1章 VS黒布のストーカー2

 プレイヤー名を、ネウロと言う。

 このVLDが正式にサービス開始した頃からのプレイヤーであり、第一回イベントと第二回イベントの優勝者である、最強プレイヤーの一人。


 ただし、ボク……剣王カズサとは違って、憧れを向けられる存在ではない。

 むしろ、要注意プレイヤーとして嫌悪されている。


 なぜなら、ネウロはPK《プレイヤーキル》を頻繁におこない、平気でほかのプレイヤーからアイテムやレッジを奪うといった自分勝手な振る舞いをするからだ。

 その傍若無人ぶりは、有志のプレイヤーたちに【ネウロの横暴を許すな!】という名の団体を立ち上げられ、公式側に猛抗議をされたことがあるほどだ。


 まあ、VLDという仮想空間に対し、大きな影響を与えている存在であることに違いはないけれど。敵意、悪意、そういった負の感情を芽生えさせる存在として。


 そんなネウロに対して、ボク自身はといえば、積極的には関わってこなかった。

 ネウロを排除しようというプレイヤーたちから、剣王カズサこそ抗議の先頭に立つべきじゃないか!最強プレイヤーとして!みたいに訴えかけられたことはあるけれど、のらりくらり愛想笑い苦笑いでずっと躱してきた。

 排除なんて、そんなこと、したくなかったからだ。


 確かにボクだって、ネウロの遊び方は嫌いだった。

 どうしてPKなんてするのか、まったくもって理解できなかった。

 このVRMMOは、ほかのプレイヤーに危害を加えなくたって、充分に遊べるのだから。

 ほかプレイヤーをキルして、自分のほうが上だと証明し見下すようなプレイがしたいのならば、ほかのVRMMO……例えば仮想戦争を題材にしたFPS系にでも移ればいいんだ。

 それでもネウロは、このVLDを遊んでいる。

 だったら、このVLDでなければならない理由が、きっとあるはずで。

 そう思ったら、PKは許せなくても、追い出すようなことはしたくなかった。


 自分と同じくらいの時期から始めた……つまり、初期プレイヤー、アーリープレイヤーの一人として、ネウロを失いたくないみたいな思いも、少しはあった。

 だから、ずっと。

 ずっと、遠巻きに眺めているだけだった。

 誰かを傷付けるような真似をやめて、純粋に楽しんでくれるようになれば……。

 そう、願って。


 そんなネウロとの間に、初めて接点らしい接点ができた日のことは、よく覚えている。

 そのときのボクは、ネウロよりも強くなかった。

 ときにソロで。

 ときに千咲と二人で。

 ときにナナホシのようなこの世界で作れた友人たちと一緒に。

 クエストを一つずつ達成したりレベルアップをしたり武器や防具を作ったりして遊んでいた、ただの普通のプレイヤーでしかなかった。


【剣王】なんて呼ばれるほどの強者ではなかった。

 イベントを二回も優勝した強者であるネウロと違って、まだまだ全然プレイスキルもなくてレベルも低かったボクは、コツコツと、遊びたいという思い一心でプレイしていただけだった。

 何かに怒りを抱くことなんて一切なく、楽しいという気持ちだけで世界に浸っていたのだ。

 ただただ純粋な一人のゲーマーでしかなかったのだ。


 そんなボクが初めてネウロに絡まれたのは、【剣王】と呼ばれるようになった頃のこと。

 第三回・第四回に続いて、第五回のイベントを、ボクが優勝してから、すぐのこと。


 ――お前がよぉ~お? 噂の剣王、だぁ~よなぁ~。


 そう、不意に呼び掛けられたのだ。

 独りでクエストから帰る途中、【レッジリンチ大草原】というフィールドで。


 光源は夜空からの月明りだけという中、真っ黒な布で頭のてっぺんから両手両足の先端までグルグルに覆っているその姿を見て背筋が震えたことは、今でも忘れられない。

 怖いと、感じたんだ。

 このVLDそのものに対して、そういった恐怖を覚えたことは何度もあった。世界最高峰の頭脳と創作欲と仕事欲を持つエンジニアなどのプロ集団が、最新のAIや3DCGといったデジタル技術を駆使して生み出された仮想空間は、多種多様な部分がリアルに極めて近い。

 だから、凶悪なモンスターと対峙すれば、その、本当にそこにいて自分を殺そうと敵意を向けてくる緊張感に恐怖を覚えたし。深い森の中にあるダンジョンの、壁の湿った感じや無数の蟲が蠢く様に、ゾッとしたことも多い。

 それでも、ほかのプレイヤーに恐怖することなんて、それまでは一度もなかった。

 ネウロには、ハッキリと、強く、ビリッと、感じたのだ。


 多分、直感でわかったんだと思う。

 これまでに会ってきた、関わってきたプレイヤーとは違うって。

 普通じゃないって。

 異常なヤツだって。


 とはいえ、決闘を申し込まれるなんて、微塵も思っていなかった。

 とはいえ、一方的に襲い掛かってくるなんて、微塵も思っていなかった。


 いきなり声をかけられ、戸惑うばかりだったボクに、ネウロは決闘を申し込んできた。

 心をざわつかせながらも、ボクは、無視は無視でヤバイだろうと思い、ハッキリ断った。

 公式イベントでもないのに、ほかのプレイヤーと戦うなんて嫌だったから。

 プレイヤーを倒す行為は、マナー違反として認知されているから。

 ほかのVRMMOの中には、あえてPKを推奨しているものもある。PKをすることで効率よく経験値やアイテムを得られるシステムが構築されているからだ。ギルドやクランと呼ばれる徒党を組んで他プレイヤーたちを襲撃して自分たちをレベルアップしないと、本筋のストーリーをクリアするためのモンスターが強すぎて倒せないという設定のゲームだってある。


