

 いずれ婚姻届を出したら挨拶に行くと、述べておきました。

 それから、由佳ちゃんの方のご家族との挨拶については、お任せします。日曜朝のプリキュアファイトに影響さえ出なければ、何なり対応します。

                           米河清治


・・・・・・・ ・・・・・ ・


 彼はメールを送ってネットの小説のチェックをした後、16時過ぎた頃に再び外出した。まずは街中の銭湯でひと風呂浴び、それからまた、もつ鍋で一杯飲むべく17時の開店に合わせて駅前商店街の居酒屋に。

 いつものように飲み放題で生ビールを頼み、もつ鍋をしっかり煮込んで食べる。まずは豆腐をすくってつまみ、それからさらに煮込んで野菜を食べる。最初の具材をすべて食べ終えたら、今度はうどんを頼んで煮込む。そのうどんを食べ終え、最後は雑炊のセットにしてもつ鍋の露を一滴残らず身体に取入れる。

 大体ビールを10杯近く飲んだ後、最後は締めのデザート代わりにカルアミルクを頼んで飲む。牛乳の効果で、ニンニクの臭い消しを図るという次第。


「あ、そうか! 44年前の今日だった!」


 彼は突如、あることを思い出した。

 鉄道研究会に大学祭3日目でスカウトされ、初めて大学の学生会館で例会と呼ばれる集まりに出席したあの日のことを。

 その日の16時30分頃。正確には20分台だった。ある先輩が持ってきていたあのルービックキューブが、期せずして6面ピッタリと揃ったのだ。後にも先にもそんなことはなかったようだが、この日のそのときに限って、それが起きた。

 しかも、初めてその地に踏み入れた少年の目の前で。それは1980年。昭和55年のことだった。彼女と音信不通になって3年目の秋のことだった。


 今日は金曜日。明日は朝だけ手伝いがあるが、昼からは自分の仕事を突き詰めていく以外、特に何もない。

 彼は会計を終え、自宅へと自転車を押して歩きながら帰った。

 帰ってパソコンのメールとスマホを確認したら、彼女から着信があった。

 スマホの着信は、歩いて帰っている頃にあった模様。

「今から電話してもいい?」

 彼は返信した。

「電話代のかからんプランや、少し待ってくれたらワシからかける」

 それから着替えて身だしなみを整え、彼は意中の人に電話をかけた。すでに電話帳に彼女の電話番号もメールも登録されている。帰ってきてくつろぐためにも部屋着に着替える必要もあったが、なぜか、ここはきちんと身だしなみを整えないといけないような予感がした次第。その彼の予感は、あまりにも見事に的中した。


「もしもし、キヨくん、ちょっとお話がある。いい?」

「もちろんや。何があったネンナ?」

「悪いことは別にない。でも、良くなるためには大事なこと。どうせお酒飲んでいるんでしょうけど、しっかり答えてね」

「うんわかった。由佳ちゃんの御両親のことでしょ」

「そう」


 彼女はどうやら、自宅とは別の場所にいる模様。確か彼女は、総社に両親がいると言っていた。電話の向こうの空気が、いつもの彼女のいる部屋とまったく違う。

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