1章 VS黒布のストーカー1

 その声がどこからか聞こえてきた刹那――

 ボクは、反射的に右手で愛刀の柄を握りながら、自身の能力値で発揮できる最大速度で、声がした方角へと身体を向ける。


 ナナホシの頭上に、ソイツはいた。


 全身を真っ黒な布で包んでいて――頭のてっぺんから両手両足の先端まで。顔も、目鼻口も隠されている――左手には漆黒の大鎌を、肩に担ぐようにして持っていて。

 ナナホシの愛らしい三角耳を足場にした恰好で、俗に言うヤンキー座りをしている。

 それなのに、ナナホシの三角耳は潰れていない。ピンと、立っているままだ。

 まるで上に乗っているソイツに、質量が、重さが、存在していないかのように。


「えっ、えぇ~え?」

 真上でいきなり人の声がしたのだ、ナナホシは素っ頓狂な声を上げながら、退かそうとしたのだろう両手を勢いよく挙げた。

 次の瞬間――

 ヒュンヒュンと鋭利な音が鳴り、ボクの顔前で空気が揺らいだ。

 視界の下端に映る、赤色の粒子。

 目線を下ろす。


「わ、わあああああああ!」

 ナナホシが悲鳴を上げた。

 手首から先のない自分の両手を見ながら、カノジョは大口開けて叫んでいる。

 足元に落ちている、ナナホシの右手と左手。

 切断面は赤い粒子で埋め尽くされていて、リアルの血液とはまったく違って気持ち悪さはないけれど、粒子が血を表していると知っているからか、粒子の発する光がギラギラしているからか、友だちの身体の一部だからか、グロテスクだ。


 ……このクソ野郎! 相変わらずか!

 しばらく絡んでこなかったから、改心したと思っていたのに。

 一人のゲーマーとして、健全に、この世界を楽しんでいるのかと思っていたのに。

 そんなこと、なかったか。

「ネウロ!」


 ほかのプレイヤーを、ボクは攻撃なんてしたくない。

 開発・運営側が開催する公式イベントのときなど、ルールとしてpvpが認められているときは別だけれど。

 人に武器なんて、攻撃する意思なんて、向けたくはない。

 だってそれは、リアルの暴力と変わらないって思うから。


 たとえここが仮想世界だとしても、アバターの向こうには歴とした人間がいるわけで。

 アバターを傷付けることは、現実の暴力と、犯罪と、感覚的に同じだと思っている。

 だから、武器なんて人に振るいたくはない。

 暴力なんて、クソくらえだ。

 でも。


 でも、コイツだけは、別だ。

 コイツは、ほかのプレイヤーとは、まったく違うから。

 コイツは、好きこのんで、わざと、意図的に、他人を傷つけてくる。

 他人に暴力を振るうことを罪だなんて微塵も思っていない、そんな狂人なのだ。



 そんな狂ったヤツに狙われたとして、どうやって自分と大切な人を守れるのか。

 決まっている。

 たとえ嫌だとしても、暴力には暴力で抗うしかない。

 この世界には、現状、リアルのような法律も治安維持組織もないのだから。

 もちろん、よほどの劣悪プレイヤーは、公式側が強制ログアウトなどで罰するけれど。

 基本的に、今の公式は、pvpに対して何も動いてはくれない。

 だから、身を守るためには、自分でやるしかないのだ。

 でなければ、一方的にやられるだけだから。


「刀スキル・風抜ふうばつ!」

 スキル発動を示す薄緑色の光を発している愛刀。

 鞘から引き抜く動作をした瞬間、システムが反応した。

 スキルなく抜刀したときには出せない速度――光すら両断する速度で、刃が宙を裂く。

 しかし。

 刀スキル最速の攻撃である居合斬りは、相手を捉えられなかった。


 ……チッ。相変わらずチート級のスキルだな!


 固有スキル【影縫かげぬい

 物理攻撃であれば、自動的に回避する。

 魔法攻撃であれば、九割という高確率で自動回避できる。

 それがヤツだけが持つ、ヤツだけの装備に備わっている、ヤツだけの固有スキルだ。


 もしそのスキルさえなければ、確実にボクの居合斬りはヤツを捉えていた。ほかの刀使いがやる【風抜】と比べて、ボクの【風抜】は、ボク自身の能力値が高いぶん、速度が段違いなのだから。敏捷値を限界クラスまで育てていたとしても避けられるものではない。

 けれど、避けられた。

 自動回避が発動したことによって。


 切り替えろ、意識を。

 わかっていたことだ。

 一撃を避けられたことにウダウダ考えても仕方ない。

 ……で? ヤツはどこいった!

 避けられた瞬間、ヤツが装備している黒い布が鬱陶しくはためき、視界が覆われた。そのせいで、回避したあと、どこに行ったのか、どういう動きをしたのか、目で追えなかった。


「カズサッ! 後ろっ!」

 千咲の声!

