第3話

コーネリウスはドレスデンで生まれました。

戦後、家族はデュッセルドルフに移り、父親は美術館のデレクターをしていましたが、交通実で亡くなりました。その後、母親のヘレナはミュンヘンにマンションを買い、娘のベニタと住み、


ここの五階〈日本式には六階〉の角部屋です。(ここに、写真をアップできないのが残念)


コーネリウス母親とは別に、オーストリアのザルツブルグに家を買います。


ミュンヘンとザルツブルグは電車では二時間ほどで近く、よく行き来していたようでするまたコーネリウスはフォルクスワーゲンをもっていましたから、車で行っていたのでしょう。


ミュンヘンからチューリッヒへは六時間ほど、そこからベルンまでは一時間ちょっとです。

あの税関に尋問された日、コーネリウスは行きが七時間、帰りが七時間の長旅をしていたことがわかります。そんな長旅ができたのですから、その時は、まだ健康だったということですよね。その後、心臓が悪くなりますが、あの捜査の一件が、彼の心臓を悪くしたとも考えられます。


ドレスデンの家が焼けた後、一家はデュッセルドルフに移りましたが、それは国の反対側だということです。随分遠い所に引っ越ししたものです。

父親のヒルデデラントは戦争が終わった後、ナチスには協力していた人として逮捕されましたが、絵画を守るためにやっていたのだ、と告白して、逆に英雄になった人です。

彼は名門の出て、この一家は学者、画家、音楽家など、優秀な人をたくさん出しましたが、彼の祖母がユダヤ人だったので〈註 途中まで隠していた〉、時にはドイツ人から疑われ、ユダヤ人からは敵対視されていたようで、なかなか難しい立場にいたようです。

戦後、彼がなぜ、保有していた絵画はすべて焼けたと言ったのでしょうかね。

私欲のため、それとも、それを言ったら、危険なことがあったからなのでしょうか。


しかし、彼は交通事故で、亡くなりました。詳しい事情はわかりませんでしたが、それが突然だったのは確かです。このことを、家族はどう受けためていたのでしょうか。もしかして、狙われたのだというように思ったのかもしれません。


父親が死んだ後、一家は、今度は南に引っ越しします。今度も、随分、遠い所に移り住んだことになります。なぜ、ミュンヘンを選んだのでしょうか。〈註 私は偶然のことから、その理由がわかったように思います。そのことは次回に〉

ミュンヘンでは母親と妹が住み、彼自身はオーストリアのザルツブルグ郊外の家に住みます。母親とベニタはたびたびザルツブルグのコーネリウスを訪れていたそうです。きっと家の掃除、庭の整理なんかなんかしてあげていたのでしょう。

彼はザルツブルグでは、好きなショーペンハウエル、ヘーゲルの本を好み、ワーグナーの音楽を愛き、それなりに満足して暮らしていたようです。もともと人との付き合いは好きではないのは確かてす。

ひとりで一軒屋に住んでいるのですから、部屋にはいって出てこないいわゆる「ひきこもり」とは違いますが、世間からは引きこもっていた人でした。


そんな彼をかばい、支えていたのは妹のベニタでした。ある時、大学の友達が彼を捜して、手紙を書いた所、妹を通して、接触しないでほしいということを言われたというエピソードがの子ています。

ベニタはやがて結婚するのですが、彼は結婚式にも出ません。でも、ベニタはよく訪ねてきて、世話をしていたようです。彼は妹がいなければ、何もできない人のようです。

母は遺言でマンションをベニタに譲りました。それは息子にはとうてい管理ができないと思ったからでしょう。しかし、彼はミュンヘンのマンションに住むことが多くなりました。テレビで、マンションには封の切られていないシャツやパジャマがあったと言っていましたが、それは妹がもってきてくれたものでしょう。


あの電車の中で税関に検閲された時も、家宅捜査の時にも、ベニタはまだ生きており、彼はきっと相談したと思います。しかし、ベニタは病気でしたから、何もすることができなかったのでしょう。

唯一の話相手の妹が亡くなってからというもの、彼が会話をするのは、医者だけでした。それもほんのたまにです。

次のエピソードは本にあったのですが、これも興味深いです。

彼の行く病院は、ミュンヘンから三時間くらい離れてところにありました。

彼は検診のために、医者にはひと月も前に手紙を書き、アポを取りました。それが近づくと、彼は検診の二日前からホテルに泊まり、準備をしたのです。食べ物と水は持参し、部屋で食事をしました。そして、検診当日は朝八時半のアポのために、二時に起き、病院はホテルから三百メートルしか離れていないのに、タクシーを用意してもらったそうです。

なんて、不器用で、小心な人なのでしょうか。


コーネリウスはあのミュンヘンのマンションで、絵画がもっていかれてから、毎日、毎日、それが戻ってくるのを待っていたのでしょうね。普通なら、弁護士を雇って、抗議するところですが、彼にはそういうアイデアが浮かばなかったか、浮かんだとしても、やり方がわからなかったものと思われます。

ミュンヘン市から送られた弁護士のエデルが、コーネリウスに初対面で感じたことは、

「子供のような人だ」ということでした。

ですから、彼はあの略奪絵画を守るために、ああいう孤独な生活をし続けていたのではなくて、もともとああいう閉鎖的な性格の人だったのでしょうと思います。ただ、略奪絵画を隠しもった家に生まれてしまったために、孤立に拍車がかかったこてはあると思いますが。


彼は小心でかつ頑固者でしたが、

他の人が思うほどは孤独を感じていなかったと思います。

それどころか、ある意味、ラッキーな生き方ではないかなと思ったりもします。

私もわりと「ひとりにしておいて」タイプなので、

人と接触がなくても、本と音楽と好きな絵に囲まれて何十年も過ごしてこられたなんて、羨ましいと感じる部分があります。

でも、彼の靴をはいてみたら〈彼の立場になってみたら、という英語的な言い方です〉、やはりあの絵の存在はとてつもなく重荷だっただろうと思います。

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