第33話 代役

 王宮からの帰り道、ローランドはゆっくりとブレイズを歩かせながら考えにふけっている。

 都に到着次第、王宮を訪ねるようにとの指示に従い参上したが、国王からはランスタット近郊での戦いについて質問がありその功績を褒められただけであった。

 信頼の証といえばその通りであるが、側近の中にいる王子と気脈を通じている者から向けられた猜疑の目が鬱陶しい。

 ローランドには王位への野心などさらさらなかった。


 王になぞなろうものなら、より多くの人間の面倒を見なければならなくなる。

 嫌いな相手まで気に掛けるなどというのは真っ平ごめんだった。

 道の先の方にいそいそと出かけているフィリップを見かける。

 ブレイズを急がせて脇に並んだ。

「こんなところで何をしている?」

「あ、閣下。王宮からお戻りですか? 別に大したことはないんですよ。仕事が一段落したのでカフェ・モンクレールの席の予約をしにいこうとしているだけで」

 ローランドはいぶかし気に眉をひそめる。

 甘い菓子やデザート類が充実した有名店だということぐらいは聞いて知っていた。

 ただ、男1人で行くところではない。


「到着してすぐに……」

 ローランドが呟くとフィリップは弁解を始めた。

「やだなあ。私がまた誰か新しい恋人を作って連れていくと思ってるんでしょ? 違いますからね。オリヴィアが都に来るのを承諾するなら美味しいもの食べさせるからって説得したんです。その約束を果たそうというだけですから」

「なんだと?」

 ローランドは今まではフィリップからオリヴィアが承諾したということとドレスが無いという報告しか聞いていない。

 そんな約束があるというのは初耳だった。


「クレープシュゼットとフルーツオムレツをご馳走するって言ったら目を輝かせたんですよ。まあ、それだけじゃ押し切れなくて過去のアックスの事件を引き合いに出して承諾させたんですけど。約束は約束ですから」

 話を聞いてローランドはこれだと天啓を得た気分になる。

 ハンカチーフを貰ってから何もリアクションを返せていないことを気にしつつ何もできていなかった。

 贈り物の趣旨が不明であるということと、こういうことに慣れておらず何をしたらいいか分からないという2つの理由で身動きができなかったのである。


 一応仕立て屋を呼びつけてオリヴィアのための新たな外套を作らせていたが、ものがものだけにあまりプレゼントという感じがしない。

 女性ならば指輪や宝石かとも考えたが、ハンカチーフとはあまりにつり合いが取れていないという程度の違和感は恋愛経験のないローランドにもなんとなく分かる。

 オリヴィアが興味を持ったものがあるならば目的にぴったりであった。

 しかも、高級なデザートをはいえ、所詮はデザートであり金額はたかが知れている。


「カフェ・モンクレール。私が行こう」

「え? 閣下が?」

「オリヴィアに都についてくるように望んだのは私だ」

「まあ、それはそうなんですけど」

「それにいつも混んでいる店だろう? 私の名を出さねば席は取れまい。ならば、当日も最初から私が行けばいい」


 お、おう。

 そう来ましたか、とフィリップは驚きながらも納得した。

 エスコートを変わろうと打診するのではなく、決定事項として通知するあたり、結構本気でオリヴィアの歓心を買うつもりらしいことが明らかである。

「そういうことであればお願いします」

「ああ。今後は情報は正確に報告するように」

「はっ。畏まりました」


 ブレイズの足を急がせて去っていくローランドの後姿を見ながら、フィリップは危なかったと額の汗を拭った。

 カフェ・モンクレールにオリヴィアと出かけた後に知られたら本気で怒らせたかもしれない。

 だけどなあ。

 だったら、もうちょっと積極的に自分から動いて欲しいものだ。

 そんなことを考えながらフィリップはクリーブス邸へと引き返す。


 そして翌日、朝早くからの動物の健康状態の確認を終えたオリヴィアは1度部屋に戻った。

 さすがに仕事着で公爵家の食堂に顔を出すわけにはいかないので、ローランドに買ってもらった衣装に着替える。

 そろそろ朝食の時間かな、と食堂へ足を向けた。

 なぜか騎士団の正装をまとっているローランドに入口で呼び止められる。

「お早う」

「お早うございます。何か御用ですか?」

「朝食を取りに来たんだね?」

「はい。そうです」

「今日は別の場所で朝食にしよう。ついてきなさい」


 言われるがまま案内されたのは車寄せに止まっている馬車であった。

 黒を基調とし、要所に金銀細工を施した馬車の扉にはクリーブス公爵家の紋章が添えられている。

 紋章の上部にある冠と横向きの兜は金色であり、これだけで王家に連なる公爵家のものだと判別ができるデザインだった。

 普段は騎士団長というイメージで接していたオリヴィアもこれを見てローランドがかなり身分が高いということを嫌でも思い出してしまう。


 そんな高貴な存在のローランドは煌びやかな衣装を着た家士が恭しく馬車の扉を開けても乗り込もうとはしなかった。

 片腕をあげてオリヴィアが先に乗るようにと促す。

「そんな。私が先に乗るなどありえません」

 オリヴィアが慌てて辞退しようとするのにローランドは小首を傾げた。

「レディを優先するというのはマナーに適っているはずだよ」

「私は閣下の部下です」

「今は仕事中ではないからね。さあ、朝食に遅れてしまう。遠慮せず乗りなさい」


 昨夜のうちに女性のエスコートについての教則本を引っ張り出して1夜漬けで学んだローランドはステップに足をかけるオリヴィアの手を取り介添えをしてやる。

 今までそんなことをしたことは1度もないとは思えない完璧な動作だった。

 緊張しまくりながら馬車に乗り込んだオリヴィアは一生懸命に自分の座るべき席を考える。

 向かい合わせの4人掛けの席のうち、進行方向に向く席の方が身分が高い人用だった。


 えーと。

 オリヴィアは扉に近い側の進行方向と逆になる席に腰を下ろす。

 これでオリヴィアのはす向かいの席にローランドが座るというのが正しい席順のはずだった。

 ところがローランドは乗り込んでくるとオリヴィアの向かい側に座ってしまう。

 オリヴィアが真正面でひざを突き合わすのは非礼だと腰を浮かしたときだった。

 馬車が動き出してバランスを崩したところをローランドが抱きとめる。


 胸元に顔をうずめたオリヴィアにシトラスとベルガモットが淡く香った。

 普段は感じないものを嗅ぎ取れたということはいかに距離が近いかということを思い起こさせオリヴィアは顔を真っ赤にする。

「申し訳ありません」

 一方のローランドは自分の腕の中から立ち上る良く日を浴びた麦わらと桃の混じった香りを吸い込んだ。


 随分と変わったオードトワレを使用しているのだな、と思ったがローランドにとって不快ではない。

 多くの女性が身に着けている麝香などの甘い香りよりもよっぽど好ましいと感じた。

 ここには誤解があり、オリヴィアは濃度を問わず香水というカテゴリーにあるものを使用したことはない。


 ローランドの腕の中でオリヴィアはじたばたするが全く抜け出せなかった。

「ほら、落ち着きなさい」

 優しく言うとローランドはオリヴィアの両肩を支えて体を起こしてやる。

 そして、片方の手を軸にして半回転させると横の席にぽすんと治療師の娘を座らせてやった。

「ここがお前の席だ」

「え、え?」

 真っ赤な顔のままオリヴィアは状況を把握しようとする。

「ここはローランド様が座られる場所では?」

「いや、レディと一緒の時はレディのための場所だよ」

 自分は違うとふるふると首を横に振るオリヴィアの手を取って、ほらここにいるというようにローランドは目の前の高さに掲げて見せるのだった。

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