第6話 うららに乗って岡山へ。そして、

 ラッシュのピークは過ぎているものの、まだ電車には多くの乗客が乗っている。ここは浅口市。新倉敷はかつての玉島。すでに倉敷市に入っている。ここから少しずつ岡山に向かう客が乗ってくるものの、ここならまだ座れる。

 彼女は進行方向右側の座席に座れた。これで立つことなく岡山に向かえる。

 肥沃な田園地帯を抜け、高梁川を渡ると西阿知。駅の南側には県立水島工業高校がある。ここのどこが水島なのかわからないけど、要は水島で働く技術者を養成する学校であると言えば、つじつまが合うのかな。

 やがて倉敷の市街地に入っていく。かつて報徳学園と甲子園で死闘を演じた岡山県立倉敷工業高校の練習場の横をかすめたその先で、通路を挟んで向いから伯備線が合流する。もうすぐ倉敷。隣に並走する線路は水島からやってくる水島臨海鉄道。ピーポーと呼ばれている気動車が駅で客待ちをしている。

 電車はゆっくりとポイントを通過し、倉敷駅に入線。ここでさらに客が乗り、ついに立客がデッキ付近に目立つようになる。隣にいた人はここで降り、代わりに自分と同世代のサラリーマンが乗車してきた。ごく普通に会社に勤めていそうな人。彼と同じような格好こそしているが、こだわりを包み隠そうともせぬオーラに溢れているわけでもない。中庄、庭瀬、そして北長瀬と各駅に丁寧に停車した新型電車は、定刻で岡山に到着した。

 横の男性に続き、彼女は席を立ってドアへと向かった。


 まだ会う時間には少し早い。久々に岡山駅前を散策してみる。

 先日より路面電車乗入工事の始まった状態の駅前を見るのは久しぶり。あの噴水も既に撤去されている。もっと若いうちに彼と再会していれば、ここがデートの待合せ先になったかもしれない。そんなことも思ってみるが、もうその噴水はない。

 駅前の商店街も随分変わった。現在、駅前再開発に向けての工事中。古い建物たちはすべて取り壊されてしまい、新たに建てられる高層ビルができるまでは、こんな殺風景な様子。その反面、こういう光景を見るのは何かが進化していくことを肌身で感じられるものでもある。地下に降りてみる。一番街と呼ばれる商店街の多くの店が閉店し、路面電車乗入に耐えられるようにする工事が絶賛実施中。


 少し早いが、Gホテルのロビーに行ってみた。まだ彼、来ていないのかな。

 少し待とうとロビーのソファに腰かけてチェックすると、メールが来ていた。

 どうやら彼はすでに横の喫茶に入って何やら仕事をしている模様。女性店員に頼んで声をかけないように配慮してもらうことに。

 彼の邪魔をしても、いけないから。

 一度トイレに行って身だしなみを整え、彼のもとへと進むことに。

 果たして彼らしき人物は喫茶の窓側のほうのソファに座り、パソコンを広げつつ何やら本を読んでいる。そうかと思うと突如本を置いて丸いセルロイドのメガネをかけ直し、パソコンを猛烈な勢いで動かすのだが、ノートパソコンを使っているにもかかわらず、彼は外付けのキーボードを必死で叩いているのだ。

 時々マウスが動く。

 わずか数分のうちに、どうやら文章が完成した模様。

 彼はすかさずマウスで必要な場所をクリックし、そのサイトを閉じた。

 そして、軽くメールチェック。無駄なメールの一つか二つ消した模様。

 程よいところで、彼は珈琲を口にする。どうやらブラックで飲む。

 意を決した彼女は、彼のもとに寄った。


「プリキュアおじさん、ですね?」


 な、何だって?

 こんな場所で妙齢の女性が同年代の男性にそんなことを言うなど滅多にあることでもないのか、何人かの客が思わず彼女を振り向く。

 集中力を解いてしばしのブレイクを味わっているダブルのスーツに蝶ネクタイの男性が、眼鏡をかけた妙齢のきれいな声の女性をようやくのことで認識した。

「そうとも呼ばれています。満更、間違いでもありません」

 事実の前には否定をしないみたいね。

「あの、米河清治さんですよね?」

 彼女はもう一度、今度はまともな問いかけをした。

 相手の男性、彼女の顔だけでなく全体の雰囲気を自らの目で味わうかのように見つめている。嘗め回すようないやらしさこそないが、半端なく鋭い観察力を感じさせられる。初恋の彼、ようやく私に気付いたみたい。

「あなたは、河崎由佳さんですね」

 すっかり、来た女性を受容する態勢になった模様。

「は、はい。あの、前の席、よろしいですか」

「もちろんです。さすがにここで膝の上に乗られるのは難ですので。個人的にはそうしていただいても一向構いませんけど(苦笑)」

 スーツ姿の紳士の顔がいつになく赤くなった。それに比例して、対手の女性の顔もまた赤さを増す。

 向いのソファに腰かけると同時に、彼の口調が急に変わった。

「あ、由佳ちゃん、ぼくは「アカ」じゃないからね。「バカ」やけど」

 自分の顔が赤くなっていることを少し突き放したような話ね。

「再会してそうそう変なこと言うのね。キヨくんらしいとは思うけど」

 そういう自分も顔がいささか赤くなっていることに、彼女も気付いている。

「セーラー服はなびかせてないけど、らしくいっているつもりやねん」

「それ、セーラームーンじゃない? 確かスーパーズのエンディング」

「ばれたか」

 彼女はこの数日来、彼の動向を調べていた。セーラームーンのスーパーズあたりでちびうさファンに「転向声明」を出して周囲を呆れさせていたことも。


「お客様、ご注文はいかがなさいますか?」

「珈琲で」

「そちらのお客様、お代わりはおいかがですか」

「お願いしまっさ」

 女性店員が注文を取りに来た。ほどなく、珈琲がやって来た。

「一緒に何か飲んだり食べたりするの、小学校の給食以来ね」

 彼女の言葉に、作家氏は珈琲を飲みながら頷く。

「二人だけは、生れて初めてじゃないかな?」

「そんな機会がこれから、もっともっと、増えたらいいな」

「ぼくも、そう思っている。どうせなら、あとは、その、」

「何かいやらしいこと想像していない? 由佳は別に構わないけど」

「そう考えるほうこそ、いやらしいやろ。わしも別にかまへんけど」

 そこで会話が少し止まる。二人とも目の前の珈琲を飲む。

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