第5話 みんなでお鍋
皆でワイワイと話をしていると、ブレスが、カセットコンロを設置して、大きな鍋をその上に置く。
鍋の中には、お魚や豆腐、シイタケや白菜といった、見慣れた野菜がぐらぐら煮えている。
「ほら、みんなお腹空いているでしょ。一緒に食べよう!」
「わ、ありがとうございます!」
「気にしないでいいよ。胡桃ちゃんの家賃に上乗せするから」
私のおごりかい。
皆、わーいって、両手を上げて喜んでいるし。
「ありがとうございます!」
「うわぁ! なんて良い人なの!」
「……あ、ありがと……」
触手のラーラちゃんも、うさ耳のミュルルちゃんも、ドラゴンのユルグも、口々に感謝を述べてくる。
クッ! これは断りにくい!
「ささ、遠慮なく食べて!」
ブレス? 私のオゴリなんだよね?
まあ、料理してくれたのは、ブレスなんだけれども。
遠慮している場合ではない。
私は、皆に負けじと箸を鍋へと伸ばす。
私が掴んだのは、白身の魚。それをポン酢で食べれば、フワッとした柔らかい身が、ほろりと口の中でほどけて、旨味があふれでる。
美味しい。正直に言えば、この魚が何という魚なのかは分からないが、それでも、このお魚は、また食べたいと思うお味だ。
「美味しい!」
「そう? 気に入ってくれてよかった」
自分の料理が褒められて、ブレスは嬉しそうだ。
手に持ったグラスは、白ワインだろうか? お鍋をつつきながら、楽しそうにグラスを傾けている。
「ほら、胡桃ちゃんも飲む?」
「欲しい! 飲みたいです!」
空のグラスにブレスが、淡い色合いのお酒を注いでくれる。
私は、それを受け取って、口に運んでみる。
……美味しい。
すぅっっと素直に喉を通り過ぎる液体は、やはり白ワインだったようで、ブドウの芳香を私の口の中に広げていく。
これが、また……白身の魚と、ベストマッチなんだな。うん。
ワインの甘酸っぱいフルーティな味わいは、白身の魚の淡白な味わいに、彩を与えてくれる。
「うーん。これは……私の粘液で、もう一味足しましょうか?」
え?
鍋の出汁をお玉で器にすくって、それに触手を入れて飲んでいたラーラが、爆弾発言を繰り出してくる。
「ラーラ! それ止めてって前にも言ったのに!」
ラーラとミュルルが揉めているが、これはミュルルの味方をしたい。
せっかく美味しいお鍋が、触手粘液まみれになるのは、ちょっと遠慮したい。
いや、味なんて知らないし、本当は粘液ってとっても美味しいのかもしれないけれども、今日のところは、遠慮したいかな。うん。せっかくこのままで美味しいのだし。
「あの……とりあえずは、来たばかりですし、この世界の食べ物をノーマルで楽しみたいなぁって、思うんです」
「ほら! 胡桃もそう言っているし!」
ベェッて、小さな舌を出すミュルルが可愛い。
大騒ぎしている横でモクモクと黙って食べているのは、ユルグ。
ユルグの眼鏡は、湯気で曇っているが、気にはしていないようだった。
「曇っていますよ。眼鏡」
「え……ああ」
ユルグが、眼鏡を外して、鞄から取り出した眼鏡拭きでレンズを拭く。
眼鏡を外せば、ドラゴンの時と同じ金の瞳が、少し伸びた前髪の間からチラリと見える。
満月のような瞳に、つい魅入ってしまう。
「目……悪いんですか?」
「あ……逆。見え過ぎて、調整が必要だから、眼鏡が必要なんだ」
「見え過ぎる」
「そう。ドラゴンだしね。三キロ先までハッキリ見える」
「三キロ……」
「そう。だから、人間の姿をしている時には、眼鏡をかけておかないと、手元が不便なんだ」
えっとそれは……極度過ぎる老眼的な?
老眼とは、遠くに焦点が合ってしまって、手元に焦点が合わなくなるものと聞く。
ドラゴンの老眼……。うん。忘れよう。せっかくのドラゴンが、世知辛くなってしまうわ。
「そんなだと、仕事大変ですね」
「そうなんだ。書類に目を通すのに、眼鏡がないと書きにくくって」
ふうん。ユルグはオフィスワークなんだろうか。
「あ、そうだ。明日は、忙しいよ。区役所へ行って、その足で職業も探さなきゃならないし、身の回りの物ももう少し買い足さないと不便でしょ」
話を聞いていたブレスが、口を挟む。
「そうですよね。いつまでも無職じゃ困っちゃいます」
「そうですよ。ブレスさん、家賃滞納には厳しいですからね!」
ラーラが忠告してくれる。
「当然だよ。商売なんだから!」
厳しい! エルフの金銭感覚がこんなにシビアだなんて聞いていない! ううっ!
「仕事……皆さんは、どんな仕事を?」
「えっとねぇ、ラーラは、植物園の研究員で、ミュルルは、カフェの店員、僕は不動産屋さんで、ユルグは……役人」
「役人?」
「そう。そうだ! 明日は、区役所まで、ユルグと一緒に行けばいいよ。どうせ出勤でしょ?」
「え……」
ブレスの突然の提案に、ユルグが戸惑っている。
「一緒に行きたいですか?」
「ええ、助かります」
そこに働いている人と一緒に行けるなら、これほど確かなことはないだろう。
とにかく区役所に行って、住民票を作らなければならないのだ。異世界だけれども!
「じゃあ、決まりだね!」
「わっ! 胡桃さん! 度胸ありますね!」
「本当! すごい!」
ラーラとミュルルが手をパチパチ叩いて褒めてくれる。
えっと……私、何か誤った選択をしたんだろうか。
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