イベルタとラネモネの海水浴
暇だ。
天井を見つめながらそんなことを考える。
先程まではモネと談話室でコーヒーを飲んでいたが、今は喋るネタが尽き、各々ソファーに黙って横になる始末だ。
この有様になってしまったのには理由がある。
第一に、今日はキリアがいない。こればかりは仕方ない。第二に、ベル兄さんとルカ兄さんが二人仲良く瞑想しに行った。二人で瞑想すれば余裕で2、3日は帰ってこない。第三に、ルル兄さんが外出中だ。「外」にはあまり興味がない。第四に、エヴァ兄さんが起きてこない。人が気持ちよく寝ているところを起こすのは野暮だ。
というわけで、今日は一日中モネと適当に過ごすつもりだった。まず、朝から研究室で魔術式の証明をした。午後まで新たな問題に時間を費やすつもりだったが、頭が冴えていたのか、昼を迎える前にあっけなく解けてしまった。そうして休憩のために談話室へ移動したが、別にやることもなく、昼食をとる前に時間を持て余すことになる。
コーヒーを沢山飲んだから眠くもない。
ゆっくりするのも嫌いではない。ただ、
「海行きたいかも。」
無意識に声に出た。
「んー?」
向かいのソファーでうつ伏せになっているモネのくぐもった声。モネも寝てないな。
「海行こう。」
「え、今?」
寝返りをうったモネがこちらを見て言った。
「うん、今。暇だろ、俺ら。」
「まあ、そうだね。」
「よし。」
そうと決まれば準備だ。
寝転がっていたソファーから起き上がる。
誰か手伝いを頼める人がいれば……。
辺りの気配を探る。
あ、この人がいいや。
「『ゼル兄さん。』」
声と思念の両方で呼びかける。程なくして、
ガチャ
軽く扉が開く音と共にゼル兄さんが部屋に入ってきた。
「やっほー、どうしたのー?」
ゼル兄さんにっこにこだ。今日は一段と機嫌が良さそうだ。
まあいいや。
「モネと海行きたいです。」
「オッケー、じゃあ、5分後出発ね。」
即答だ。良かった、すんなり海に行けそうだ。
「兄さん、ありがとうございます。」
「いえいえー。それじゃあ後で。」
「はーい。」
ゼル兄さんはすぐに部屋を後にした。
「というか、僕も行くの?」
「行かないの?」
「えー、行くー。」
それから、ゼル兄さんが用意してくれた水着に着替えるなり、準備をして、屋敷の玄関を出た。
「暑っ。」
「うへー。」
外では、日差しがギラギラと照り付けている。日陰にいるのに暑い。
まあ、今は夏だからそんなものだろう。
「おーい。ちびっ子たち、早く乗りな。」
ゼル兄さんが車を出してくれた。真っ赤な車だ。
「はーい。兄さん。」
ほぼ同時に返事をした後、車に乗り込む。
空調が利いていて涼しい。
車が発進する。
屋敷の門を車がくぐってからも、飛行せずに道路を走り続ける。他の執事が運転する時は基本飛行してたから、少し揺れるのが不思議な感じだ。
あ、ゼル兄さん高い所苦手なんだった。
「兄さん空飛ばないんですか?」
面白半分で聞いてみる。
「無理無理無理。あんなの怖くて飛べないよ。落ちたらどうすんの。」
「フフッ。」
モネが笑う。
「安全第一だよっ。」
兄さんも諦めずに言い張る。
窓の外の流れていく景色を見つめる。
「ルタ兄さん、こっち向いて。」
「んー?」
言われた通りに振り向くと、モネは携帯で動画を撮っていた。愛想よくピースする。
「この前海行った時も撮ってなかった?」
「いいの。ほら、久々の地上ドライブだよ。楽しまないと。」
「そうだな。」
モネ、海に着く前からはしゃいでる。可愛いな。
車で行くと、転移よりも比べ物にならない程時間がかかるが、誰かと話したり、ただ揺られたりすることは割と好きだ。今日暇にしていたのが、こういうのに付き合ってくれるモネでよかった。これがエヴァ兄さんやルル兄さんだったら、問答無用で海辺に転移していただろう。
しばらくすると、緑色に生い茂っていた木々を抜けて一気に視界が開ける。
水面が陽の光を反射してきらきらと輝く。
着いた。
「着いたー。」
車の運転中もずっと元気だった兄さん。
降りると、遠くの水平線まで広がる青くて澄んだ海、白い砂浜。
何度見ても綺麗だ。
「俺は荷物を広げとくから、もう海に入りな。」
「やったー!」
「ありがとうございます。」
2人で海へと歩みを進める。途中から競走になってしまって、ダッシュで海に飛び込む。
気泡に包まれ、やがて海面に浮上する。水が冷たい。
海面から顔を出す。モネもすぐに顔を出した。
「やっぱ冷たいね。」
「ああ、体がびっくりする。」
パシャ
「うわっ。」
モネに海水をかけられた。口の中がしょっぱい。
「ははっ。」
無邪気に笑うモネ。
バシャ
負けじとやり返す。いい感じに顔がびしゃびしゃだ。
「ブッ、ちょ、ルタ兄さん!」
「はっはっはっ。」
ちょっと可笑しくて笑ってしまった。
そこから徐々に魔力を使ったガチの水合戦になって、気づいたら、お互いが作り出した巨大な水のゴーレムと水生魔獣の取っ組み合いをさせていた。
「ちょ、待って。」
