第34話 カフェ・モンクレール

 オリヴィアは笑みを浮かべたローランドと向かい合って座っている。

 ここはカフェ・モンクレールの中だった。

 馬車に乗せられた後、途中で1か所寄り道をした後にこの店に到着している。

 席につくまでは周囲の人々の視線が突き刺さって居心地が悪かったが、テーブルは目隠しが施されており多少はマシになっていた。

 それでも壁を背にした奥側の席に座っているオリヴィアからはローランドの背後を通る者が丸見えである。

 ということは、その者からもローランドとオリヴィアの姿が見えているということだった。


 他人の視線がオリヴィアを落ち着かなくさせている原因の1つはその服装にある。

 ローランドは式典などで着用する深紅を基調としワンポイントで明るい青色を使った騎士団の正装に身を包んでいるのだが、オリヴィアも寸分たがわぬ恰好をしていた。

 カフェ・モンクレールに来る前によった場所というのは都で1番という服飾の店である。

 予めローランドが仕立てるように命じてあった正装に有無を言わさず着替えさせられ、そのままこの場所に拉致されるようにつれてこられていた。


 外套を作成する際に採寸した諸々の数値を使って作られた正装はオリヴィアにピッタリとフィットしている。

 生地もしなやかでありながらしっかりとしており着心地も抜群であった。

 それにも関わらずオリヴィアの居心地が悪いのは、ローランドとペアルックというところにある。

 これが他にも狼牙騎士団の者がいればペア感が薄れて団体の一部と思うことができるだが、2人きりでお洒落なカフェにいると別の意味合いが強くなった。

 上司が職権乱用気味に若い部下を食事に誘っている図としか見えない。

 実際、事実としてもその通りである。


 オリヴィアは視線を彷徨わせていたが、諦めて向かいの席のローランドに視線を向けた。

 ま、眩しい。

 シャンデリアから降り注ぐ光を浴びて顔の周りに金粉が舞っているかのようである。

 着席すると同時に運ばれてきた飲み物のカップをローランドは優雅に口元に運んだ。


「朝から働いて空腹だろう。軽食といくつかのものは事前に頼んであるが、興味があるものがあれば遠慮なく言いなさい」

 革張りの立派なメニューを抱えた給仕が進み出ようとする。

 オリヴィアは慌てて止めた。

「だ、大丈夫です」

 間を持たせようとオリヴィアもカップに手をつけるが、中に入っているのはいつぞやローランドと一緒にお茶をしたときの黒い液体である。

 ほんのちょっとだけ口をつけてすぐにカップを皿に戻した。

 

 やっぱり苦い。

 甘いものと一緒に飲むのであれば大丈夫だが、単体で飲むのはオリヴィアには難しかった。

 そこに小さなカップに入った白いスープが供される。

 スープ皿に入っておらずスプーンも添えられていないのは、直接カップに口をつけて飲めばいいということらしい。

 オリヴィアはカップに口をつけて目を見開いた。

 舌触りも滑らかで薄い塩味と素材そのものに由来すると思われる甘みが調和したポタージュに幸せな気分になる。


 でも、これ、なんのスープだろう?

 小首を傾げるオリヴィアにローランドが説明をした。

「蕪のポタージュらしい」

「こんなに豊かな味わいになるんですね」

 味覚に神経を持っていかれたオリヴィアは目の前にいる存在が誰であるかがあまり気にならなくなる。


 次いで提供されたのは、薄くスライスしてトーストした一口大のパンに様々な具材を挟んでピックで留めたものだった。

 中に挟んでいるものは、茹でた卵をつぶしたもの、鱒の燻製、ローストビーフ、新鮮なキュウリのスライスなど色も食感も異なり口にするたびに驚きが広がる。

「この冬場にキュウリ?」

「ああ。この店は専用の温室を持っていてね。だから季節の異なる野菜や果物を提供できるそうだよ」

 

 どれも美味しいけどちょっと量が少ないかな。

 そんなことをオリヴィアが考えていると給仕がワゴンを押してきた。

 皿の上には薄いクレープが折りたたまれて乗っている。

 給仕は容器から橙色のソースをクレープにかけ、さらにボトルに入った透明なリキュールを振りかけた。

 蝋燭の火を近づけるとボッと炎があがり、オレンジの香りがふわっと広がる。

 火を消して目の前に置かれるとオリヴィアは待ちきれないようにクレープにナイフを入れフォークで口に運んだ。

 うっとりとした表情になる。


 その次のフルーツオムレツもオリヴィアを驚かせた。

 ふわふわのスフレの横には、冬場だというのに色とりどりの新鮮な果物をカットしたものがアングレーズソースとともに添えられている。

「とっても綺麗ですよ。まるで宝石が入っているみたいです」

 少し大ぶりのスプーンでスフレと一緒にフルーツをすくって食べるとオリヴィアは幸せそうに頬に手を当てた。

 

 その様子をローランドは楽しく観察している。

 もし尻尾があればぶんぶんと振りそうなほど満ち足りたオリヴィアの様子は見ていて飽きなかった。

 オリヴィアに気を遣わせないように自分も同じものを食べているが、ローランド自身はそれほど感動はしてない。

 もともと甘いものはそれほど好きではなかった。

 それでもオリヴィアの感激ぶりが伝染したのか途中でカトラリーを置くことなく完食している。

 

 目を細めてオリヴィアを見ながらローランドは追加の注文が必要か尋ねた。

「私が事前に頼んでおいたものはこれで全部だ。その様子ならまだ食べることができそうだが、何か頼むかい?」

「いえ、これ以上頂いたら、せっかくの美味しいものの印象が混ざり合って思い出せなくなります。十分に頂きました」

「思い出してどうするんだ?」


「え? 幸せな気分になれますよね? 何か嫌なことがあっても、あのときのクレープ美味しかったなあ、と思えば嫌なことは頭の中からいなくなってくれます。そして、また食べることができるように頑張ろうって考えるんです」

「なるほどな」

 ローランドはオリヴィアの打たれ強さの秘密を理解した気がする。

「ところで、1つ伺ってもいいでしょうか?」

「なんだい?」


「今日、私をここに連れてきてくださったのはどういうことでしょうか?」

「ん? 遠路はるばる都まで来るのを渋るオリヴィアにここでの食事を約束したと聞いたが」

「ええ、フィリップさんがそんなことを仰っていました。でも、閣下が連れてきてくださったのはどうしてかなと思ったんですけど」

「フィリップの方が良かったか?」

 

 ローランドは冗談めかして言ったが、口にした瞬間に心がズキリと傷んだ。

 軽口を叩くという慣れないことをしたせいだ、と思い込もうとするが、自分の心のうちのことは本当は理解している。

 フィリップに負けたくない。

 そんなローランドの心中など知らずに問われたオリヴィアはこてんと首を傾げて真面目に考えた。


「フィリップさんとローランド様ですか? えーと、どちらが良いとか悪いとかはないです。お二人とも本当に私に良くしてくださいますし。単に閣下はお忙しいのではないかと思ったんです。フィリップさんはいつも暇そうにしていますけど」

 少なくともフィリップに劣るわけではないことを知ってローランドはほっとする。

「私だって職務に精励している者を労うぐらいの時間はある。本当にオリヴィアは良くやってくれているからな。アックスたちもいつもに増して元気そうだし毛に艶もある」

「そうですか? 私1人の力じゃないと思いますけど、褒めていただけるとちょっと嬉しいです」

 少し頬を赤くしたその照れ笑いはイチイの木で作った強弓から放たれた矢のようにローランドの心臓を打ち抜くのだった。

 

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