 でも、VLDはそうじゃない。

 このゲームでは、HPがゼロになってしまうと【24時間の強制ログアウト+所持しているレッジとアイテムの強制ドロップ】というペナルティがある。

 ゲームが好きな者にとって、このデスペナルティは避けたい。24時間の間に遊びたい欲求が芽生えても遊べないことはつらい。失ってしまってもまた集めればいいだけだろと思う人も少なくないが、時間対効果を考えても、稼いだものを喪失してしまうリスクは避けたい。

 そんな思いが共通の感情としてプレイヤーたちにあるからこそ、同じゲームを愛好する同志として傷つけあうなんてバカバカしい真似はやめようとVLD界隈ではなったのだ。

 人と戦い競い合うことを目的として掲げているゲームというわけではないのだから、と。

 だからこそ、ネウロという存在を排除しようという活動も生まれたのだ。


 それなのに、当の本人はといえば、界隈の空気なんてものからまるっきり外れていた。

 公式が、システムが禁止していないからといって、そこにそれなりの数の人がいれば許されないとされるルールのようなものは生まれる。


 リアルと同じだ。

 法律できっつきつのがんじがらめにされた社会は居心地が悪い。それでも無茶苦茶が許されることもよくない。だからその国に、その街に、その地域に生きている人々によって、空気感というルールができる。

 もちろん、その空気感が正しいかどうかは、いつの時代も論争になるところだが。


 何はともあれ、一定数以上の人がいて、比較的自由なコミュニティがあるなら、たとえゲームとはいえ、権力者が作った正式なものではない、良く言えば社会を守るための、悪く言えば自分を守るため互いに見張り合うための、空気感、というものが生まれるものだ。

 そんな空気感から、ネウロは逸脱していた。


 ――オレ様はネウロ。以後お見知りおきを。んでもって、殺し合おうぜぇ~え!


 そう一方的に吠えると、ヒャヒャヒャと不快な笑い声を上げながら、攻撃してきた。

 ボクは恐怖で動けなかった。

 リアルで狂人と出くわしたことなんてなかったから確かなことではないけれど、よくニュースや小説で見聞きする『怖くて身動きできなかった』という状態に襲われていた。


 それでも。

 間近で大鎌を振り被られれば、反射的に防衛本能は働く。

 頭目がけて振り下ろされる鎌を防ぐため、ボクは左腕を挙げた。

 やめて、と。

 最もありがちだろう防御態勢をとったんだ。


 左腕は、それなりに強い防具を装備していたおかげで、切り落とされることはなかった。漆黒の刃が深々と刺さり、HPがゴリゴリ削られるだけで済んだ。

 嗅覚や触覚、味覚と同じように痛覚も再現されていたら、間違いなく悶絶していた。いや悶絶どころでは済まなかっただろう。壮絶な痛みに気を失っていたはずだ。

 そういった考えが、恐怖にさらに拍車をかけた。

 結果、ボクは初めて、強制ログアウトを経験した。


 VLDには、プレイヤーを保護する目的として、プレイ中に脳へ過度なストレスがかかったとシステムが判断した場合、警告なしに強制ログアウトをする機能が備わっている。

 どれほどのストレスに襲われると強制ログアウトが起きるかは、プレイヤーによって違う。人によってストレス耐久力は異なるからだ。同じ事象に直面しても、強制ログアウトが起きる人もいれば、起きないでプレイ続行となる人もいる。


 日頃から、VLDは搭載しているAIによって、プレイヤーの様々な情報をデータベース化している。

 脳波などの脳に関する数値から、発汗や息遣いといった生理現象まで、事細かにデータ化されている。

 それらのデータを駆使することで、強制ログアウトシステムは機能しているのだ。

平時のとき――つまりストレスなくプレイしていると考えられるとき――の脳波や発汗量などの数値と比べて、あまりにも異常な数値を検出したとき、AIは『今、過度のストレスがプレイヤーを襲っています』と判断し、システムを作動するのだ。


 リアルで目覚めたボクは、脂汗で全身ベタベタになりながら、荒い呼吸を繰り返した。

 ブルッと、身震いもした。

 十六年の人生で、ここまで精神的に追い詰められていると感じたのは、初めてのことだった。


 後日、またネウロに絡まれた。

 今度は動けた。

 恐怖はあったけれど、抗わないとまたやられるという恐怖も強く、その思いが活力剤となってくれたのだ。


 刀を抜き、大鎌を防いだ。

 でも、防ぐことしかできなかった。

 相手が狂人であっても、自分から刃を向けることには、強い抵抗があったから。


 ネウロは挑発してきた。

 何度も何度も。

 攻撃してこいよ、と。

 意気地なしと、嘲ってもきた。

 ボクは、うるさい、黙れ、と口では威勢よく返しながらも、防戦に徹した。


 飽きた、と突然ネウロは攻撃をやめ、またなと告げて姿を消した。

 もう来ないでくれと、ボクは心から願った。

 願いは叶わなかった。


 以降、何度も何度も絡まれるようになった。

 初めてボクのほうから攻撃を仕掛けたのは、千咲がPKされたときだった。

 千咲と一緒に遊んでいたときに襲われ、千咲が殺されたとき、怒りから刃を向けた。


 そのときだ。

 ネウロというプレイヤー相手に刃を向けることを躊躇しなくていい。

 そんな激情が、自分の中に生まれたのは。

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