楽園の夢
蓬田 くふ
再会
「隊長、お疲れ様です。」
「ああ、お疲れ様。」
部下とすれ違って、軽く挨拶を交わす。
何歩か歩いて、辺りの気配を探る。
ここは、かつて別国の村があった場所だ。今では荒れ果て、もはや遺跡のような状態になってしまった。
濃い霧が立ち込めている。酷く静かだ。
(半径25km以内に敵勢力の反応なし。)
久々の国境警備。皆それぞれの配置について、帝国側に動きが無いか交代で目を光らせている。とは言っても、俺の仕事は周囲の魔力の気配を観測するだけ。この周辺で最後に攻撃を受けたのは355年前らしい。多分今日も何も無いだろう。
この仕事は正直退屈になるから嫌だ。皆と訓練でもしてた方が楽しい。ここ数百年何かと理由をつけて避けてきたが、メンバーの仕事の調整上、仕方なく短期で担当することになった。
交代まであとどのくらいだ?
(6時間……。)
時間を確認して愕然とする。もう一通り見回りをしたはずなのに、まだ1時間半しか経っていない。
「はあ。」
周囲の観測は怠らないようにして、腰を下ろす。
本当はふけってバスケでもしたいが、部下は皆真面目だから、誰もこの誘いには乗ってくれない。後でバレるとシグレに俺だけ絞られる。
それに、有事の際は俺が皆を守らなければいけない。
一面灰色の景色を眺める。何かが起きそうな様子は特にない。
何もやることが無いと考え事をしてしまうから嫌だ。
ふつふつと浮き上がってくるのは、未練か、いや、後悔だ。
『助けて、サム!』
頭にこびりついて離れない、ラーリヒトの声。
あの時俺はどうすれば良かったのだろうか。もっと早く気づけていれば、もっと俺が強ければ。ラーリヒトは今でもここにいたのだろうか。あの子がいないという事実を実感する度、どうしようもなく苦しくなる。
(ああ、ダメだ。)
もうこの事は考えないと何度も心に決めたはずなのに。
『兄さん、お揃いにしよ。』
ふっ、とあの子のはじける笑顔が頭に浮かぶ。
(会いたい……。)
生きてるかどうかもわからないのに。生きているなら一体どこにいるのか。
そんな終わりの来ない沼のような思考に嵌ろうとしていた。
その時、誰かが近づいてくるのを感じた。
あまり大きな影じゃない。この足の運び方は……。
後ろを振り向くと、かなり遠くからこちらに向かって走る隊員の姿が見えた。
あー、副隊長だ。もうそんな時間か。
「お疲れ様です。隊長、そろそろ休憩されてはいかがでしょう。」
「わざわざありがとう。俺は大丈夫だから、皆で休憩しな。」
正直休憩するほど動いてないし、俺一人稼働していれば十分だ。
「いえ、そういうわけには……。」
「大丈夫だって、俺の強さを疑ってんの?」
「そういうことじゃないです。」
「よし、じゃあ行け。」
「ありがとうございます……。失礼いたします。」
分かりやすく雑に困らせて追い払った。まあ、俺の命令ってことで適当に休憩してくれるだろう。
その後、通信ですぐに隊員たちが最低限の人員を残して拠点に招集された。緩やかな気配から察するに休憩時間だろう。
副隊長は真面目で仕事ができる。おまけに俺の指示をよく聞く。彼女はまだ若く、入隊して100年も経っていない。その瞳には自分の国を守りたいという純粋な勇気が宿っている。昔の俺みたいだ。
きっと、彼女はラーリヒトのことを名前ぐらいしか知らない。
他は、何も、何も、知らない。
それくらい、むかし、むかし、の事になってしまった。
でも、そんなことを考えても仕方ない。
気分転換にそこら辺でも歩くか。
「うし。」
立ち上がったその時、
ナアー。
全身が一気に粟立つ。聞こえたのはただの猫の鳴き声。視界に映るのはただの黒猫。だが、警戒すべきは俺の探知をかいくぐってそこに突然現れたことだ。
即座に構える。
「誰だ。」
黒猫と睨み合う。もちろん魔力全開。ここまでしても微動だにしない。ということは、魔人か強化人間は確定だ。
(まず救援を……。)
メンバーに思念を送るが、誰にも繋がらない。
まずい。先に結界を張られた。退避もできない以上、相手の出方を窺うしかない。
ミイ。
鳴き声と共に黒猫が煙に包まれる。
変身だ。他の魔術は発動していない。
煙の中の黒い影が次第に大きく、人型に変わる。俺より一回り小さい。
煙が消え、その姿があらわになる。軍服を着て、ブロンドの髪と顔には猫の仮面。
将校か。それもかなりの実力者。威圧はないが、魔力を隠すことができる相当の技術がある。十中八九戦闘になる。
「何が目的だ。」
「……。」
(シカトか。)
目が離せないほど緊迫した状況で、他人事のようにひとつの疑いがしつこく渦巻く。
目の前にいる奴は顔も見えてない、声も、性格もおまけに魔力も知らない、他人。
なのに、俺はお前を知っている気がする。猫、見知った体躯。どうしてもあの子に結び付く。
もしかして……。
なけなしの希望とも言えるような疑い。
(ダメだ、余計なことを考えるな。)
微かに、仮面の奥から聞こえてくる声。
「……ごめんね、サム。」
その声で確信した。
「ラーリ_」
名前を呼ぼうとしたその時、もう避けられないほど近くにラーリヒトの拳が迫っていた。
「ゔっ」
ガードした腕に今まで受けたことの無い衝撃が響く。赤華が散る。
