融和

 ハクは正直なところ、かなり困惑していた。いつまでも続く廊下をあてもなく歩き続けていた。歩きながら、つい先程、主人にもらった鍵を改めて見つめる。くすんだ銀色で、持ち手部分には「B」の一文字だけが刻まれている。

 まさにこの鍵が彼を困惑させている原因だ。

 宗主に呼び出されたかと思えば、

「これ、ハクのものだったから返すよ。」

 と渡されたものであったからだ。

 そう言われても、ハクが今の当主に奪われたものはメロウしかない。メロウが返ってくるとは到底思えないし、この鍵が自身の物であるという心当たりもなかった。

 そういうわけで、当主の狙いが分からず歩きながら考え続け、今に至る。

(宗主は俺に何を求めているんだ…。)

「兄さん。」

「うわっ、びっくりしたぁ。」

 ハクの目の前にはルルの姿があった。ルビーのように赤く、きらきらと輝く瞳がハクを見つめる。いつもなら気配を察知できたが、注意散漫になっていた。ルルはちょっと驚いたハクの顔を見て、少し満足げに口元を綻ばせた。

「急に驚かすなよ。」

「兄さんが隙だらけなのがいけないんですよ。」

「はぁ、まったく……。」

 そうは言うものの、ハクの口元も綻んでいた。彼はこうやって久しぶりにルルから話しかけられたことが少し嬉しかった。

「さっきから兄さんは何を集中して見てたんですか?」

「ああ、この鍵?」

「鍵?」

「多分俺のなんだけど、何の鍵か忘れた。」

 ハクはその鍵が宗主にもらった物だとは言えなかった。

「え、何で忘れたんですか?普通忘れないでしょ。」

 ここでは具現化した鍵の必要性があまりない以上、鍵の存在は希少である。ルルはハクがそんな数少ない鍵の使用場所を忘れることを不思議に思った。

「うるさい、忘れることもあるだろ。」

「ふーん…。」

 ハクに適当にいなされ、ルルは不満そうである。

「じゃあ、明日その鍵の使い道を探しましょうよ。僕も気になります。」

「え、いいけど、この後何かあんの?」

「僕今から瞑想しに行くとこなんですよ。」

 ルルは平然と答える。

「あっそう、じゃあお前から先に寄っていきな。送るよ。」

「はーい。」

 ルルもハクが先程まで歩いていた方向に向かって歩き出す。

「お前ここ最近しょっちゅう瞑想してない?」

「そうですね、わりと。」

「わりと、って、そんな魔術極めてどうすんの。」

「僕はもっと強くならないといけません。」

「えぇ…。」

 ハクは彼らが強さにこだわる理由をまだ理解できずにいた。

「兄さんも、もう少し強くならないと。」

「はいはい、俺はこれでいいんだよ。」

 それから、違和感はすぐにやって来た。いつもなら軽く雑談をしている間に目的の部屋に着くのに、歩いても歩いてもたどり着けない。

「なんか今日、遠くないですか?」

 共通の違和感から数分経ったころにルルが諦めたように言った。ルルの思念を以てしても現状の打開ができないということだ。

「うん、シグレを呼ぼ……

 …………あ。」

 ハクが突然立ち止まる。赤茶色の扉の前であった。屋敷で過ごしていればたまに見かける、いつも鍵のかかった扉だ。別にそれ自体何も珍しい事ではない。

「どうしたんですか?」

「俺の方が近かったわ。」

 ハクは立ち止まったまま、目線を動かすことなく応じた。


 その扉の前を通った瞬間、ハクは扉の方向から強烈に引き寄せられるような感覚を覚えた。

(懐かしい。)

 胸がぎゅぅっと締まる。上手く息が吸えない。遠い昔に無くしてしまった大事なものがそこにあるような気がした。

 行かなければならない。そんな気持ちに駆られた。


 ハクは数秒立ち止まったかと思えば扉の前に向かい、迷いなく手に持っていた鍵を鍵穴に差し込む。

「ちょ、ハク兄さん。」

 ガチャ

 ハクは鍵が開くや否や、突き破る勢いで扉を開けた。

 ハクはルルのことを忘れてしまったかのように、半ば無視して開かれた扉の向こうへ姿を消した。ルルも直ぐにハクの後を追った。ルルの胸にあったのは純粋な好奇心と少しばかりのハクへの心配、そして微かな懐かしさであった。