 助かるぜ! 心で礼を言いながら、ボクは右足だけを軸にしてクルッと回るようにして背後を向き、身体を回した勢いも乗せて刀を真横に全力で振るう。

 ズバンと、確かな手ごたえ。


 しかし刃が捕らえたものは、本来斬りたかった存在ではなかった。

 愛刀に纏わりついているのは、薄緑色の粘っこく柔らかいジェル状の物体。

粘柔ねんじゅうスライム】スライムという超初級レベルのモンスターから採れる【スライム片】を十万個集めることで合成できるアイテムだ。刀剣カテゴリーや槍カテゴリー、斧カテゴリーなど、カテゴリー問わず、刃を持つ武器の攻撃力と貫通力をゼロにし、その重量を五倍にするという強力なアイテムである。

 鬱陶しい。

 思わず、舌打ち。


「刀スキル・付喪火つくもび!」

 鮮やかな紅色に光った刃が、ゴウッと血気盛んな音を立てて燃え上がった。

 融解し、分裂し、ボロボロと落ちていく粘液。

 猛々しい炎を纏った刀は、失っていた刃を、高い攻撃性能を取り戻した。


「ナナちゃん!」

 切迫した千咲の声。

 振り返って……ボクは奥歯を噛み締めた。


 やられた。

 クソ。

 やられた!


 ボクと、尻もちをついている千咲――見ていなかったから詳細は不明だが、恐らくヤツの攻撃を懸命に躱した結果だろう――二人の間にいるのは、首から上のないナナホシ。

 刈られてしまったんだ、あの漆黒の大鎌に。


 ぐらりと、ナナホシの身体が後ろに傾ぐ。

 地面に倒れる途中で、パァンと、カノジョの全身が弾けた。

 細かな赤い粒子が、宙を踊り、消えていく。

 そして現れたのは、鮮やかな赤色の巾着袋。

 そこに入っているのは、ナナホシが所有していたアイテムとレッジだ。

 ボクは素早く右足を伸ばし、その巾着袋に触れる。巾着袋は爪先に吸い込まれるように消えた。こうして回収しておけば、後日、返してあげることができる。

 ……クソッ。

 仮想空間での、仮想の死だとしても、一緒にいながら守れなかった自分に悪態を吐く。


「チサキ! 立って! 臨戦態勢!」

「わかってるって!」

 千咲は腰の後ろ側に差していた二本のダガーを抜き、ファイティングポーズをとる。

 ボクも刀を正眼に構え、右っ、左っ、上っ、後ろっと、素早く顔を振って、その場で足さばきをしながら身体の正面を向けて、辺りを警戒する。


 いない。

 でも、いないわけがない。

 ナナホシをやっただけで終わりなんて、絶対にあり得ないから。

 上手いんだ、アイツは。人の目から、意識から、外れることが。

 どこかには、必ずいる。姿を完全に消すスキルなんて、聞いたこともないし。


「――きゃあ!」

 千咲の悲鳴。

 反射的に顔を向ける。

 千咲の背後に、カノジョを抱くようにして、ソイツは立っていた。


「チサキッ!」

 愛する人の名は、意識したわけでなく、勝手に発していた。

 カノジョの細い首には、漆黒の大鎌の刃が宛がわれている。


 ……どうするどうするどうするっ!

 この状況をどうすれば打破できるのか、いくつもの案が浮かんでは消えていく。

 打つ手はない。

 千咲の背後を取られてしまっている以上、千咲が障害となってヤツを攻撃することができない。刀スキルでも、大剣スキルでも。攻撃魔法でも。千咲のHPを削ってしまうから。


「ヒヒッ、ざぁ~んねん」

 ヤツが右手を、何一つ躊躇うことなく、一気に、勢いよく、斜め後ろへ引く。


「カズッ――」


 凶悪な漆黒の刃が、千咲の首を裂いた。

 胴体から離れ、宙に浮いたようになる、カノジョの頭部。

 黒い影が、一瞬、ボクの視界を覆った。


 明るさを取り戻した、視界の中。

 くずおれる、最愛の人の首なし死体。

 ……くそったれ。

 舌打ちしつつ、正面に……十五メートルほど離れたところにいるヤツを睨む。


「こぉ~れで、1v1だなぁ~」

 ヤツは左手に持っている千咲の生首を、ぶんぶんぶんと振り回し、投擲してきた。

 長髪をなびかせながら、宙をこっちに向かって飛んでくる。

 だが、仮想の生首には、ボクの許まで届くほどの耐久力はない。

 最高度付近に達したとき、パァンと愛する人のアバターの頭は弾けた。

 赤い粒子が宙を漂い、融け消える。


 チラと足元に目を向ければ、首なし死体もなくなっていて。

 代わりに、カノジョのアイテムとレッジの入った赤色の巾着袋が落ちている。

 足で小突いて回収し、意識を切り替える。

 切り替えて、敵に、集中する。


 芽生えているのは、確かな怒り。

 ヤツは、このVLDの世界で唯一、ボクの感情を悪い意味でささくれ立たせる存在だ。

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