第18話:八奈出さんと話すチャンスをうかがう俺

【◇現実世界side◇】


 前回現実世界を離れたのは、始業前の朝の学校だった。

 目が覚めると、その時から10分くらい経った時点に戻って来た。


 教室に戻るために雑木林を抜けて、校舎に向かって歩いていると、ちょうど八奈出やなでさんが校門から入って来るのが目に入った。

 俺には気づかずに、すぐ前を歩いている。


 髪の色こそレナの赤髪と違って黒い髪だが、女子にしては背が高くてスタイル抜群のところなんか、レナ・キュールにそっくりだ。


 八奈出さんに伝えたいことがあるから、丁度姿を見かけたのは都合がいい。

 ……なんだけど。


 そう簡単に声をかけたりできないのがコミュ障の悲しい性だ。

 ましてや周りには登校中の生徒が何人か歩いている。


 まあいいか。放課後になったら声をかけよう。


 ──なんて逃避思考をしていたら、すぐ目の前で八奈出さんが突然ふらついた。足元が絡んで倒れそうになっている。


「危ないっ」


 恥ずかしいなどと考えている間はなかった。

 咄嗟に数歩踏み出して、後ろから八奈出さんの背中を支えていた。


「ひゃんっ、時任ときとう君……」


 身体を支えたのが俺だと気づいた八奈出さんは、かぁーっと熟れたトマトのような顔色になった。


「やんっ、カッコいい……前よりもっと魅力的になってる」

「え? 何?」

「あ、なんでもないです!」

「大丈夫?」

「だ、大丈夫です。あ、ありがとうございます……」


 慌てて身体を離して、真っすぐに立つ八奈出さん。

 いつものようにピシっと背筋を伸ばした。


 声は消え入りそうな感じだけど、足元はしっかりとしてるし大丈夫そうだ。貧血だったのかな。


「そっか。よかった」


 思いのほかスムーズに言葉が出た。

 八奈出さんとは、昨日、それなりに会話をして少しは慣れた。

 それでもやはり一日開けて、学年一の美少女とまともに会話ができるかって心配があった。


 でも思った以上にちゃんと会話できそうだ。

 成長したな。やるじゃないか俺。


 ゲーム世界で美少女ヒロインたちと多くやり取りをしたのが、いい意味で慣れにつながっている。


「あの、八奈出さん。ちょっと話したいことがあって……」

「は、はいっ!?」


 声が裏返ってる。

 いつもは冷静な八奈出さんがなぜか焦ってる。


「どうしたの? 体調でも悪い? さっき足元がふらついていたし」

「い、いえっ、大丈夫です。さっきのは、また急に頭の中に何か記憶というか映像というか、そういうものが流れ込んできたせいで、ちょっとふらついたのです」

「またってことは、前に言ってた、中世ヨーロッパ風の景色ってやつ?」

「はいそれです。また細かなことは覚えてないのですが、時任ときとう君が私のために一生懸命に何かをしてくれて、私が時任君のおうちにお邪魔して、それで私、時任君のことを……」

「俺のことを? どうしたの?」

「へ? あ、いえいえ、なんでもありません!」

「なんでもないって言っても、顔真っ赤だよ。やっぱ体調悪いんじゃない?」

「いえ、大丈夫っ! 大丈夫ですから!」


 八奈出さんはわちゃわちゃした感じで、足早に去ってしまった。

 本当に大丈夫だろうか。心配だ。


 それにしても、やっぱり『まぎアマ』の世界で俺がレナと関わったことが、そのまま八奈出さんの記憶につながっているみたいだ。

 これいったいどういう現象なんだ?


 ──あ、しまった。


 肝心の、八奈出さんに伝えたいことが全然話せなかった。

 仕方ない。昼休みにでもまた声をかけるか。


***


 昼休み、八奈出さんに声をかけるチャンスをうかがった。

 彼女は影裏かげうら はるると二人で弁当を食べ終わった後、席についたまま雑談をしている。


 そんな状態の彼女に声をかける勇気なんて、当然ながら俺にはない。

 周りに人がいたら、何ごとかと怪訝に思われてしまう。

 だから俺は自分の席に座って、二人が別々に行動するチャンスを虎視眈々と狙う。


「でさぁ玲奈れな。そのお店のジェラートがめっちゃ美味しいんだって。ほっぺが落ちるらしいよ」

「うふふ、それはいくらなんでも大げさでしょう」

「じゃなくて実際にほっぺが落ちた人がいるらしいよ」


 ──いないだろ。


 だけど影裏さんって明るくて面白くて、そしてめちゃくちゃ可愛い。

 目はパッチリくっきりだし、優しそうな笑顔が彼女の魅力をさらに引き出している。


 地味男子の俺にもちょくちょく気を遣って声をかけてくれるし、じっくり話したことはないけど、きっとすごく性格のいい子なんだろうな。


 そんな超絶いい人の影裏さんには大変申し訳ないのだが……八奈出さんに声をかけたい今の俺にとっては邪魔だ。


 これは放課後まで声をかけるチャンスはなさそうだな。


 なんて思いながら二人を眺めていたら、影裏さんがふとこちらに視線を向けた。

 うわ、目が合ってしまった。慌てて視線を外したが、挙動不審だと思われたかも。


 影裏さんが八奈出さんになにやら耳打ちした。

 やばい。俺が八奈出さんをチラチラと見ていたことがバレた。


 ──あ。八奈出さんが俺に視線を向けて、軽く会釈をしてくれた。

 優しいな八奈出さん。


 横で影裏さんは不思議そうな顔をしている。

 やっぱ不審に思ってるんだろうなぁ。


 俺が八奈出さんに気があるって誤解されたかもしれない。

 そんな誤解をされたら八奈出さんだって迷惑だろうし、気を付けなきゃいけないな。


***


 結局昼休みは声をかけるチャンスはなく終わってしまった。そして放課後。

 八奈出さんが教室を出ようとするのを見計らって、俺も立ち上がって鞄を肩にかけた。


「ねぇ玲奈。一緒に帰ろうよ」

「あ、はい」


 影裏さんはいつもは足早に一人帰っていくことが多い。

 噂では彼女には幼い弟がいて、仕事で忙しい母親に代わって幼稚園まで迎えに行っているそうだ。


 明るくて性格がよくて、さらに家族のために献身的。素晴らしい人だよな。

 だけどなぜか今日は八奈出さんにくっつくようにして、一緒に教室を出て行った。


 教室を出る瞬間、影裏さんはふと振り返って俺を見た。

 なんだか俺を警戒しているように見える。


 やっぱり俺が八奈出さんに何かするんじゃないかって、心配されているのかもしれない。


 今日は八奈出さんと話すのは諦めよう。

 別に急ぐ話じゃない。また明日でも明後日でも、話せるタイミングを見つければいいだけのことだ。


 そう思って一人で帰路についたのだが──



時任ときとう君」


 駅に向かう下校路の途中で、なぜか八奈出さんが一人でいた。

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