 見えない程高い天井、等間隔に並べられた本棚、所々に置いてある机と椅子、ここの屋敷の図書館と似たような雰囲気の空間だ。所々本棚が本ごと大きくえぐれている箇所がなければの話ではあるが。

 ハクはかつて自分の物であった空間には目もくれず、『気配』のする方へ一直線に駆ける。

 しばらく進んでいると、1台の学習机にたどり着く。ハクは机の下側の引き出しを壊れんばかりに引き、その中に現れた空間へ頭から飛び込んだ。

 ハクは探し物に必死になっていながらも、そういえば自分が創造の限りを尽くして、直感的にならざるを得ないこの場所が苦手だったことをうっすら思い出した。


 さふ。

 

 ハクは青々とした芝生に足から着地した。

(そうだ、ここは俺のための場所だったんだ。)

 受け身をとるため準備していたところに強烈な肩すかしを食らったが、元々そういう場所であったとさらに思い出す。

 ペンキで塗りたくったかのように単調な青い空が広がる。子供が描いたイラストのような簡単な見た目の雲が浮かび、10m程の高さしかない丘がまばらに存在する。その丘の上には、屋根の色には違いがあるものの、それ以外は全く見た目が変わらない家のようなものが生えている。

 ハクはそれぞれの家の扉を開けた先に何が存在するのかを鮮明に覚えていた。

 ただ、今のハクにはどうでもよいことであった。

 あどけない風景をよそにハクは駆ける。

 そうして、数え切れない程の丘を越えた先に、ただ一つ平地に生えている家に到達した。

 ハクが家の扉に手をかけたその時、それまで逃げるような『気配』の動きが止まったことに気づく。

 ハクは一瞬疑問に思ったが、扉の先にある光景を見た途端、先程の思考は一気に吹き飛んだ。


 目の前にはかつての故郷が広がっている。


「……だから嫌いなんだよ。」

 言葉が吐き捨てられる。

 それでもハクは止まらない。


「ハク兄さーん!」

 ルルの衝撃波を伴う大声が響き渡る。数秒間のこだまが聞こえたのち、またあたりが静寂に包まれる。一人分の足音が静かに響く。


 ルルはハクを追いかけて、最初の本棚の空間に入った。その途端、絶対に見たことのない光景であるはずなのに、デジャヴのような懐かしさに似たものを感じた。まるで、かつてここに入り浸っていたかのように。

 そんなことよりも、ハクが速すぎて追いつけないということにルルは混乱していた。当初数メートルほどしか空いていなかったのに、10秒足らずの間に直線の道で置いて行かれてしまった。今まで、ルルはフィジカルが必要とされる場面では、ハクには負けたことが無かった。さらに、再構成されてないハクとは魔力量が根底から違うから、このようなことは有り得ないはずだった。

 その上、この空間では魔術が使えない。置いて行かれそうになった際、ルルはハクに向けて魔術で進路の妨害を図ろうとしたが、何故か発動しなかった。

 ルルはハクの姿を見失ってしまった以上、仕方なく彼の魔力の跡を頼りに探索を続けていた。

 そして先ほどの場面に戻る。

 

 いくら待ってもハクの返事はない。

(こんなところに兄さんは何のために?)

 これほどにも魔術法則が通用しないことは、ルルにとって初めてであり、奇怪な出来事であった。

 しばらくハクの『足跡』を頼りに走り続けて数分後、ルルも例の机にたどり着く。

 机の引き出しが限界まで大きく開けられていて、中から、からっと乾いた空気が入ってくる。引き出しを扉にして、別の空間と繋がっているのが分かる。

(とりあえず追うしかない。)

 ルルも慎重に引き出しの中へ入った。



 ハクはやっとの思いで故郷の空間から抜け出した。知っている音と知らない香りがハクを迎える。

 一面に広がる砂浜海岸。日が水平線にほとんど沈みかかっていて、空と海面はオレンジがかった紫色に染まっている。

 砂浜には見たことのない小さな深紅の花が満開に咲き、地面を覆いつくしている。

 打ち寄せる波が紅の花弁をさらう。

 ハクが見据えた目線の先に『気配』の主がいた。どうやら人の形をしている。それは、ただじっと海を見つめているようだ。

 ハクはそれの元へ歩みを進める。そのころには何となくだった探し物が明確なものになっていた。

 胸が燃えるように熱い。

「おい。」

 ハクの咆哮に近い叫び声が海に吸い込まれる。それは叫び声に反応し、ゆっくりとこちらへ振り向く。

 ハクは彼の顔を認識した途端、足を止めた。

「俺?」

 彼は、ハクと同じ顔をしていた。彼はハクを嬉しそうに見つめている。

「久しぶり、会いたかった。」

 ハクが気づいたころには、向こうから距離を詰められ、なぜか抱きしめられていた。

「ちょ、待って。」

 我に返ったハクは彼を押し返した。彼は、驚くのも無理はないといった表情で、特に気にしていない様子だ。

 ハクは今対峙している彼が、かつて奪われた自分の能力だと何となく分かってはいた。だから必死に追いかけた。しかし、思考とは別に心は混乱していて、彼にかけるべき言葉が見つからない。

 ハクは彼のことを見つめることしかできなかった。

 彼はそんなハクの様子を察して、口を開く。

「そう、君が思ってる通り、僕はかつて君の一部だった。」

「君が戦いに破れたあの後、君から引き剝がされた能力が僕として確立された。今も屋敷の空間構成用途で宗主にこき使われてる。」

「もう会えないかと思ってた。」

 彼は嬉しそうに笑みを浮かべる。

「何で今?」

「さあ、あいつが何考えてるかなんてわかんない。」

 僅かな沈黙の後、先程の話題はお構いなしに、彼は明るく話し続ける。

「うわあー、すごい寂しかった。」

「ああ、俺も……。」

 ハクが適当に返事を返す。

「やっぱり!」

 彼がハクにグイグイと迫る。同じ身長のはずなのに、彼の圧倒的な勢いにハクが押されている。ハクは苦笑いするしかない。

「すこぶる元気というわけではなさそうだけど、とにかく無事でいてくれて嬉しいよ。」

「わかったから、落ち着いてくれ。」

 元気いっぱいの彼をなだめることに、ハクはしばらく時間を費やすこととなる。


 ザクッ

 

 ルルも青々とした芝生の上に降り立ち、ハクの跡を追って駆け出す。

 (うわ、なんだここ。)

 走りながら、周りのちぐはぐな風景を眺める。どこか閉鎖的な気味悪さを感じた。空はからっと晴れていて、芝生が萌えているのに、湿った粘土の匂いがする。

(早くハク兄さん見つけて戻ろう。)

 ルルが一層足を速めたその時、


 ジリリリリ


 進行方向とは逆の、ついさっき自分が通り過ぎた地点から音がした。

「は?」

 振り向き、飛び退くように距離をとる。跳ねるように鼓動が速くなる。

 どれだけ注意深く見ても、電話ボックスであることは変わらない。まだ辛抱強く鳴り続けている。

(こんな所で道草食ってる場合じゃない。)

 そう思ってルルは再びハクの後を追おうとした。しかし、振り向くと先程まで存在していたハクの『足跡』が消えていた。

 ルルは一瞬途方に暮れた後、電話に出ることに計画を急遽変更した。

 うるさい電話ボックスに走り寄って、扉を開け放ち中に入る。

 受話器を取って、耳を澄ます。

 数秒の沈黙、自分の呼吸音が聞こえる。その後、声が聞こえた。

「少しの間でいい。戻ってきてくれ。」

 この声は。

 声の主を認識する前に、ルルの目の前は真っ暗になった。



 

「それで、こっからどうする?」

 しばらくして落ち着いた彼がハクに尋ねた。

「どうするって、何を?」

「何をって、今の状況だよ。」

「え?」

「は?」

 少し拍子抜けした彼は、仕切り直すように続ける。

「この状況を打開しなきゃ。僕たち、魔族に故郷と仲間と自由も奪われたんだよ。忘れたの?」

「忘れてはないけど……。」

 ハクの曖昧な返事を聞いた彼はため息をつき、眉をひそめてハクを見つめた。

「思っていたより深刻だ。君はただ僕の気配に釣られてここまで辿り着いただけなんだね。」

 ハクは彼の放つ言葉の真意が読み取れず、困惑していた。

 彼の声のトーンが少しだけ下がる。

「もう適応しちゃったんだね。……どう?最近楽しい?」

「うん、まあまあ。」

「この生活が?」

「もう慣れたから大丈夫。」

「毎日身をもって感じる、底知れない恐怖に慣れたの?」

「別に悪いところじゃない。」

「……違う。」

 その一言から彼の怒りが見えた。

「君も宗主の洗脳下に置かれて感覚が鈍ってる。けどここは地獄だ。君が目の当たりにしたことは悲劇に他ならない。」

「地獄……。」

「この異常な状況に慣れるな。」

「おい。」

 彼はハクに反論の隙も与えない。

「君も分かっているだろう、執事は君とオリジナルの3人以外ほとんど作り物。貴人も保護区に適応できるように作り変えられている。皆あいつの操り人形。メロウだって___。」

「分かってるよ!……分かってる。」

 彼のまくしたてる言葉をハクが遮る。

「毎日が絶望と屈辱の連続だった。一度は抗ったけど、圧倒的な力の前に俺は何もできなかった。そのせいでルークも……。」

「もう、どうすればいいのか……。」

 絞り出すようなハクの声。

 訪れる静寂。辺りが波の音に包まれる。

 すると、彼が俯いていたハクを抱きしめた。

「ごめん、僕が言い過ぎた。僕より君の方が辛いはずなのに。」

 打ち寄せる波の音が一層大きく響く。

 しばしの沈黙の後、彼がハクの肩を掴んで、口を開く。

「僕たち、融和しよう。」

「ゆうわ?」

「うん、君が僕を取り込んでまた1つになる。そうすれば、またあの頃のように能力が使えて、魔力も向上するだろう。ここにいる以上、何か君を守る武器を持っていたほうがいい。」

「でも。」

「いろいろ不安に思う気持ちは分かる。この再会だってきっとあいつの読み通りだと思う。」

 彼は子供をあやすような様子で話し続ける。

「大丈夫、僕がついてる。絶対的な力には及ばないが、僕が君を支える。だから少しでも希望を持つんだ。まだ壊れてはダメだ。」

「この世に永遠なんてない。いつか世界はひっくり返る。その時まで耐えるんだ。僕たちの愛する仲間と一緒に生きてここを出よう。」

「ね?」

 彼はハクをじっと見つめる。

 ハクは黙って小さく頷いた。それを見て彼は満足そうに微笑んだ。

 そうだ、と急に明るい声色で彼が言った。

「これだけは言っておかないと。」


「僕の名前は______

 

 ザアアア

 

 その瞬間、強い風が巻き起こり、轟音と共に花吹雪が舞い上がる。

「えっ?」

 周囲が真っ赤に染まり、何も見えなくなる。


「兄さん!兄さん!」

 気を失っていたハクは必死に自分を呼ぶルルの声が聞こえて、目を覚ました。ルルに起こして貰った後、すぐに辺りを見回す。 

 さっきと同じ海辺で、もう彼の姿はなかった。

「よかった。どこか痛むところは?」

「大丈夫……。」

 ハクは今のところ体に大きな違和感は感じられなかった。

「おかえりなさい。ハク兄さん。」

「えっ?」

 よくわからないことを言うルルの方を向く。

 それは、雪のように白い髪のルルではなかった。ブロンドの髪が潮風に揺れている。

 ハクの目の前には微笑むメロウの姿があった。水面のように青く、きらきらと輝く瞳がハクを見つめる。

「メロウ!」

 ハクはメロウに飛びついた。メロウもハクよりひとまわり大きな体で受け止めた。

「どうして。」

「兄さんの魔力の影響で、少しの間だけ取り返せているのだと思います。」

「ああ。」

 ハクはメロウに残された時間が僅かであることを悟った。分かっていたはずなのに、嬉しい気持ちが暗く塗りつぶされる。

「兄さんの能力が戻って良かった。」

「おう。」

「兄さんたちだけでも、どうか無事で。」

 ルルの言葉に一瞬目を見開いたが、すぐに微笑んで彼は言った。

「大丈夫、最後まで諦めない。だから一緒に帰ろう。」

 

 

 今日はここまで、またいつか。

 

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