ここは押し返す。
腕に力を込める。
みしっ
ヤバい、押される。
身体が宙に浮き、軽く吹っ飛ばされる。間髪を入れず、追撃が飛んでくる。
速い。避けられない。
そのまま2発をギリギリ弾く。その反動で一旦距離をとる。
遅れて腕に痛みを覚える。
おかしい。
昔は痛くも、痒くもなかったリヒトの打撃がいつになく重い。無防備に受けていたら、腕が1本飛んでいただろう。擬態に強化が付与されている。
分からない事が多すぎる。なぜ……。
違う。リヒトと話をするのは後だ。まずはリヒトを止めなければ。
こちらが本気を出さないと殺される。
ふー。
呼吸を整える。身体強化に集中する。感覚を研ぎ澄ます。
視界は霧と土埃で非常に悪い。リヒトの気配がゆっくり近づいてくる。
蠟燭の火のように姿が消える。
来た。
もはや瞬間移動のような背後からの蹴りをいなし、僅かな隙を見て反撃する。
だが、必死の反撃も軽く躱される。
また防御に回る。
リヒトが速すぎて視覚で捉え切きれない。
もう感覚で攻撃を捌くしかない。いなした衝撃波が赤華となって辺りに散る。とにかく隙が無い連撃。こちらも全力でいなすが、かすっただけでもかなり体に響いてくる。
正直しんどい。いつまで持ちこたえられるか。
いや、ちょっと待て。ここは1発……。
絶え間ない攻防の中、顔の右側に魔力を結集させる。迫り来る拳を直前で避けず、敢えて顔面で迎える。
ガキィン
リヒトの打撃が弾かれる。一瞬の怯み。
今度は絶対に当てる。避けさせない。
高速で拳を打ち込む。
ごめんよ、リヒト。
リヒトがガードするよりも早く左手が仮面に到達する。
仮面に衝撃が伝わり、粉々に割れる。残念ながら本体にダメージはない。
(もういっちょ……。)
連撃に持ち込もうと右腕を伸ばしたその先に_。
見えてしまった。
割れた仮面の下には、悲痛の表情を浮かべるリヒトの顔。宝石のように青く輝く目には涙が滲んでいた。
刹那、全てを忘れて釘付けになる。
やっぱりそうだ。
可愛いリヒト、どうしてそんな悲しい顔をしているのか。
そう、呑気に見とれてしまった。
すぐに我に返ったが、もう遅い。
あーあ。
頬にひどい衝撃。
ゆれる。
目の前が真っ白になる。
この一発を避け損ねたあたりからたちまち動きが鈍り、後はもうサンドバッグだ。
気が付いたら、廃墟の瓦礫にもたれかかって座り込んでいた。戦闘は終わっていた。完全に俺の負けだ。体が動かない。足の感覚が無いし、かなりの出血。ただ息をして、右目を開けることしかできない。
マジで死ぬかも。
リヒトがこちらに近づいてくる。視界がぼやけてよく見えない。
はあ、はあ、はあ。
正面にリヒトがいることは分かる。
「サム兄さん……。」
うわずった声。俺が弱いせいで、また救えなかった。
「大丈夫だ……から、泣く、な。」
もう、だめだ。
瞼が重い。全身の力が抜ける。
まだ、死ぬ訳にはいかないのに、お別れだなんて。
やり残したことが沢山ある。ニコラスとツバキにも会えていない。
でも、最後にリヒトと会えてよかった。
「あ……して…る…。」
サムが死んだ。
「あ、ああ……。」
手の震えが止まらない。僕が殺したんだ。この手で。
この呪いを振りほどけない僕は、サム兄さんを回復させることも叶わない。
「サム!サム!」
泣きながら、馬鹿みたいにサム兄さんを揺さぶる。まだこの現実を認めたくなかった。
しばらくして揺さぶることを止め、ただ涙を流した。
どれだけそうしていただろうか、よくわからない。
……もう、疲れた。これ以上誰も殺したくない。
何もいらない、デヴァンスに全部くれてやる。
僕がいない方が皆も幸せだ。
サムに口づけをする。
僅かに残された唇の温かみを僕は忘れない。
「大好き。」
目の前が真っ暗になる。
「あれ?」
素っ頓狂な声が出てしまった。
急に体の主導権が僕に渡った。メアの言う通り、ラーリヒトが陥落したようだ。
前髪をかき上げ、辺りを見回す。全てが瓦礫と化していて、大地震が起こった後のような有様だ。
「うわあ……。」
目の前にはラーリヒトの大好きなサムの遺体。操られていたとはいえ、恋人をここまで容赦なくいたぶったら、心神喪失もあり得るだろう。
「やっぱりどっちのサム兄さんもかっこいいねー。」
すっかり冷たくなった頬に触れる。
「でも、オリジナルの方が脆くて、深い。」
(流石に死んじゃうのはもったいない。)
『回復』
ガラガラと音を立てて瓦礫が元の遺跡へと直っていく。サム兄さんの傷もじわじわと塞がっていく。
マキリア兄さんほど速くないし、音もうるさいが、僕にも蘇生くらいはできる。
サム兄さんのボロボロの体も、瓦礫も全て元通りにしてあげる。
(もっと強くなって、僕を迎えに来てよ。)
あれ?もしかして、外のサム兄さんにも惚れた?……まあいっか。
「よし。」
もう、戦闘前と遜色ないぐらい綺麗に復元できたはず。サム兄さんは廃墟の壁にもたれかかって寝ている。ついでにさっきの仮面の欠片も握らせておく。これで、壮大な夢オチの完成だ。
「帰るか。」
我ながらすごくホクホクとした気分で屋敷に帰った。
今日はここまで、またいつか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます