あなたの心からの声を聞かせて

第13話 その夜の彼女と彼

 そして翌日。ほとんど同時に目を覚ました彼らはまた一緒に入浴し、身だしなみを整えた。それから、朝食。共に朝食を食べること自体がお互い人生初。こんな幸せが毎日のように続く日も近い。

 彼女のクルマに便乗した彼は倉敷まで出て、岡山の自宅へと戻った。家庭教師会社の裁判関連の仕事があったので、仕上げた文書をメールで送っておく。電話連絡して賞与支払届の提出については昨年と同じように仕上げて送ればよい、ただし12月支給なので不支給が確定してから送ればよいと述べた。年末調整についても、次回来社した際に何とかすると回答。

 何だかんだで、彼も仕事をしているのだ。一応、名誉のため。

 昼からはとある会社の経理の手伝い。一応、留守番も兼ねている。それも含めて昼から夕方にかけ、彼は作家業以外の仕事を一気に処理した。


 一方の彼女は、普通に自らのクルマで勤務する眼鏡店に出勤し、少し遅めの閉店後までの勤務に就いた。不思議とこの日は眼鏡が売れた。なぜか先週は、彼女が関わって売れたのがわずか2件だったのに、今日は1日で4人。先週のあの不調ぶりは、何だったのだろうか。

 あの子はいつもカフスボタンを着用しているが、その前の週とさらにその前の週の土曜日に、緑色のカフスボタンの右側にしていた方がどこかで落ちたみたいで紛失したと言っていた。

 言われてみれば、自分も先週とその前の週当たりの売上というか、販売本数がいつになく少なく、そもそも来店者もいつもより少なめだったことを思い出した。

 彼の話では、最初の土曜日に紛失したカフスは、四つ葉のクローバーの緑色のものという。こちらはうちに帰ればボンドを使えば修復できるのが2個あるらしい。修復したのと組合せれば買わなくても何とかなるとか。その前にも、別の色のカフスボタンの石がとれてしまったこともあったらしい。

 私の動きと言い彼の動きと言い、なんだか不思議。

 彼女は自宅に向かう車中で、そんなことをずっと考えていた。


 彼女が自宅に戻っている頃、彼はいつもの居酒屋に行ってもつ鍋を食べながら飲み放題にしてビールをどんどん流し込むように飲んだ。実は先週の木曜日にも同じようなことをしていて、翌日児島まで散髪に行ったところ、1歳上の散髪屋のお兄さんにニンニク臭いぞと指摘されたという。チップのニンニクを増量して入れてもらっていることもあって、余計に臭いが残っていたらしい。その日は飲み放題の最後にカルアミルクをいつもなら2杯ほど飲むのが、時間の関係で1杯だけで終わっていた。ニンニクの臭いを中和するミルクが不足していたのかも。


 自宅に戻った彼女、自分のパソコンのメールをチェックしながら夕食を食べる。

 昨日の彼がいたときのあの空気、今はこの部屋にはない。

 彼は一人でも何となり生きていける人物。私もそのつもりだったけど、実のところ難しいのかもしれない。でも彼とて、一人で生きているよりは私がいた方がより効率よく動いてもっと仕事ができる余地があるのではないかしら。

 ここまで彼と50年近くにわたって会えないままだったのはなぜか。

 彼女は、ふとしたことでネット検索中に見つけた「ツインレイ」という言葉をさらに調べてみた。すべてが当てはまるというわけではないが、彼と私の間で起きたこととそれまでそれぞれに起きていたことを考え併せていくほどに、彼と自分はその言葉でくくられる関係性にあるのではないかという思いが湧出してくる。

 彼は今、どうしているのだろうか。

 酒を飲むと割に早くから寝ているらしいから、夕方以降はあまり電話をかけるのもはばかられる。仕方ない。夜中に起きてチェックしてもらえるよう、彼女は彼のパソコンのメールアドレス宛にメッセージを送った。


 明日は早番。少し早めに帰って来れるとはいえ、疲れた。

 何より彼がいないという状態がこんなにも寂しいものだったっけ。

 彼女はベッドに横になり、昨日の彼を思い出しながら自らの心と身体を慰めるより他なかった。でも、そのうち彼は必ず私の目の前に現れる。そんな安心感があることは、今の彼女にとって大きな救いである。

 彼女は自らを慰め、一言だけ口に出し、眠りについた。


「キヨくん、おやすみ」


 一方の彼はと言うと、その夜は仕事を終えて一杯飲み食いし、早めに帰ってメールをいつものようにチェックして詩をいくつか書置きした後、動画を見ることもなく早めに寝た。ただ、あまりに疲れたせいか、よくあることとは言え室内灯もパソコンも付けたまま倒れていたというのが真相。

 そういうのは酒で気絶しているだけだという人もいるが、まさにそんな状態。

 彼は日付の変わる頃に起きだし、再度メールとサイトのチェックをして、日付の変わった1時過ぎ、今度はパソコンを先にスリープモードで寝かせ、照明を消して机の後ろにある布団の上に横になって寝込むことに。

 彼にしては珍しく、人におやすみの言葉を発した。一人暮らしが常態化している彼が誰かに対してそんなことを言って寝起きすることなど、何十年来なかった。


 「由佳ちゃん、おやすみ」

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