第5話 そして、翌朝のメガネ女子

 日が明けて、11月25日の月曜日。

 彼女は起き出して、まずはメガネをかけた。そのメガネはもちろん、パソコン用のブルーライトカットが入っているもの。もちろん、自分の勤める会社の製品。パソコンを立上げ、メールチェックを素早く終え、彼の作品にもう少し目を通す。

 喧嘩文体。

 あの子、そんなところあったかな。でも、いろいろなことがこれまでにあって、そのような文章をつくるようになったことはわかる。とはいえその過程というものを逐一分析したわけでもないし、彼がどんな辛い思いをしてきたのか、それに対してどんな思いでぶつかって来たのかを考えると、自分なりに思うところはある。

 せめて由佳がもう何年かあの子と一緒にいられたら、もっと若いうちに再会していたら、こんな文章はできていないかも。

 いつ頃かな? 中学校か高校かも忘れたけど、ある国語の先生が言っていた。


 文は人なり


 書かれた文章から、その人がわかるということなのだと、当時は理解していた。

 読んだらその人がわかる。そんなことくらいはすぐに分かった。しかしながら、もし自分が何かの文章を書いたら、その文章から自分が人に推察されるということにまで、そのときは意識が回っていなかった。

 しかし、不思議な感触が自分の胸に去来し始めた。

 なぜだろう。彼はこの文章をもって人に自分はこんな人間であると強烈に主張しているように見える。そこに異論を唱える者や、彼の意に沿わない解釈をする者がいようものなら、それらを、否、そいつら共々徹底的に排除していくような勢いさえ感じずにはいられない。特に書かれた時期の早いものほどそう見えて仕方ない。

 だけど、今年の作品あたりから、その要素が随分、抑制されてきたような。それに反比例して、どこか穏やかさをまとうようになった気がする。では、彼の激しさがそれに反比例して減ったのかと言うと、確かにその文章では現れていなくても、昨年あたりから始めたという詩のほうでは、かつて彼に関わった人物に対する激しい怒りのようなものを包み隠すこともなく露出している。

 そちらのほうはむしろ、時が経つにつれてその激しさを増している。

 確かに彼は、折に触れてこんなことを言っている。


総括と称して人を殺す


 彼の文章には確かに、鋭い刃を持ち合わせている。一旦それを抜かれたが最後、彼の対手はバッサリと切り落とされるだけのものがある。

 大体あの子、縁談を2回実力粉砕したと由佳の前でも言っていたものね。そのことを裏付ける作品も読んだ。あの子には、家制度の残骸のようなものに心底許せないものがある。それをもとに彼に接触を試みる者も同罪どころか罪一等増扱。


A級戦犯として巣鴨プリズン13番刑場で絞首刑になったほうがまし。

市ヶ谷の陸軍省跡地で自衛隊相手に決起演説をして切腹することを選択する。


 彼が婿養子という形での縁談を拒絶した時の第一声のうちの2つがこれ。

 ここまで言って相手を叩きのめすようなことを言えば、そりゃあ、相手はとてもではないけど引いてしまうわ。


私には、田舎町の一つや二つ、叩き潰すだけの力の持合せはあるのでね。


 これなんか、今私の住む場所の近くの町に住むという、彼の父方の祖父の従弟にあたる人物に向けての言葉。彼に自分の娘をやるから婿養子になどという縁談を拒絶した上に、件の彼女に聞こえていることを前提に発した言葉。

 その父親や母親はまだしも、そんな言葉を耳にした娘さん、どんな思いで聞かされただろうかと思うと、何とも言えない気持ちになる。

 道理で、あの子のお母さん、息子に向って「毒にも薬にもなる人間」なんて言ったらしい。あの子のお母さんじゃないしなれっこないけど、私だってそう思うわ。


 でも、あの子は決して悪い子なんかじゃない。むしろ、・・・。


 彼女はいったんパソコンを離れ、シャワーを浴びて身支度をすることにした。いつにないほど、彼女は自らの身体を丁寧に洗った。そのまま髪をセットし、外出するための服を選ぶ。仕事ではないから、もちろん普段着。上下ともに、彼が見て喜んで欲しいというささやかならざる欲もないわけではない。

 今日身にまとうのは、すべて勝負もの。

 かくして、55歳のメガネ女子、できあがり。私より年下みたいだけど、あの子が毎週見ているあのメガネおばさんなんかに負けるわけがないわよ。

 彼に絡むと、今までにない負けず嫌い感が湧き上がる。

 彼女は歩いてK駅まで出向き、福山方面からやって来た新型電車に乗り、幼少期に過ごした県都岡山へと向かった。

 もうすぐ彼に会える。そう思うと、身体がいささか震えた。その震えからは変な胸騒ぎや寒気は感じないどころか、ある種の心地良ささえも、もたらしてくれる。

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