パンケーキ焼いてもらおう
目が覚めた。2度寝しようとしても体から眠気が消え去ったように目が冴えている。
……起きるか。
思いの外すんなりと上体が起きた。かなり寝たからかもしれない。
今何時……。
ふと時計を見て驚いた。いつもの半分の時間しか経っていない。
「イヴ……。」
反射的にキャットタワーにいる愛猫の姿を探すが、2匹ともすやすや眠っている。起こして構ってもらうのは気が引ける。
困った……まだ夕食までかなり時間がある。特にやりたいことも無い。眠くないのに、何一つ暇つぶし案が思い浮かばない。
あ、おやつ食べようかな。ダメもとで皆も誘おう。
そう思ってからは速かった。6方向に連絡を入れ、反応を待つ間にベッドから飛び降りて、寝間着から普段着に着替え、靴を履いて部屋を出る。
……反応がない。流石にこの時間に起きている人はいないか……。
わかりきったことなのに少し寂しい。
時間もあるし、ゆっくり歩いて行こうか___。
『兄さん、どうしたの?』
聞きなれた可愛い声が返ってきた。自然と口角が上がる。
『モネ、兄さんと一緒にパンケーキ食べよう。』
『……いいね、食べたい。』
素直に来てくれる、なんて可愛い子なんだ。
『ありがとう、大好き。』
『はいはい、わかったから、すぐ行くね。』
『うん。』
それから10秒くらいでモネが目の前に現れた。相変わらず行動が速い。でも、すぐ来てくれるのは嬉しい。
「行こう。」
そして、2人で徐ろに歩き出す。適当に進んでも目的地にはたどり着ける。
「というか、珍しいね、兄さんがこの時間に起きてるの。」
「うん、なんか、急に目が覚めて、暇になっちゃったから呼んだ。正直皆寝てると思ってた。」
「僕この時間はわりと起きてるよ。」
「あ、そうなの!」
かなり長い時間を共にしているはずなのに、時々新たな一面を見るのが不思議だ。
そんなとりとめのない話をしながら歩いていれば、目的地であろう部屋の扉が見えてくる。
「あれ?」
てっきり、キッチンか執事の事務所に着くと思ったのに。
「うわ、久々だ。」
そこはキッチンや事務所に比べればこじんまりした、カフェかダイナーのような場所だったはず。
「僕も、5年ぶりかも。」
「エヴァ兄さん、センスあるね。」
「まあね、モネがびっくりすると思って。」
「さっき、『あれ?』って言ってたじゃん。」
「そんなことはいいから、入ろう。」
大きなガラス戸を軽く押して中に入る。
「おぉ。」
そこは、僕の記憶と何ら変わらない、赤と水色が目を引く色鮮やかなダイナーだった。
「いらっしゃいませ。」
声のした方を見ると、従業員の服を着た2人の執事がこっちに向かって頭を下げていた。
「やっほー。」
お?この組み合わせはあまり見かけない。
「ミドとジェイミ兄さんだ。」
「わー、びっくりしたぁ。」
「ね、まさか来るとは。」
2人の執事は顔を上げるなり少々興奮気味に話し出す。
「もうちょっと来るのが遅かったら利きコーヒーやってた。」
ミドの言葉にジェイミが頷く。
「え、まじか。」
そんな暇なの?
「だって、最後にお客様が来たの3年前ですよ、そりゃあ油断するでしょ。」
ミドが僕の心の疑問に答えるかのように言い訳する。
まあ、無理も無い。客の母数が少ない上に我が家は広すぎる。僕も長い間行っていなかったし、モネはそれ以上行っていないらしい。他のみんなはどうなのだろう……。
「デヴァンス兄さん、座って下さい。良ければ、カウンターで。」
いつの間にかカウンターの中にいるジェイミが、無邪気な声で席を勧める。モネもジェイミの向かいのカウンター席に座っている。
「ミド兄さんは仕事しますよ。」
「そうだそうだ。」
「へーい。」
ミドが弟たちに茶々を入れられて、小走りでカウンターに向かっている。可愛い。
僕も後を追ってモネの隣に座る。
「何飲みますか?」
そう、僕たちに聞いたミドは子犬の笑顔だ。やはり、久々の来客で張り切っている。
「僕コーヒー飲む。」
「僕も。」
「おけーい。」
ミドはそう返すなり、すぐに準備に取り掛かった。
「何か食べますか?」
今度はジェイミが聞いてきた。
そうだ、パンケーキ食べたかったんだ。
「僕パンケーキ食べたいな。モネは?」
「勿論僕も食べる。」
「パンケーキ2つ……はーい、ちょっと待っててくださいね。」
ジェイミはにこやかな笑顔で応じて、冷蔵庫へ向かって行った。
ミドはコーヒー豆を子慣れた手つきでブレンドしている。
僕が肘をつく真っ赤なカウンターはてらてらと光を反射している。埃や傷のひとつもない。広い空間にジェイミがパンケーキの生地をかき混ぜる音が響く。
「エヴァ兄さん。」
「おん?」
「新しい作品はできた?」
