04 『穴』
とある休日の昼下がり。
ドメーニカはファウスティから貰った人形で遊んでいた。
「——ルネディ、あなたはおめかしさんだねえ」
女性の人形の髪をとかしながら、ドメーニカは人形に話しかける。
ファウスティがドメーニカにプレゼントした人形は、男女三体ずつの人形だ。
新聞を読んでいたファウスティは顔を上げ、目を細めてその様子を見つめた。
「名前をつけてあげたのか、ドメーニカ」
「うん。私が日曜の子だから、みんなに曜日の名前をつけてあげたの! ほら、マルテディ、ファウスに挨拶しなさい……『コンニチハ!』」
声を裏返し、ファウスティに向けて人形を振るドメーニカ。ファウスティはため息をつく。
「……女の子らしくない名前だな。別の名前にしたらどうだ?」
「いいのよ、別に! ねー、メルコレディ」
ドメーニカは別の人形を持ち上げ、頷き合う。ファウスティは苦笑しながら新聞に視線を戻した。
「外ではその名前、使うなよ。皇帝陛下はフランス語を公用語にしようとしているからな」
「はーい。でも、ジョヴェディはジョヴェディだもんねー。『ねー』」
幸せな昼下がり。午後からは街で買い物をする約束をしている。
(……この子の親になるのも、悪くないかもな)
ファウスティはそんなことを考えながら、コーヒーに口をつけるのだった。
†
「ファウス、足、良くならないね……」
街の中心地へと向かう、閑散とした道を歩く二人。ドメーニカはファウスティの左側を支えるように歩いている。
足元を見つめながら心配そうな顔をするドメーニカを見て、ファウスティは目を細めた。
「まあ、な。これ以上は良くならないのかもな」
「……大丈夫だよ。きっと良くなるよ」
とはいえ、歩くのが少し億劫なくらいで、日常生活を送るのにそれほど支障はない。
ただ——ファウスティは思う。
(……足が良くなれば、また戦線に復帰できるかもな)
それは、ファウスティが心から願うことだった。
皇帝陛下のため、自由と平等のため、戦場に戻りたい。
目の前の少女が、笑顔で過ごせる世界を作るために——。
そんなことを考えている時だった。ドメーニカは強く、ファウスティの腕を握りしめた。
「ん? どうした、ドメーニカ」
「……ファウス、いなくなったりしないよね……?」
何かを感じとったのか、寂しそうな表情でファウスティの顔を覗き込むドメーニカ。
そうだ。もし足が良くなり、よしんば戦場に戻れた場合——ドメーニカはどうなる。
(……この娘を手放した母親のようにはなるまいと、決めていたはずなのにな……)
すっかり押し黙ってしまったファウスティを見て、ドメーニカはポツリと言葉を漏らした。
「……ねえ、ファウス。私、お母さんに捨てられたんだよね?」
「……ドメーニカ……」
ファウスティの足が止まる。
「……本当はね、気づいてたの。あの日、お母さんに捨てられたんだって。私、とても怖くて、寂しくって……」
そこまで言って、ドメーニカは身体をブルっと震わせる。だが、少女は笑顔を浮かべ、続けた。
「でもね、そんな時にファウスが私を見つけてくれたの。私、とっても嬉しかった! だからね、ファウス……」
少女の瞳が、真っ直ぐにファウスティを見つめる。少女は少し頬を赤らめ、口を開いた。
「……お願い。ずっと私と、一緒にいて欲しいの」
交錯する視線。ファウスティは少女の瞳を見つめ返し思う。
——いつかはこの少女も、俺の元を離れる時が来るのだろう。
ずっと一緒にいるなんて、とんだ絵空事だ。
でも。それでも。今だけは——。
「……ああ、ドメーニカ。俺たちはずっと、一緒だ」
この一年、ファウスティのことを健気にも支え続けてくれた少女に、彼ははっきりと言い切った。
足を悪くし戦線から離れ空虚になった心を、この少女は満たしてくれていた。
この少女のために——それがこの一年、ファウスティの生きる基盤となっていたのだ。
なら、できる限り一緒にいてやろう。それはファウスティの、偽りなき本心だった。
ファウスティの返事を聞き、少女はピョンと飛び跳ねた。
「ほんと、ファウス!?」
「ああ」
「世界が滅んでも?」
「はは。ああ、一緒にいてやるよ」
「ふふ。嬉しいなあ。ありがと、ファウス——」
その時だ。
彼らの目の前に、『穴』が現れたのは。
「……え?」
突然の状況に、理解の及ばない二人。
空気がシンとする。何か不思議な空気を肌に感じる。
直後——その『穴』は、もの凄い勢いで辺りを吸い込み始めた。
「ドメーニカ!」
「ファウス!」
ファウスティはドメーニカを強く抱きしめる。
ドメーニカはファウスティに思いっきりしがみつく。
だが、『穴』の吸い込む力はまるで意志を持っているかのように強く——二人の身体は、宙に浮いた。
(……ドメーニカ……君は俺が、絶対に守る……!)
(……ごめんね、ファウス。きっと私が『世界が滅んでも』って言っちゃったから……神様が……怒っ……)
やがて二人の人間を飲み込んだ『穴』は、静かに消えゆくのだった——。
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