フルスピードの攻防。
モネは髪を真っ赤にして、慣れない魔獣操作をする。
「待てなしって言ったじゃん。」
魔獣がひるんだところで、ゴーレムにトドメの一撃を入れさせようとしたその時、
「おい!ちびっ子たちー。そろそろ休憩しなー。」
ゼル兄さんのよく通る声が聞こえた。
「はーい。」
じゃれ合いは一旦中止だ。それに合わせて操作も放棄する。魔力を失ったゴーレムの形が崩れ、支配から解放された魔獣は姿を消す。モネの髪色も元に戻った。
海面を歩いてゼル兄さんの所へ戻る。
「ルタ兄さん容赦無さすぎ。」
「これくらいが面白いだろ。」
「まぁ、そうだけどー。」
戻ると、パラソルやテントが設置されていた。ゼル兄さんがトングを持って、昼食の準備をしてくれている。炭火の匂いがする。
「おー、二人とも!もうすぐ焼けるから、座って待ってろ。飲み物はあそこから好きなやつ取って。」
「ありがとうございます。」
「おー。」
兄さんの適当な返事を聞きながら、クーラーボックスを開けて中を見る。目に入ったコーラの瓶を取って、栓を開ける。
「ルタ兄さんー。アイスティーとって。」
ついでにアイスティーも取って、椅子に座っているモネに渡す。
「お嬢、こちらがアイスティーでございます。」
「ハハッ、ありがとう兄さん。」
テーブルを挟んでモネの向かいに腰を下ろす。
すぐにゼル兄さんが、
「肉が焼けたよ!よそうけど、好きなのが欲しかったらおいで。」
うわ、今座ったんだけど。
「行きます。」
一応返事をする。
「モネ、行け。」
「フッ、了解しました。」
大人しくモネが取りに行った。
見事なカウンターが決まった。
「肉は多めですかー。」
モネがご丁寧に希望を聞いてくれる。
「うん、多めでよろしく。」
ちょっと気分がいい。
軽く休んだ後は、また海で遊んだ。自分たちが作った大波でサーフィンしたり、海底を散歩したり、ゼル兄さんにちょっかいかけたりした。
夕暮れの日が全てをオレンジ色に染める。
沢山遊んで疲れた。結構楽しめたな。そろそろお開きか……。
俺たちはプカプカと浮き輪で沖に浮かんでいた。すぐ横にはサングラスを掛けたモネが、浮き輪に乗って波に揺られている。
『俺たち8人には前世がある。それを覚えているかどうかは関係ない。』
ふと、ずっと気になっていたルル兄さんの言葉を思い出す。
この前ルル兄さんと話をしてから、皆の前世についてよく考えるようになった。今まで、興味のきょの字も無かったのに。
もしかして、モネも……。
むやみに聞くものではないと分かっていながら、好奇心を抑えられなかった。
「モネ……。」
「お?」
「モネはさぁ、覚えてる?」
「何を?」
「記憶。なんていうか、マジで昔の……。生まれる前というか……。」
「ん?」
何のことやら、といった表情。
やっぱり、知ってるわけないか。でも、少し期待していたばっかりに残念だ。
この事は忘れよう。
「いや、何でもない。」
「前世の事?」
驚きのあまり声が出なかった。
「そうっぽい顔。」
モネが無邪気に微笑む。
「本当に、覚えてる?」
「……うん。覚えてる。というか、思い出した。」
「なんで?」
「分からない。ただ、『願って』しまった。」
その一言で一気に信ぴょう性が増す。モネの『願い』は絶対だ。
「教えて欲しい。」
「いいよ。」
モネは前のめりな俺の願いを、快く叶えてくれた。髪は白いままで。
「前世の僕は、外国の軍の幹部だった。僕の『願い』で国の民を守り、助けてきた。僕を大切にしてくれる仲間がいた。苦しいこともあったけど、楽しい人生だった。今も皆は生きていて、僕を覚えていると思う。」
昔を懐かしむモネの表情はあの時のルル兄さんのそれと似ていた。
「でも、もう、それは前世の記憶の話。僕が皆を愛していたことも、あの国で幸せに暮らしたことも、全部昔のこと。今は違う、何もかも。僕には愛すべき人がここにいる。昔には戻れない。僕は、今を大事にしたい。」
「感動的だ。」
「茶化さないで。ルタ兄さんは?」
「ああ、俺は____
「おーい、もう帰るよ。」
ゼル兄さんの呼ぶ声。
「はーい。」
軽く手を振って応える。きりが悪いが、そろそろ行かないと夕食に遅れる。
「帰るか。」
「うん。」
波を操作して乗っている浮き輪を浅瀬に流そうとしたその時、
(その話は帰ってすればいい。)
「えっ。」
すぐにゼル兄さんの方を見る。車に荷物を積んでいて、こちらからは表情が見えない。
今兄さんの声が聞こえたような……。
「どうしたの?」
モネには聞こえてないようだ。
「いや、何でもない。……そうだ。また今度、話の続きをしよう。」
「うん、気になる。絶対忘れないで。」
「ああ。その時は言ってくれ。」
浅瀬に寄せる波を強める。
俺もいつか前世の記憶を全て思い出す時が来るだろうか。そうなった時でも、モネみたいに皆を好きでいたい。
今日はここまで、またいつか。
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