第8話 トリック
「瑛一!何やってるのよあんた!」
あろうことか瑛一は、掃除用具入れから姿を現したのだった。
埃っぽかったのか、咳ばらいをしながら目を細めていた。
「これが1番わかりやすいと思ったからな。」
言ってる意味が分からない。
わかりやすい?それは何のことか。なくなった紙、突然現れた瑛一。
ということは、
「これが昨日の書類消失のトリックだって言うの?」
瑛一の引き締まった顔は、コクリと縦に振られた。
「犯人は、掃除用具入れに隠れていた?」
「そうだ。この部屋で身を隠せる場所はここしかないからな。」
金庫の中はさすがに狭すぎる。廊下側に大きめの書類棚があるが、戸の中心がガラス張りになっているので中が丸見えである。残されているのは、ここだけだ。
「いや隠れるって...。もしかして、昨日私たちが帰るまでその中にいて、瑛一はそいつと話すために1人で残ったの?」
そうだったら1人では残らない。犯人が何をするか分からん。最低でも七篠には残ってもらう。
「他に確認したいことがあっただけだ。犯人はあの時点でもう生徒会室を脱出している。そして...」
机を撫でるように触る。しっかりと塗装がされていて、表面はツルツルとしていて気持ちが良い。
「あの生徒会室に戻ってきた。」
「ていうことはつまり...」
「犯人は、水落木先輩だ。」
場は、1分ほど静寂になった。おそらく七篠の頭には様々なことが巡っているのだろう。それを一度整理しているようだ。
ただ、こっちもなんとなく無言の空気も辛くなってきたので切り出す。
「隠れたのはおそらく放課後が始まってすぐだ。鍵を取りに行った阿比先輩が生徒会室についたのが放課後5分が経ってから。この間に書類を盗んで掃除用具入れに入り、全員が居なくなるタイミングを見計らって書類と一緒に生徒会室を出たんだ。」
金庫を開ける時間に囚われそうになったが、この方法なら先に金庫を開けて目的の書類を抜き出すことは可能だ。
「瑛一の言っていること、矛盾してるじゃない。」
黙っていた七篠はそう言う。顎に手を当ててこちらを睨む。
「と、いうと?」
「鍵を取りに行っている間に生徒会室に入る?どうやって。」
おっしゃる通りだが、それはさすがに素直過ぎるというか、あまりにも性善説の考えが浸透してしまっている。こいつは犯罪者には向いていない、と一安心。
「鍵が開いていたらどうだ?そうすれば入れる。」
七篠の目が見開く。生唾を飲み込むゴクリという音が俺にまで聞こえる。続きを聞きたくないのか、目線を下に向ける。俺は止まらず続ける。
「生徒会室の鍵当番は役割で決められていると言っていた。」
「昼休み、鍵を返しに行く担当は...」
「水落木先輩だ。」
またしても場は、1分ほど静寂になった。
「どうして、この結論に至ったの?」
すこしショックを受けている七篠の口から小さな声でそう聞こえた。
「水落木先輩とはまだ数回しか話していないけど、絶対にそんなことする人じゃないわ。とっても優しい人よ。」
俺も昨日その印象を受けた。だからこそそこが分からずにいる。
「きっかけは単純だ。水落木先輩は昨日日直だと言っていた。俺も昨日は日直だっただろ?」
「あ。」
七篠の声が漏れる。
「そう。防災訓練で日直が集まっていたが、水落木先輩はあの場にいなかった。だからこの人は噓をついているってのはすぐ分かった。もちろん、掃除用具入れから抜け出すタイミングを見計らっていたから遅れたとは言えんからな。」
逆に言えばこのヒントがなければ、推理が難航していた可能性は大いにある。
「水落木先輩とは初対面だったんでしょ?忘れていただけってことはないの?」
「美人だったからな。見たら忘れん。」
右手で高速にド突かれる。
右脇腹を反射的に引く。普通に痛い。
「それで、書類はどこにあるのよ。」
あぁ、そういえばまだ確認していなかった。隠し場所に検討は付いていたのだが、書類を俺が持っていては危ないと思ったので、昨日はそのまま帰った。
「いくら書類を先に抜き取っておいたと言っても、目安箱の回収はおよそ2分。かといってフロアを移動すればすれ違う可能性が否定できない。水落木先輩は、近場に隠した可能性が非常に高い。」
「それって...。」
「近場かつ目にはつかない場所…」
俺は扉を開け、そこにある段ボールの箱の口を開けた。ペンで「目安箱」と書かれた箱を。
「やっぱり…って、うん?」
紙が入っていた。だが、そこには1枚の紙しか存在していない。
「ちょっと、1枚しか入ってないじゃない。」
おかしい点が多い。いや、まずは書類の在りかだ。ここじゃないとすると他に候補は。
辺りを見回すともう1つの可能性が浮上した。
俺はすぐ行動に移す。
「ちょっとちょっと、なに勝手にポスター剥がしてんのよ。」