「もうちょっとかなぁ。また僕のアトリエにおいで。」
「うん。」
気のない返事、この様子だとモネも2人の料理の様子を眺めているのだろう。お互い上の空の会話だ。何せ仕事に無駄な動きがないというか、見ていて楽しい。
こうして、不毛な会話はすぐに中止され、僕たちは料理が出来上がる景色に見入っていた。甘い、食欲をそそる香りが立ち込める。途中でコーヒーが出来上がって、ミドがジェイミに助太刀してからは速かった。焼きあがったパンケーキにミドが疾風のごとく盛り付けをしていく。その様子をちびちび熱々のコーヒーを飲みながら観察する。そうやって、コーヒーが冷めないうちにパンケーキも完成した。
「お待たせしました。」
ことん、と目の前にパンケーキの乗ったプレートとシロップの容器が置かれる。
「ありがとう。」
「兄さんたちのために気合い入れて作りました。」
そう言うジェイミは微笑んでいるが、ミドは料理の際の緊張感のある顔のままだ。
大事なのは味らしい。
出来立ての熱気がふんわりと僕の顔をなでる。至ってシンプルであるが、茶色い焼き目も、まん丸なフォルムも、どこをとっても申し分ない綺麗な見た目だ。
「うわあー、感動だわ。」
「ね、マジで可愛い。」
モネは、いちごやブルーベリーやらの果物で豪華に彩られたパンケーキの写真を色々な角度から撮っていた。後でネットにあげるのだろう。相変わらず、そういうことには余念が無い。
「じゃあ、いただきます。」
シロップを満遍なくパンケーキにかけて、大きめの一口サイズに切る。切っている感触からも、ふわふわが伝わってくる。切ったら、パンケーキを口の中に閉じ込める。
美味しい。
言うまでもなく、ふわふわで程よく口の中でとろける。馴染みある甘い香りも良い。シロップとの甘さの兼ね合いも上手くいっている。僕が求めていた以上の味だ。
「美味しい。」
モネに先に言われた。
「うん。美味しい。これだ。」
「よし。」
ミドは先程まで緊張の面持ちを浮かべていたが、僕らの感想で喜んでくれたようだ。
「んふふ。」
ジェイミも増して嬉しそうだ。
僕たちはしばらく無言でパンケーキを食べた。お互いにお喋りで邪魔したくなかったのだろう。執事たちは片付けをしながら何やら小声で話していたが、僕たちの様子を察して、話しかけて来なかった。
パンケーキはあっという間になくなった。美味しいものが食べられた幸せと、また食べたいという気持ちが素直に湧き上がってくる。
「ご馳走様でした。」
「ご馳走様でした。」
食器を下げてもらい、温かいコーヒーをいれ直してもらう。
「エヴァ兄さん、ちょっと聞いてよ。」
待ってました、モネ。
「お、何だ?」
それからは第2部のフリートークだ。コーヒー片手に、最近の解けそうで解けないめんどくさい魔術証明式のエレガントな解き方や執事だけのビンゴ大会での話、瞑想あるあるの話が特に盛り上がった。
「え、ルカもいたの?」
「そう!で、ルカ兄さんが、『僕迷ってないよ。』って__
ぐおん。
ガラス戸の開く気配がした。
「お話しのところ失礼いたします。」
入ってきた執事が深々と礼をする。
シグレだ。
シグレはおずおずと話を続ける。
「晩御飯の時間だよ。今日は二人とも別で食べるの?」
嘘、もうそんな時間か。
窓の外は真っ暗だ。
何杯もコーヒーのおかわりをもらっている間に日が暮れてしまったようだ。ミドは口をぽかんと開けて、やっちまったと言わんばかりの顔をしている。
「いや、すぐ行く。」
もう少し話していたいけれど、メアに会える今日唯一のチャンスを無下にするわけにはいかない。それに、ここでの出来事を皆にも話したい。
モネに目配せする。
「あっという間だったね。」
特に異論はないようだ。
「うん、今度は皆も一緒に来ないと。」
「また来て下さいね。」
「ジェイミィ、心配しなくてもまた来るよ。」
「明日も来てください。」
「ごめん、明日は無理。」
食い気味のミドには申し訳ないが、明日は絶対に空けられない。
「モネは暇でしょ。」
「うわ、テキトーなこと言わないで。」
「おーい。」
シグレは待ちかねている様子だ。
「ごめん、ごめん。」
危ない、盛り上がってしまうところだった。
「もう行くね、バイバイ。」
「バイバーイ。」
ミドとジェイミに別れを告げ、椅子から降りて、ガラス戸の近くにいるシグレの方に向かう。シグレは既にガラス戸を開けて、真っ黒の『枠』を設定していた。
そうして僕たちは二人の執事に見送られながら、『枠』の中へ入っていく。
今日はここまで。またいつか。
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