第8話 下っ端の魔物

 『悪女になりたい』という願望を書かされて、恥をかきながらも転生登録は終了した。


「はい」

「カード?」


 ユルグに渡されたのは、一枚のカードだった。私の顔と名前、本日の日付と住民番号なんてものが載っている。


「身分証明書。仕事するにしても、何をするにしても必要な物だから、大切にしてよ」


 なるほど……これは大切。

 私は、カードをジャケットの内ポケットに入れる。

 後は、就職先を探して、と、買い物もしたいな。着替えとか、細々とした生活用具は、足りないのだ。

 私は、立ち上がろうとしたその時に、何やら隣のカウンターでもめていることに気づく。


「何でだよ! どうして俺の転生許可が下りないだ」

「だって、それは当然でしょう? 『世界征服』だなんて目標を掲げられたら、許可なんて出来るわけないでしょう!」


 職員の赤い髪の女性と、下半身が山羊の男で、ご丁寧にクルクルと巻いた山羊の角が頭についている男が、大声で言い合っている。

 話の内容からして、この山羊男も転生者で、転生登録をしに来たようだ。


「俺はな、前の世界で散々魔王にこき使われて来たんだ! 今度こそ、あの下っ端魔物人生を脱却して、世界をわがものにしてやるんだ!」


 山羊下っ端魔物が、熱く自分の野望を語っている。

 分かる~。私もずいぶん下っ端として辛酸をなめてきたのだ。下っ端の辛さは痛いほどわかる。だが、世界征服は……ちょっと、迷惑かも。もうちょっと希望は控えめにしておかないと、物騒すぎでしょう。


「無理ですね。下っ端魔物さん。あなたがどれほど最初の村で勇者にぶん殴られる日々であったとしても、殴られて瀕死に追い込まれた上に「ち、これだけしか持っていないのかよ。雑魚が!」と、罵られていたとしても、それは今回の転生には関係ございません。少し落ち着かれて、目標を変えていただかないと、登録は致しかねます」


 赤い髪の女性は、容赦なく下っ端雑魚魔物さんを追い詰める。

 てか、散々な目に遭ってきたのね……。ちょっと可哀想になってくる。

 赤い髪の女性は、魔法使いなのだろうか? 杖を雑魚山羊魔物に向けて、睨んでいる。魔物さんが暴れたら、あの杖で攻撃するつもりなのだろうか。


「おい! そこの弱そうな女!」

「へ、私?」


 突然の指名に、私はあたふたと慌てる。

 魔物さんの顔を見れば、魔物の氷のような瞳と目が合ってしまう。

 途端に何かの魔法を掛けられたのか、頭に強い衝撃が走る。

 

「来い……」


 え、嫌なんだけれども。確実にこれ、人質ルートでしょ?

 なのに、脳に直接響いてくる魔物さんの声に、私は抗えない。

 私の体は、嫌だと思っている意識に反して、フラフラと立ち上がって、クソ雑魚魔物の方へと歩き出す。


「胡桃ちゃん!」


 ユルグが私の腕を掴んで引き留める。ユルグの手を通して流れ込んでくるのは、状態異常を解く回復魔法なのだろうか? じわじわと温かい物がユルグが掴んだところから広がって、私は次第に意識を取り戻す。


「あ、あれ?」

「よかった。戻ったね」


 ユルグが心配そうに私の顔をのぞき込む。

 眼鏡の向こうの金の瞳は、とても優しい。


「なんだ? お前」


 下っ端魔物が、今度はユルグに目を向ける。


「ユルグ! 駄目、見たら操られちゃう!」


 私は、必死でユルグの前に立つ。

 悪女としては、失格の振舞いだが仕方ない。助けてくれた人のピンチに助けに入るのは、当然のことなのだ。


「ユルグ……? あ、お前、まさか!」


 下っ端悪魔が、ユルグの名前に引っ掛かっているようだ。

 あれ、この下っ端ドクズ魔物さん、ユルグと前の世界での知り合いだった?

 ユルグが、「ちっ!」と舌打ちしているところをみれば、どうやらあまり出合いたくない相手だったようだ。


「どうか! お引き取りを!」


 突然、赤い髪の女の杖から、真っ赤な炎が立ち上がる。


 ぎゃああああああ!!


 魔物の断末魔が、フロア中に響き渡る。


「ひいいいい!」


 目の前で火柱になる下っ端の魔物に、私は、綺麗に腰を抜かす。

 その場にへたり込んで、立てなくなる。


「もう一度転生先を女神様とご相談なさって二度と来ないでくださいね」


 笑顔で火柱に、赤い髪の女は頭を下げる。

 だが、無駄だろう。たぶん、その一言は、あの魔物には聞こえていない。

 

 魔物は、一瞬で消し炭になって、今は床で黒く固まって煙を上げている。

 

「全くもう! 女神様がいい加減だから、最近こんなのばっかり来るんだけれど!」


 チリ取りと箒を持ってきた赤い髪の女性は、さっさと綺麗に床を掃いて、魔物さんのいた痕跡を消してしまった。


「あ、申し訳ありませんでした。お騒がせして! 私は、モーガン! 魔法使いをしているの!」


 モーガンは、ニコリと私に微笑みかけてくれるが、私は、「はひぃ」と、気の抜けた返事を返すのが、精一杯だった。

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