第2話 不動産屋さんのエルフさん
私は、女神様から下賜されたスマホが示した不動産屋に向かう。
見れば見るほど、今まで住んでいた街並みに似ているが、ビル街を歩くのは、人外たち。獣人、小人、触手、ドワーフ、ゴブリン、ホビット……。
やっぱり、ここか異世界なのね。
私は、少し感動する。
こうなれば、多少……てか、ほぼそっくり街並みはそのままだけれども、考えてみれば、きっと好都合だ。看板の言語は日本語だし、皆の話している言葉も同じく日本語。そもそも言葉の問題にぶつからないのは、学生の時に英語の点数も振るわなかった私には、有難い話なのだ。
うんうん。そうだよ。腐っていても仕方ない。
希望が通らなかったことなんて、今までだってたくさんあったじゃない。
てか、希望が通ることの方が少ない人生だった。
だったらさ、別に気にすることもないのだ。ここでだって、悪女にはなれるでしょ。そうよ。せっかくの異世界転生なのだもの。前向きに考えなきゃ!
悪女になることが前向きかどうかは、棚に上げておいて、私は、少し前を向く。
そうよ! 不動産屋に踊るキャッチコピーの字が、『駅近』『築浅』『ペット可』という元の世界でも見慣れたモノであったとしても、気にしている場合ではないのだ。
「失礼します!」
私は、元気よく『ハウス・ちるなのぐ』と書かれた店舗の扉を開けた。
「いらっしゃいませ!」
そう言ってニコリと笑ってくれたのは、店員のエルフ様だった。
「はわぁ!」
初めて見るエルフに、ファンタジーファンでテンションが上がらない人間がいるだろうか? いや、いない。
「ど、どうなされました?」
金髪碧眼のスラリと身長の高い、とんがりお耳のエルフ様が、床でもがく私に声を掛けてくれる。
「眩しい! これがエルフ!」
いや、往来を歩いている人外たちにも、私はウキウキしたのよ? 獣人とか、恰好良いし。でも、エルフは別腹じゃない? だって、エルフだもの。
「えっと……通報します?」
「待って! 違うの! 変質者じゃないの! お部屋を探しているの!」
どう考えても変質者にしか見えないだろう私は、慌てて自己弁護する。
「お客様でしたか……じゃあ、そこに座って下さい……」
まだ怪しみながらも、客と分かってエルフさんは応対してくれる。
「お名前をいただけませんか?」
「山下胡桃です!」
「山下様。私は、ご担当させていただくブレスと申します」
「ブレスさん……」
私は、勧められてた席に座りながら、「よろしくお願いいたします」と、頭を下げた。
……と、いかんいかん。いつもの癖で挨拶をしてしまったが、私は『悪女』になるんだった。ここはそんなに下手に出ないで。「ふん!」とか言いながら座るべきだったか。
まあ、今さら仕方ないから、そのまま座るけれども。
いや、決して、尊大な態度をとる勇気がないからではないのよ。
「で、条件は?」
「えっと、転生したてで、何のことかさっぱり……」
私は、数枚の物件の資料を見ながら、戸惑いを吐露する。
だって、分からないんだ。「スライム不可」とか、「身長は、三メートル以上推奨物件」とか言われても。
転生と聞いて、ブレスがじろりと美しい瞳をこちらに向ける。わ、あからさまに態度が変わったんだけれども。にこやかな笑顔どこに消えた。
「んだよ。転生したて……て、ことは、保証人は?」
「ないです」
「住民票は?」
「ないです」
「収入は?」
「……ないです……」
はい、元の世界でも必要でした。お家を借りる時にその辺のものが! てか、異世界にそんなものが必要とか、聞いていないし。住民票とか、転生先でどうやったら取得できるのよ!
「えっとですね。まずは、区役所に行ってもらえませんかね。そこで、住民登録をして、印鑑証明を取って。できれば、その時にお仕事なんてものも斡旋してもらってからじゃないと、大家さんに紹介出来ないんでしょ」
「う……えっと、区役所は、どこで何時まででしょうか……」
「えっと……」
チラリとブレスが壁掛け時計を見て、ため息をつく。
月と太陽が描かれた美しい時計が短い針を下に向けている。
ゆっくりと時計の文字盤が茜色から紫のグラデーションに染まり、深い藍色に変わっていくのは、日没を現わしているのだろう。文字盤には、少しずつ星が浮かび始める。
「しまったな。もう、時間的に無理か……」
ブレスが、考え込む。
これは……引き下がって、ホテルとか探した方がいい? 美形エルフ様のお顔に深い皺が寄っているんだけれども。
「無職だしな……仕方ないか……胡桃さん、シェアハウスは嫌い?」
「あ……いや、嫌いも何も、住んだことないし」
「そう。じゃあいいや。僕の住んでいるシェアハウス。いくつか空き部屋があるんだけれども、落ち着くまでそこに住んじゃう?」
「え、いいんですか? だって、私、大家さんに紹介できないんじゃ……」
「僕が大家なんだよ。そこなら。あ、大丈夫だよ。女性も何人かいるし、部屋に鍵はついているから」
それは、不慣れすぎる私には、有難い話だ。
「家賃は……」
説明してくれた内容は、とっても好条件だった。
この不動産屋さんからも近いし、家賃も、私が昔住んでいたところより安い。
「じゃあ、これで決まりだ。いや、どうしようかなっと思っていたんだよ。前に住んでいた悪魔が、役所に調伏されちゃってね。家財道具残したままかき消されちゃったんだよ」
ブレスのエルフスマイルは、とっても眩しいが、言葉は不穏だった。
え、それって、俗にいう事故物件なのではないの? ねえ、ちょっと。
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