背後から七篠が止めに来るがお構いなし。掲示板には多くの部活の勧誘ポスターが貼られている。基本的にこの時期にしかポスターは貼られないらしいが、逆に言えば今は大量に貼ってある。それこそ最初に貼られたポスターは埋もれてしまうほどに。
サッカー部にテニス部、茶道部に漫画研究会、俺は次々にポスターを剥がしていく。
ーーー6月行事に関する予算の調整ーーー
ポスターの背後から出てきたのは鵜飼という名前の書かれた書類だった。1つの画鋲で刺されたその資料の後ろには、同じような仰々しい書類が5枚ならんでいた。
「本当に、水落木先輩が...。」
俺は資料を七篠に手渡す。生徒会メンバーに渡すのが普通だが、あまり顔を合わせたくない。
「瑛一は昨日の最後、ここで何を確認していたの?」
「あぁ、古都瀬先輩の事だ。確かめたいことがあってな。」
「どういうこと?」
「昨日早足で先に帰ったろ?」
「確かに先に帰っていったけど...ってそれを見てたの?趣味悪いというか、きもいよ?」
多少落ち込んでいるようだが、会話ができない程ではないようだ。
というか、突然ストーカー扱いされるのは釈然としない。
「彼氏と帰ってたんだよ。だから昨日時間を気にしてた。それを確かめたかったから見てただけだよ!」
全く信用していないフーンを聞かされ、
「まぁそうことにしといてあげるけど、これは貸しだからね?」
なぜそうなる?無実を無実と証明するにも俺はお前に借りを作らねばならんのか?
「ていうか、古都瀬先輩彼氏いたのかぁ。瑛一は古都瀬先輩が彼氏と帰ることも分かってたの?」
「それはさすがに分からなかった。ただ、時間を気にする理由がはっきりわかれば、犯人でないと確信できるからな。」
分からなかったと言っても、時間を気にしている理由を誰にも言わなかった時点でなんとなく察しは付いていたけど。決めつけはよくないしな。
「とりあえず状況は分かったわ。このことはきっちり私が生徒会メンバーに...」
「いや、待ってくれ。」
トリックは分かった。だがそれだけでは解決にはならないのが人間関係だ。
重要書類を机に置き、生徒会室を出ようとした七篠は振り返る。
「どうして?」
「正直、なんでこんなことしたのか検討がつかん。お前なら理由、分かるか?」
それもそうだ、そんな感じの顔をした七篠は一瞬考えたが、すぐに首を横に振る。
「理屈は納得してるけど、水落木先輩が犯人という点に関しては、納得してないもの。」
「だとすると、お前の中では誰が犯人に見える?」
かなり無理な質問をしてしまったかもしれない。
七篠は口を堅く閉ざす。わからないというより、言いたくない。おそらくそう思っているのだろう。
誰の名前を挙げるにしろ、言葉にした瞬間、その人間との関わりは歪んでしまう。
あとは水落木先輩への疑念も捨てきれない。七篠の表情は、いろんな感情を整理しているようにも見える。
「ーー先輩。」
言葉が突然、ポツリと出てきた。
俺は瞬きしながら七篠を見る。躊躇っていた割には落ち着いている。
「根拠も何もない。けど、なんとなくだけど、水落木先輩の事をよく思っていなかったように感じる。」
七篠の人を見る目は信頼できるものがある。
中学の時には、いじめが発生した際に瞬時に誰が首謀者であるか見抜いたり、個人個人の関係性についても詳しかったりした。
これは情報収集能力ではなく、彼女の感性である。一度話を聞いたことがある。
人間は会話をしてる最中に、目の動きや仕草などでどう思っているかがだいたいわかるそうだ。
それを正確に読み取れるのがこの七篠の凄さであり、怖さだ。
だから、俺も理由は聞かなかった。先に教室へ向かった七篠を見送り、生徒会室の隅で目を閉じる。
今回の事件に、人間関係も絡んでくるとなると...。
思考を一つ上乗せする必要がある。七篠の言っていたことを信用し、首謀者をあの先輩だと仮定するなら、そこにもなにか理由があるはずだ。それが、一番わかりやすい生徒会メンバー間の交友関係にあるのだとすれば、非常に考えやすくなる。
「いや、分からんな。」
動機を仮定しても水落木先輩に書類を盗ませるよう仕込みをする理由なんて想像がつかない。
俺もいったん教室へ帰ることにした。済ませないといけない課題もある、学生の本分を全うする、まずはそこからだ。
1年2組には生徒は数名いたが、まだ朝練をやっている者が多いようだ。時計は8時15分を回ろうとしている。しまったな、少し早めに終わらせなければ。
自分のスケジュール管理の稚拙さに呆れながら、数学の課題に目を落とす。
ありがたいことに、まだ中学知識でも解けるレベルの内容だった。「方程式と不等式」に関する問題を作業的に解きながら、俺は人間関係について考えていた。
主に悪い面の。
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