1章 商業都市で商売談議1
目の前に、胸に天秤を抱いている石造りの女神像が現れた。
ボクと千咲が拠点を置く街【商業防衛都市 ブロッチェン】のシンボルである。
転移魔法【アカリエ】を使用したことで、フィールドが変わったのだ。
もうここは、モンスターが跋扈する湿原ではなく、数多のプレイヤーが暮らす大都市だ。
「――おい、剣王だ」
「――見て、カズサ様よ。今日も凛々しいわ」
「――剣王、今日はどこで何をしてきたんだろうなぁ」
向けられる大勢の視線と声。
落ち着かない。
……いつになっても、こういうのは慣れないな。
VLD内で注目されるようになってから、もう随分と時間は経っている。
それにもかかわらず、未だ堂々と羨望を受け止められない。
リアルでは大して目立つ人間ではなかったからだ。
「相変わらずスゴイ人気ね。羨ましいこと」
冷え冷えとした千咲の声に、ボクは溜息を吐きながら緩く頭を振る。
「勘弁しろよ。こういうの苦手だって、知ってるだろ」
「どうだか。女の子たちにキャーキャー言われて、喜んでんじゃないの?」
「ないよ、ないない」
街の中心部であり大勢のプレイヤーで賑わっている大広場から、街で一番の規模を誇るクエスト斡旋所【ハロ=ハロー】に向かう。
石畳の上を進んでいくと、やがて、武器屋や道具屋などの冒険に欠かせないアイテムを販売している店が軒を連ねている通りに入った。
「――あ、カズサさん! チサキさん! こんっちゃ~す!」
広場以上に多くのプレイヤーで賑わっている通りを、広場にいたとき以上の耳目を集めながら歩いていると、不意に知った声が元気いっぱいに呼び掛けてきた。
ボクたちは揃って足を止め、声のしたほうに顔を向ける。
通りの右側、並ぶ建物の一角に、声の主――ナナホシはいた。
獣人型=タイプ・フォックスのアバターを使っているカノジョとは、VLDを始めた当初からの友人だ。
行き交う人々を躱しながら、ナナホシの許に向かう。
リアルと同じ百八十センチの身長に作ったボクのアバターの腰辺りまでしかないカノジョのすぐ前には、そんなカノジョとほとんど高さの変わらない浅葱色のリュックがある。ゴロゴロした薄青色の鉱石が溢れ返りそうになっている。
「ナナちゃん、やっほ~」
明るく、好意的な、いかにも女子高生が言いそうな軽い挨拶をしたのは、千咲だ。
ボクに向けていた、ツンとした感じ、冷気すら発してそうな感じは、微塵もない。
「やあ、ナナホシ」右手を軽く挙げて挨拶したあと、ボクはリュックのほうに興味があると視線を向ける。「売り物の調達中か?」
「ええ、ええ、まあ!」
ナナホシは、小さな左手でぼすんぼすんと、リュックを叩く。
その鉱石がよほどの利益をもたらすのか、ピンと立った長細い三角耳がびょこびょこと、腰から生えているこんもり丸い尻尾がフサフサと、嬉しそうに揺れている。
カノジョは、商売人としてこのVLDを楽しんでいる。
クエストを積極的に達成したり、強敵討伐を目指したりするのではなく、流通通貨であるレッジをより多く集めることを目的にしているのだ。
そのためにカノジョは【ナナホシ商会】というギルドまで立ち上げた。
さながら、個人事業主がビジネスの調子がいいからと法人化するように。
この仮想世界で商売がしたいという同士を集め、効率よく需要の多い素材を得るために手分けして採取やモンスター討伐をし、複数都市に小売りするための店を構え、より多くのレッジを日々稼いでいる。
最近では、稼いだレッジを原資に土地を買い、自前で【七星】という名の宿屋をいくつも建てている。クエストや探索でHPを減らして帰ってきたプレイヤーたちの、道具などを消費せずに手っ取り早く全快したいという需要を満たすことで、バリバリ稼いでいるというわけだ。
「商売、順調そうだな」
「カズサさんが、VLD最強プレイヤーの剣王カズサが、我が商会をご贔屓してくださっているおかげですよっ!」
「……ナナホシの実力ってだけだよ」
まあ? ボクの影響力によるところも――ナルシストみたいで気持ち悪いし、もし口にすれば千咲に調子乗るなと怒られるだろうから絶対に言わないが――多少はあるとは思う。
有名プレイヤーであるボクが【ナナホシ商会】で積極的にアイテムを買っているということは、周りからすれば……とくにプレイを始めて日の浅い初心者たちからすれば「剣王が買ってるし、自分もあそこでアイテムを買ってみようかな」となるだろう。数多い店の中から優良なところを選ぶというのは、リアルと同じく、なかなか難しいことだから。
「いえいえそんなそんな。カズサさんのインフルエンサーとしての影響力は絶大ですよぉ」
謙遜し、可能な限り相手を立てるというのは、商売人らしいといえばらしい振る舞いだ。
とはいえ、ここまでヨイショされると、気持ちよくなるより苦笑いしてしまうが。
「ナナちゃん、その辺にして? ナナちゃんみたいな才能ある人に持ち上げられたら、コイツみたいな凡人は勘違いして調子に乗っちゃうから」
「あはは~、チサキさんは相変わらず厳しいですねぇ~。カズサさんみたいなタイプは、甘やかしてもイイと思いますよ? そりゃあ、男の中には、ちょ~っとこっちが褒めてあげるとすぅ~ぐ気持ちが大きくなっちゃて暴走する人もいますが、カズサさんは違うと思いますし。まあ? そういう恋人の育成方針だと仰るのなら、それもアリだとは思いますがぁ~」
「バカ。違うから。コイツは恋人なんかじゃないの」
「えぇ~。またまたぁ~。いい加減認めちゃいましょうよ~。隠されてると寂しいです~」
「認めることなんてなぁ~いのっ。ただの幼馴染ってだけなんだからっ」
目が合うと、千咲は「見んな」と言って、ゲシッと脛を蹴ってきた。
とくに何も考えずに、ただ視線をカノジョに置いていただけなのに。
別に? カノジョがどう答えるのか、何か期待した眼差しだったとかではないのに。
つらい。
つらすぎて、もしや本当にボクへの好意なんてないのではないかと不安になってしまう。
まあ、それはないだろうけれど。
そりゃあボクのほうが想いの強さは上だろうが。
ボクのカノジョに対する好意と、カノジョのボクに対する好意は、質も量も内容も異なるだろうが。
ボクの想いのほうが重いだろうが。
しかし。
カノジョだってボクのことを好きではいてくれているはずだ。
でなかったら千咲の、無駄なことは可能な限りしたくない、不要なものはできるだけ切り捨てるという性格からして、ここまでボクと一緒に同じ時間を過ごすことはしないだろう。
カノジョは、時間を何よりも貴重なものだと思っているから。
ただの幼馴染という関係だとしたら、そんなものに多くの時間なんて割かないはずだ。
はずだと、思いたい……。
思いたい……。
「ん~、まっ、いつかお話してくださるのを楽しみに待ってますねっ!」
また千咲を見ていて蹴られても嫌だし、とくに何も考えず、ただの視線の置き場としてナナホシに顔を向けていると、目が合い、ウィンクされた。
アナタが教えてくださいね☆という意味だろうか。
どうリアクションすべきか悩んでいると、ゲシッと、脛に痛み。
千咲を見れば、目が合った瞬間、ふんっと勢いよく顔を逸らされた。
何をどうしろって言うのやら。
理不尽だ……。
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