第7話 どこかに一緒に

「ここじゃあまり混み入った話できないから、どこかに二人で・・・」

 彼女は大胆にも、彼に場所を変えることを提案した。

「普通ならこういうとき、第三国ならぬ・・・」

 むにゃむにゃと優柔不断そうな弁を弄しかけた男を、彼女は一撃で止めた。

「そんなの、イヤ!」

 分別盛りであるはずの50代半ばの女性が、少し高めの声を上げる。

「お金、もったいない。キヨくんはパソコン持っているでしょ。それだけあればお仕事できるじゃない。おいでよ、由佳のところへ。K駅から歩いてすぐ。あなただけならうちにいつ来てくれてもいい。何だったら、一生住んでくれてもいい」

 随分積極的な提案だ。

「由佳ちゃん、ぼくの性格を知って、そういう提案しているわけ?」

 こればかりは、言わなきゃいけないや。

「ええ。何だったら、由佳が岡山市内に移転してもいい。キヨ君の今の居場所を維持したままそこを仕事場にしてもいいけど、由佳ンちに住んだら、外食ばっかりお酒飲み歩いてばっかりの生活から・・・」

「でも何で、わしにそこまでいきなり・・・」

 彼女は、真剣に提案してきている。

「あなたを、男にしたいから!」

 急にそんなこと言われてもなんだか。しかしここは、オレは男だとも言えまい。

「わかった。とりあえず、ここで話しても難だから、二人きりで話せる場所に」

 彼女の顔がまた赤くなる。彼女は声を落として、目の前の男性に提案する。

「今から、由佳の自宅(うち)に来る?」

 早速そう来たか。時間は取ってあるから、そのくらいは大丈夫だ。

「いいけど、こっちがヒモ男になるみたいやな」

「ヒモ男の感触も味わってみて。小説の取材には十分なるでしょ」

「まさか由佳ちゃん、それを取引材料にぼくを?」

「そこまで考えてなかったけど、今思うと我ながらナイスアイデアかも」

「今日は一日使えるから、今から行ってもいい。駅前のお好み焼きに久しぶりに行くのもありかなと思っているところや」

「あ、あの手芸屋さんの隣のお好み焼きでしょ。私もたまに行く。でも何で岡山在住でしかも一時関西にいたキヨ君がそんな店、知ってンのよ?」

「実は20年ほど前、先輩の知人が塾を出したときに手伝いに行ったからね」

「そう言えば、駅前のあのビルの2階に塾があったの、覚えてル。知合いの娘さんが通っていたみたいよ。その先生、若くして亡くなられたみたいね」

「うん。そのことは先輩から聞かされたよ」


 ここで珈琲のおかわりを打診されたので、揃ってお代わりをいただくことに。その珈琲のお代わりは、ほどなくやって来た。

「駅前でホテルに入るより、うちに来た方が安くつくよ。どうせ駅前だし。酒にうるさいあなたの大好きなビールもちゃんとそろえたし、食べ物なら3日分は確保しているの。おいでよ。ネット環境もあるし、うちを使って仕事していいから。というかむしろ、キヨ君のお仕事ぶり、見てみたいなぁ」

 そこまで言われたら、一度行ってみるのも悪くない。彼は決断した。

「ホテルで今から休憩と称して入り込むより、そっちの方が安くつきそうや」

「でしょ。行こ、ちゃんとゴムも用意しているから」

「何、そのゴムって?」

「由佳の身を守り、キヨ君に余計な手間をかけさせないための必需品!」

「わかったよ。何かはいちいち指摘せんとくわ、もう」

「実はもうなくても大丈夫な身体だけど、あった方が精神的に安心でしょ。ついでに何、あの頃に戻った気分も味わえて。失われた半世紀、一気に取り戻したいな」

 彼女はそう言ってほほ笑んだ。少し年をとってはいるものの、小悪魔の微笑に見えて仕方ないというより、それ以外の何物でもない感が大あり。

「じゃあ今日のお昼は、由佳をしっかり食べてもらおっかな」

「腹減っては戦でけへんで」

「兵糧はもう用意しているって言ってンじゃない」

「でも、由佳ちゃんの前で裸になるのは、恥ずかしいな」

「あなたも私も55年前、こんな服やメガネを持って生まれてきた?」

「いや、それはないわ」

「小学校の時以来ね、本当のこと言うと、由佳も恥ずかしい」

「ぼく、由佳ちゃんには着替えを見られた記憶ないけどな」

「キヨ君のお嫁さんになるための花嫁修業させて欲しいな」

「わしに奥さんができる前提のおはなしやないか」

「決まっているでしょ。この年になって、両家のつり合いがどうたらこうたらもヘチマもないの! お互いの身体と身体を見せ合ってぶっつけ合って、それで合うか合わないかが一番。話なんか、そこから!」

 随分大胆に迫るなぁ。作家氏のチェイサーの水を持つ手が震える。

「可愛い姿格好のメガネ女子が言うと、なんか怖いわ」

「ビビッテルンじゃないわよ! オオカミの癖に」

 これでは、乙女を襲うオオカミというより、乙女に狩られるオオカミだ。

「大の日本男子がそんなことでいちいちビビるか!」

 嘘つかないの。ビビッテルくせに。彼女の眼鏡の奥の目が優しく笑っている。

「それだけ啖呵切るなら、由佳の一人くらい幸せにできるでしょ?」

 色気も添えて、彼女は迫って来た。

「ああ、してやらあ。そのかわり、」

「その代わり? 何が欲しいの?」

 さすがにここで列挙するのも恥ずかしいや。

「まずはとにかく、ここを出て移動。話はそれからや」

「由佳のところ、来てくれるの?」

「ああ、出向くよ。時間ならあるから。どうせうちは今日は荷物も郵便も来る予定ないし、人が入れる場所でもないからな」

 ここで彼女、さらに大胆な話を出してくる。

「家政婦由佳ちゃん、雇わない?」

 なんだよそのアダルトビデオみたいな言い方。家政婦なんていらないよ。そう心の中で軽く毒づきながら答える。

「そんな金、ないよ。テメエのことはテメエでやるのが、わしのモットーや」

「カラダにはカラダで返してくれたらでいいけど、駄目?」

「いいけど、今日は折角だから。とにかく、ここを出よう。こんなこっぱずかしい話を公共の場何かでいつまでもできるかってンだ」

「わかったわかった。演説はおしまい。ほら、パソコン片づけて」

「じゃあ、これをIDで」

「わかった。じゃあその間に準備して」

 クレジット機能付のキャッシュカードと伝票を、彼女は近くの店員に託した。彼の準備が出来上がる頃には、女性店員が男性の方に領収書とカードを返してきた。いまどきはサインも暗証番号の入力も必要ない。


 今どきの50代の男女は揃って店を出た。一緒に歩くのは、小学生の時以来。あの三差路で別れて以来。エスカレーターに乗って2階の連絡通路に向かう。

 エスカレーターに並んで乗った彼女は、彼の左手に自分の右手を絡めた。もちろんこんなことは小学生の頃にはやっていない。

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