第9話 それぞれの目的

 目の前で魔物が一体黒焦げになって女神の元へ返されたのだ。

 私の顔は、とんでもなく血の気が引いて、足が震えて立てないでいる。


「大丈夫では……なさそうね」


 モーガンが私を心配してくれる。

 ええ、見るからに駄目っぽいです。


「ユルグ、休憩室に連れて行ってあげてよ。ほら、二階の自販機のあるブース……」

「ああ……確かにあそこならば、身動き取れなくっても邪魔にはならないか」


 え、邪魔って言った? ねえ、やっぱり邪魔? 

 まあ、そりゃそうよね。見渡してみても誰も先ほどの騒ぎで腰なんか抜かしていない。みんな、何事もなかったかのように、冷静だ。


「まあ、日常茶飯事だから」


 ユルグの言葉に、私の顔は強張る。

 え、怖い。この世界。

 こんなことが、日常的に起こるの?

 こんなに元の世界に似ているのに、案外異世界なんだと、妙なところに私は感心する。


「ほら、早く運んで! 仕事は山積みなんだから」


 モーガン……ごめんなんさい。


「ちょ……う~ん。まあ、仕方ないか」


 ごく普通の陰キャくたびれリーマンの見た目のユルグだが、中身はドラゴンだ。ユルグは、ひょいっと軽々と私を抱っこする。


「こ、これ……姫抱っこ!」 


 人生初のお姫様抱っこに真っ赤な顔になる私を見て、


「あ? 駄目? じゃあこれ」


 今度は野菜か何かを運ぶように、ユルグが私を肩に担ぐ。


「いや、これ……私の人権は?」

「……うるさい……」


 いっそお姫様抱っこが良かったかも……。

 これ……、辛い。

 

「この方が……顔が見えなくて照れないし……」

「え?」

「なんでもない」


 ユルグ、照れてたの? 姫抱っこ。

 見れば、耳が真っ赤になっている。


 なんだなんだ。このドラゴン、可愛いなぁ。

 まあ、私も照れていたんだけれども。


 ユルグの肩に担がれて、私は二階の休憩室へと運ばれる。

 途中ですれ違った狼獣人の子どもが私を指さして「あれ、ごはん?」と、聞いていたのは、まあ……子どもだし許すとして……。隣にいたお父さんらしき獣人が「うーん。どうだろう。非常食かな?」と、答えていたのは、聞き捨てならない。


「違いますから! 食材ではありませんから!」


 肩に担がれながらも私がすかさず返答すれば、ユルグが「フフッ」と笑い声をこぼす。


「ちょっと、大切なことでしょ?」

「いや、そうだけれど……」


 昨日のお鍋の時には、ほとんど話してくれなかったユルグだけれど、なんだか打ち解けてきてくれた?

 なら嬉しいな。この世界に来て間もないから、親しい人間が増えるのは、私には大歓迎だ。


 三畳くらいの小さな空間に、自動販売機と二人掛けのベンチが並んでいるだけの簡素な休憩室につくと、ユルグは私を案外丁寧にベンチの上に下ろしてくれる。


「ありがとう」

「いや……別に……」


 ユルグは、私を座らせると、自販機の前に立つ。


「何が欲しい?」


 ユルグは奢ってくれる気らしい。

 ええっと……、エナドリは避けたい。あれにはトラウマがあるし、この世界のエナドリって、何かおかしな薬草がとか入ってそうで怖い。粘液スープは論外で。後は……珈琲に、紅茶に、緑茶……なんだ、普通のもあるじゃない。


「温かい紅茶がいい」


 私は無難なところを攻めてみる。

 ユルグがコインを入れて紅茶のボタンを押すと、ガコンと音を立てて缶に入った紅茶が受け取り口に落ちてくる。

 ユルグは、自分の分の珈琲を買って、私の隣に座って、紅茶を渡しでくれる。


「ありがとう」

「いや……別に……」


 二人して黙って飲み物に口を付ける。

 どうせ自動販売機の紅茶だしと、期待していなかったのだけれど、案外美味しい。

 ふんわりと薫るのは、アールグレイの格調高い香り。飲めば、濃いめに淹れた紅茶の渋みが喉をくすぐりながら通り過ぎ、口の中にはふんわりと風味が広がってスッと消える。

 缶を見れば、「無糖」と表示されているのに、ほんのりと甘い味わいがあるのは、質の良い茶葉を使っているからだろうか。


「美味しい……」

「うん。この世界の缶ジュースは、魔法で風味を保っているからね。淹れたてなんだ」


 これは、嬉しい情報だ。よし、積極的に買っていこう。


「さっきの魔物……知り合いだったの?」

「……」

「あ、いや……ひょっとして、ユルグもどこかの世界から転生してきたのかなぁって思って……」

「……」


 あ、これは聞いてはいけない質問だったかも。

 ユルグは黙ってしまった。


「ごめんなさい……ちょっと気になって。答えたくなかったら……」

「……部下だった」

「え?」

「元いた、転生前の世界では、アイツらを統率して、人間と戦っていた」


 眼鏡と前髪で顔が隠れているから、ユルグの表情は見えない。

 珈琲を両手で包むように持って、じっとユルグは床を見つめている。

 魔物を統率して、人間と戦う存在。それって……


「それって……ひょっとして……」

「そう。人間には、『魔王』って呼ばれていた」

「ま……魔王……」

「そう。そして、人間に敗北して、女神の力で転生してここへ来た」


 女神って、魔王も転生させるんだ。

 すごいな。……いや、神だから当たり前? あんなに適当そうだけれど。


「胡桃ちゃんに『悪女になりたい』って目標があるように、俺にも目標があるんだ」

「何? 聞いてもいい?」


 人間に敗北した魔王の目標って何なのだろう。

 

「平和に暮らすこと」


 ユルグが、金の瞳をこちらへ向ける。

 眉をひそめて、泣きそうな顔に見える。……なんだか、少し悲しそうだ。


「散々世界を滅ぼしてきた魔王のくせにって思うだろう?」

「う、ううん。思わない。素敵じゃない。平和、大事。うん」


 私の言葉に、少しだけユルグが微笑みを浮かべてくれる。


「元の世界では、産まれた時から、破壊することが当たり前だったから。でも、来る日も来る日も戦いに明け暮れて、誰も信じられない生活に疲れたんだ。だが、俺にも支配している世界がある。だから、戦わない訳にはいかない」


 私は、頷きながら、静かにユルグの話を聞く。

 魔『王』なんだから、国を守る王なのだ。魔物の国を守るためには、戦わなければいけないってことなのだろう。

 ……やり過ぎたから、争いになったのかもしれないが、その辺の事情までは分からない。


「だから、ついに討伐された時には、これで争わなくっていいんだと……ホッとしたんだ。そしたら、女神が転生の要件を満たしているっていう物だからさ……平和な場所で平和に暮らしたいって、希望を伝えたんだ」


 そうなんだ。

 それは、どんな思いで願ったのだろう。

 産まれてからずっと、戦いしかない世界。誰も信用できない世界って、辛くない?

 私は、ユルグの心を想って涙が自然にあふれてくる。


「よかったねぇぇ。こんな……平和そうな世界に来れて……」


 鼻水をグズグズと言わせながら大泣きする私を見て、ユルグは、目を丸くする。

 ユルグの強張っていた表情が、緩んでくる。


「……たぶん、胡桃ちゃん、『悪女』むいていないって思うよ?」

「へ? 今、それ言う?」


 悪かったな! むいていなくって!



 



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る