第2話
テレビでは、
ユーネリウス・グルリットを、ナチス略奪絵画を守るために、国籍もなく、住所届もせず、人との接触を避け、孤独な人生を送ってくた謎の人物、として描きたかったのだと思います。
しかし、彼にはオーストリアに国籍があり、そこでは税金を払っています。また信頼する妹がいましたし、ザルツブルグには家があり、そちらが本宅です。ミュンヘンのマンションは母親から娘ベニタ〈彼の妹〉に遺産として残され、ベニタが死んだ2012年に、彼の所有になったこと。また画商の間では、グルリット家が名画を所有していることが知られていたこと、それらについては、テレビでは、一切、触れられませんでした。
この番組は、この事件の真相を描き出すというのに主点がおかれておらず、フォーカスの記者の証言ということになっていますので、記者がそれらのことを知らなかったと言えば、それまでです。〈註 ちょっと不満〉
このフォーカスって、どんな雑誌なんでしょうかね。ふたりの記者は、一年間もアパートを見張っていたというわりには、写真一枚取れず、彼の国籍もわからなかったわけでしょう。
固定資産の登録を調べたり、アパートの管理会社や画商などには聞き込みをしなかったのでしょうかね。
私なら、まず捜査令状の中身を調べますね。〈註 これって、難しいことですかね。〉
コーネリウスはあのチューリッヒからの電車の中では、規定内の金額しか保持していなかったわけで、いったいどう疑惑で令状が取れたのか、とても興味があります。
それでは、話をわかりやすくするために、本に書いてあったことを参考に、
コーネリウスの略歴を表にしてみます。( )の中は年齢です。
1932 ドレスデンで生まれる。
1935 (3歳) 妹ベニタが生まれる。
1945 (13) ドレスデンの家が爆弾で焼失。
焼けるビフォアアフターの写真です。
1956〈24) 父親が交通事故で死ぬ。
1960(28) ケルンの大学で美術史、哲学や音楽を勉強。美術館で、インターン。その時知り合った女性と恋に落ちたらしいが、実らず。1965年あたりに、卒業せずに学校をやめたが。その理由は不明。
1960 (28) 母親ヘレネがピカサの「ふたつの鼻の女」を売る。〈註 略奪絵画ではない。)
1961(29) 母がミュンヘンにアパート〈2ニット〉を買って住む。
1961 (29) コーネリウスがザウツブルグ郊外に庭付きの家を買い、住む。彼はオーストリア市民。註 このあたりでオーストリア市民権ゲット?〉
1962(30) 妹とパリに行く〈註 旅行に出かけた記録はこれだけ〉
1967(35) 映画に行く〈註 たぶん妹と。映画に出かけたのはこれだけらしい〉
1968 (36) 母が死ぬ。ミュンヘンのアパートをベニタに残される。ベニタ、結婚、他の町へ移る。
1970 (38) コーネリウスがミュンヘンのマンションに、サウンドシステムを買う。
1983(51) スイスに銀行口座を開く。〈註 その額は今だわからず〉
1988 ー1990(56-58) ベルンの画商に、いくつかの絵画を売る。
2010(69) スイスとの国境の電車の中で、税関員に質問される。
2012/2月(80) ミュンヘンのアパートが家宅捜索 大量の絵画が発見され、押収される。この ことに関して、国は沈黙を続ける。
2012/5月(80) ベニタがガンで死ぬ。ミュンヘンのアパートを兄に譲渡。
2013 (81)フォーカスの記者が、大量のナチス絵画が押収されたという話を聞く。その現場写真を見せられる。
2013 11/4月((81) 「フォーカス」にスクープ記事が載る。世間が驚く。
2013 11/18 (81)週刊誌「シュピーゲル」に「幽霊との対話」という記事が出る。
2013 11/11 (81)ドイツ政府が絵画押収が事実だと公式発表。インターネットに略奪絵画と思われる一部を公開した。
2013 (81)コーネリウスの健康が極度に弱まり、法により、ミュンヘン市が弁護士をつける。
2013 12/27(81) 弁護士のエデルと初めて会う。コーネリウスはすぐにエデルを信頼。
2014/1 (82)心臓手術 そして、ペースメーカーをいれる。このあたりで遺言を作成。
2014/2 (82)エデルが、ザルツブルグの家から、埃まみれの絵画238作品を見つける。
2014 4/7 (82)ドイツ政府との合意がなる。略奪絵画だと証明されたものは、返す。しかし、その他はす べて 戻す。調査期間は一年間。
2014 5/6(82) 死亡。
エデルはすぐにスイスにのベルン美術館に連絡をし、ユーネリウスの遺言により、彼の絵画をすべて寄贈すると伝える。〈ベルン美術館としては、かなり困惑し、後に、略奪絵画でないものに限り、受理を発表した。〉
そんなところです。
「シュピーゲル」の独占インタビューのことですが、あれは偶然から発生したものです。「フォーカス」に記事が載ってから、コーネリウスへの電話は鳴りやまず、玄関には人があふれ、彼は身動きができない状態になったので、そのことを「やめてほしい」と手紙で訴えたのです。しかし、彼はテレビも、コンピュータももっていませんから、フォーカスという雑誌を知らなくて、その雑誌を「シュピゲール」だと勘違いしたらしいのです。シュピゲールは歴史があり、とても信頼されている雑誌社なので、彼は知っていたのです。そして、その記者が訪ねていった時、玄関で偶然に出会い、というようなことからインタビューになったようです。
さて、人々はフォーカスを読んだ時、「略奪絵画を隠し続けてきた欲深い盗人、変人」という目で彼を見ました。
しかし、シュビゲールに現れた人物は、とても盗人とはほど遠い印象の人でした。二年前に、突然、人がドアの鍵を壊してはいってきて、大事な絵画をもっていかれ、途方にくれているひとり暮らしの弱々しい老人だったのです。
彼は弁護士さえも、雇っていませんでした。「人生で最悪の経験です。もし、私が罪を犯したというのなら、牢屋にいれればいいのではないですか」
「今までも弁護士をつけるようなことはしていないし、今も必要なない。ただ早く、自分が何より愛する絵を返してほしい」と彼は訴えました。
ドイツでは絵画などは、三十年間保有していたら、その人のものになるという法律があります。記者の質問に対して、自分の絵は父が合法で手にいれたものだと信じており、ユダヤ人からの略奪絵画だとは思わない。しかし、もしそれが証明された場合は返すと言いました。
そして、シュビゲールの記事が出ると、人々はこの老人に同情するようになり、市の冷酷な仕打ちに非難が集まりました。
一方、ミュンヘン市も、困っていたのですよね。連絡しようにも、コーネリウスは電話にも出ないし、郵便物も受け取らなかったからです。さて、どうしましょうか。
そんな時、心臓に問題がある彼が、救急車を呼ばなければならない事態が発生し、市はこの時とばかりに、エデルという弁護士を派遣します。
エデルさんは税金関係の弁護士でしたが、温厚で真摯で、ハートフルなエデルはベストチョイスで、すぐにコーネリウスの信頼を得たのです。
まず、エデルは市が絵画を全部譲渡すれば、罪は問わないことにする〈註 罪って、相続税を払っていないとか、固定資産税のことなんでしょうかね〉、というのを跳ね除けました。
コーネリウスの願いは、ふたつです。絵画をすべて返すこと。早くミュンヘンのマンションに戻ること〈註 彼は入院して、心臓手術を受けたのです。〉
そして、国とコーネリウスの間に合意がなされました。
絵画はそれが略奪絵画だと証明された場合には、持ち主に返す。その調査機関は一年間、という合意を得たのです。
入院していた時、エデルのもとで、もし自分が死んだら、すべての絵画をベルンに贈るという遺言を作成したのです。〈註 それは、彼がドイツ側の仕打ちに憤慨しており、スイスのベルンに寄贈することにしたのは、ベルンの画商が、とてもよくしてくれていたからだと思います。〉
コーネリウスは退院して、ミュンヘンのマンションに戻ることができました。
入院している間に、エデルが部屋をきれいさせ、改修もしたことに、コーネリウスはとても喜んだようです。家にはあの絵画はまだ戻ってはいませんでしたが、彼は好きな本を読み、クラシック音楽を聴いて過ごせました。
そして、退院して一月後、亡くなりました。そばには、医師と看護婦がつきそっていたそうです。
その一時間後、エデルはベルン美術館に電話をしたのです。
もちろん、ベルン美術館は驚愕しましたが、それは喜びというより、困惑でした。というのは、絵画を全部もらうとなると、ユダヤ人問題も引き受けることになりますから。それはとてもできない相談です。
それで、あれこれと検討した結果、完全に、略奪絵画ではないとわかった絵画に限り、贈与を受けることにしたのです。
そして、
つい先日、ベルン美術館のグルリット・コレクションが一般公開になりました。
〈註 ミュンヘンのアパートにあった絵画1258作品のうち、590(499?)は持主が判明。380は不明。
残りの300近くが、コーネリウス家が個人的に購入していたものなので、これがベルン美術館に贈られたと思われます。〉
それから、ソースが不明な絵画は、ボンの国立美術館に展示されているそうです。
〈註 ザルツブルグの家にあった238作品については、どうなったのか、わかりません。でも、ミュンヘンのアパートにあった絵画と同じ扱いではないかと思われます。〉
書物や資料に書いてあったことは大体こんなところです。
それらを読んで、ユーネリウスがどんな人物かを考えてみますと、
彼が「父親が残した絵画を守るために、世間からの接触を断ち、孤独な人生を生きた人」というのとは違うように思いました。
私は前に、バーンズコレクションのバーンズさん、ハーバード大学美術館にモローなどのコレクションを寄贈したウィンスロップさんのことを書きました。
バーンズさんも、ウィンスロップさんも、世間とは一線を引いて離れ、孤高の暮らしを貫き、自分の絵画をこよなく愛した人達でした。
しかし、ユーネリウスの隠者のような生き方は、ふたりのそれによく似ているように見えますが、
主体性があるかないかということでは、全く違います。
そのことを次回で書いてみたいと思います。
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