冥界研究所
老々堂つるきよ
冥界研究所
全ての宗教ではそれぞれ死への説明がなされている。一方で、どのような信心も科学的根拠も、我々の死への疑問を解決してはくれない。
しかし、2097年9月24日。ついに人類は冥界、つまりあの世を観測することに成功した。科学的妥当性の担保された「あの世」や「彼岸」と呼ばれるものとの通信技術は人類史上最大の発見とも言われ、冥界研究所の名は世界に轟くこととなった。圧倒的な功績、素晴らしい発明。ただ一つ不都合なことがあるとすれば、その観測結果だろう。
誰しもが期待した死後の世界。それは、人類一律地獄行きであった。
同年12月。冥界研究所所長 壺野皿之(つぼのさらゆき)は、政府からの圧力を押し切って、ネット通信により誰でも彼岸を観測できるサブスクリプションサービス『冥tube』を発表した。
それは瞬く間に世界に広がり、大変な社会混乱を巻き起こした。恐怖、絶望、怒り、不信。これまでとは比べ物にならない死への恐怖が世界的な集団ヒステリーを誘発したのだ。同サービスを発表した壺野氏の第一声はこのようなものだった。
「悲願を達成した(笑)」
では、当時の社会混乱の一部を見ていこう。
冥界の発見と観測の初年、科学者や知識人たちは一斉に冥界研究所の論文やその機材の仕組みを調べた。そして、すぐにそれらが適切な理論のもと成り立っている「科学」であると分かった。
結果、科学的に証明されたあの世の存在を疑うものは(少なくとも論文の読める専門家の中には)存在しなくなった。
しかし、なぜ地獄に全ての人類が収まっていると分かったのかだろうか。それは地獄の人口が五〇〇億人を超え、約五五〇億人存在したからだ。これまで生まれてきた全ての人類(ホモサピエンスに限る)はおよそ一四〇億〜五〇〇億人とされている。地獄には紀元前の生まれであろう者から現代人と思われる者まで存在した。
或いは、そもそもなぜ観測した「あの世」が地獄であると判断できたのかを疑問に思う者もいるだろう。この判断には2つの理由がある。
ひとつ、彼の地では五〇〇億を超える人類が例外なく吐き気を催すような地獄の責め苦受けていた。地獄には、アダムとイヴと思われる汚い猿も存在した。
彼らはおそらく三〇万年以上(創世記の記述によれば五〇〇〇年程であるが)もの間、古今東西ありとあらゆる残虐な拷問を受け続けていることになるだろう。地獄では心が壊れるだとか痛みに慣れるだとかいうことはないらしく、毎度、実に新鮮な悲鳴をもって地獄の管理者たちの耳や目を楽しませている。彼らは日々新しい朝が来るように恐怖し、とうてい生命が受けていいような仕打ちを超えた非道や凌辱を受け続け、朝も夜もなく苦しみ続けていた。
他にも数多くの偉人、著名人が発見された。
鬼や悪魔に暴行され痛みのあまり脱糞し、幼児退行したアインシュタインや、釜茹でにされるガンジー、骨になるまで殺し合いをさせられるザッカーバーグとイーロンマスク、串に刺され火炙りにあうウッチャンナンチャンのナンチャン、皮を剥がれる名倉などがネット上で流行した。これだけでも彼の場所が地獄であると断言できる材料となるだろう。むしろ、ここが本当は地獄ではないとしても、我々はこの場所に地獄と名付けざるをえないだろう。
そして、もうひとつ。
笑ってしまうことに、地獄には、『 地 獄 』と筆字で書かれた立て看板があった。
あまりに酷いユーモアにやはりペテンの類かと思った者も多かったが、この看板、文盲の者が見ても、地獄と書いてあると感じることができるということが分かった。それどころか言語を持たない部族、地獄という概念を持たぬ人々、盲目の者などに見せたとしても、彼らの脳内にはっきりと「地獄」という概念が浮かぶということだ。
そういうわけで、死後の世界の惨状は、現世の人間たちに、瞬く間に広がった。
発見から一年が経ち、2099年を迎える頃には、世界中の自殺率が激減した。これは予想の範囲内であったが、一方で殺人行為は増加傾向となっていた。
この原因ははっきりとしていないが、おそらく集団ヒステリーによる私的制裁の横行、治安悪化をもたらす移民と現地自警団の摩擦、急激な人口の増加、他者を殺してでも安全に生きたいという思いの強まりなどが挙げられるだろう。
この頃の人類はあまりに過剰に治安の悪化を恐れていたのだ。また、病院での訴訟が世界的なトレンドとなったのも同年2099年8月のことだ。亡くなった患者について、遺族の反発は恐ろしいものとなった。それはそうで、亡くなった瞬間には、冥チューブにより先ほど死んだばかりの家族親族が正気の範疇を超えた責め苦を受けている光景を見てしまうのだ。
何故、五五〇億人の中から目当ての死者を見つけることが出来るのかというと、冥チューブでは当時最新のAIによる顔識別システムによって、名前や写真から個人を検索する事ができたからだ。さらに言えば、死んだ直後の者は例外なく『 地 獄 』の立て看板の前に送られるという事情もあった。
そういうわけで哀れな医療従事者たちは大いに恨まれ、大いに殺され、ひと足先に人類の最新発見を体感することになった。
大変健全なる読者諸君は、この様な悪趣味な検索システムを使用する者などいるのかと思うかもしれないが、これはかなりの人気コンテンツであった。生前嫌っていた者を見たり、売国奴的政治家を中継したり、或いは単に当人の性的嗜好のためによく活用された。
しかし、地獄の発見が本格的に現行社会に影響を与え出したのは、三年ほど経ってのことである。まず、富裕層、支配層を中心に徹底的な延命治療が行われた。彼らはコールドスリープにより死を避けるという選択をした。
だがこれが余計に各国の支配階級達の恐怖心と猜疑心を加速させた。なぜならこのコールドスリープが維持されるためには、自らの国が良く富んでおり、貨幣価値が暴落せずコールドスリープを維持するための資産が未来永劫続き、祖国が占領されず、政権が変わらぬことが必要だからだ。
当然の話だが、「他国」や「他企業」、「他人種」、「異なる思想」がある限り、永遠に支配階級であることなどできない。少なくとも各国の支配者達はそう考えた。
これにより、富める者がより富むための戦争が始まった。
強い言論統制が敷かれ、あるものは富裕層や持てる者への恨みから、この地獄の存在を歓迎しだした。
これらの社会的なうねりの中、科学者達が最も研究予算を得やすい分野は、どのように死ねば地獄に行かずに済むか、または完璧な人体冷凍保存技術についてであった。
当時は社会混乱のピークであり、世界的な富豪達がスクラムを組んで、実験のために誘拐した貧民層を様々な殺し方で殺害しているという噂が出回った。最もそれは噂でなく、内部告発によって明るみに出たのだが。
また、多額の支援金が紛争地域に送られ、そこでは敵捕虜への様々な殺害実験が行われた。ここで面白いのが、これらの犯罪はほとんどあの世の亡者達によって暴露されたということだ。一方通行ではあるが、冥チューブにより亡者達の恨み言を聞く事ができるからである。
その後も続く様々な議論、死刑の妥当性の再検討や反出産主義の過熱、知的階層が子供を作らなくなり自棄になった底辺階級が多産となったことによる壮絶な革命や米騒動、末期患者達が我流のコールドスリープに望みをかけ次々と冷蔵庫に入り凍死したこと(2100年後期には、肉の卸し業者の倉庫まで老人や末期患者の氷漬け死体でパンパンになったと言われている)などもお話ししたいのだが、その様な事件を吹き飛ばすほどの大発見が翌年6月に発表された。
2101年6月25日。ある死んだ男が地獄の端から端まで、どこにもいないことが分かった。死んで地獄に行かなかった男の名は塩谷拓造。その事実は、息子の塩谷杉男によって発表された。
これを発見した塩谷という男は、一代で世界最大の宗教団体の教祖となった。事実、どれだけ地獄を探しても、彼ら父子が見つけたメソッドを採用した後死んだ信者達は地獄に見当たらなかった。
彼の父は生前、ありとあらゆる宗教の戒律を破ってみることにした。どうせ一律地獄なら怖いものはないと、朝晩キリストの絵画に糞便し、菩薩を燃やして暖をとり、地蔵を壊し、仏像を無意味に叩いた。100万字にも及ぶ、あらゆる神仏を罵倒するための経を書き上げ、それを毎日唱え、隣人を愛さず、姦淫し、神の名を濫りに連呼し、賽銭を盗んだ。
彼が息を引き取る時、息子の塩谷杉男に自身の魂がどうなるか冥チューブで確認させた。
するとどういうわけか、地獄の入り口『 地 獄 』の立て看板のあるところには、どう探しても、どう検索しても父が見つからなかった。
彼は父の生前の行動をそのまま宗教化し、避獄教と名付けた。実際に多くの信徒達が、死後地獄に姿を見せなかった。彼も信心深くこの宗教を守り、朝晩2回あらゆる神仏を貶す経典を唱え、必ず隣人を罵倒し、地蔵をカチ割り、神像を踏みしだき、イスラム教をキリスト教をカトリックをプロテスタントを、ヒンドゥー教を、モルモン教を、ゾロアスター教を神道を仏教をひたすら犯し続けた。
一方で塩谷は避獄教の信者を支持基盤としたCiBをぶっ壊す党(キリスト、イスラム、仏教)を立ち上げた。党のマニュフェストは、地獄行きを避けるために壊す神仏の像や壁画を、国家ぐるみで大量生産し、国民全員に行き渡らせるというものだ。この政党は、またたくまに世界中で与党となり、皮肉な事にこの時、仏像や神像、聖書の生産量は歴史上最高となった。
2150年1月7日。いよいよ塩谷は危篤となり、逝去した。世界中で塩谷の国葬が執り行われた。塩谷の死を悲しむ国民たちの慰めとなったのは、やはり塩谷が地獄に落ちずに済んだことだ。
塩谷は安らかな表情で死を受け入れた。そして、次の瞬間、霊体となって地獄ではないどこかで目を覚ました。
映像で見ていたあの地獄ではない!やった!そして立て看板を見て愕然とした。
『 大 地 獄 』
完
冥界研究所 老々堂つるきよ @lowlowdo_turukiyo
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます